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木村多江さんインタビュー。何年ぶりかの再開

女優の木村多江さん。映画「リング~最終章~」で貞子役として登場して以来、「らせん」、ドラマ「救命病棟24時」(第2期)山城紗江子 役、映画「ぐるりのこと。」などに出演されてきた実力派女優のおひとり。今回は、木村多江さんにインタビューしました。全5回中2記事公開中。

「現場で名前すら呼んでもらえなかった」ことで考えた「私にできること」

私が木村多江さんに初めてお会いしたのは、18年から20年ほど前。当時、私は原宿や青山のフリーペーパーを作る仕事をしていて、そのときに雑誌のカバーインタビューでお会いしました。

当時、多江さんは20代半ばだったと思います。初めて会う多江さんはとても気さくな方で、現場のスタッフの名前もすぐに覚えてしまい、和気あいあいとした雰囲気で取材が進んだことを覚えています。

当時のことを話しながらインタビューさせていただいたのですが、多江さんが現場にいる人の名前をすぐに覚えていたのには、実は理由があったんですね。私は、あのときはまったくそれに気が付かず、ただただ「名前を覚えるのが早い人」というくらいにしか思っていませんでした……。

多江さんのお話を聞き、名前を呼ぶことの大切さを実感したので、私はこれから名前を……呼ぶように意識しようと……思います。

いつもオンライン英会話の先生の名前を間違えて呼ぶので、ここ半年くらい誰の名前も呼ばないようにしていたのですが、改めます!!


「メイクで誤魔化すには無理がある」も30代でコンプレックスを克服できた訳


取材のあと、ご縁があって舞台をみせてもらったり、その後10年ほどして別の媒体で再度取材させていただいたりと、実はご縁が深い女優さんでした。

当時の多江さんは、あどけなさが残る感じでしたが、今回お会いしたとき「女優」のカッコよさをまとっていました。とくに写真撮影のときは、きりっとしてとってもかっこいい。インタビューでも、言葉を選びながら一言一言丁寧に話す姿は昔のままだけど、言葉に力強さが加わり、女優としての貫禄も感じられたほど。

でも、インタビューが終わると、話し方とか話す内容と蚊が素の多江さん(だと思う)に変わってて、「やっぱりスイッチが入ると違うのね!」とひそかに関心しておりました。

そんな多江さんの2記事目はこちら。誰にでもあるコンプレックスをどう乗り切るかというお話。実は多江さん女優からスタートしたそうですが、テレビ出演が増えてきて、事務所の人から「テレビ映えしない」「なんとかならないか」と指摘されたことが多々あったそう。

ひとつ断っておくと、多江さんの事務所のマネージャーさんたちは、ものすごくいい人で、みんな多江さんことが大好き!って感じです。身内だからこそ言えることもありますから、そういった意味での指摘だったのでしょうね。

とはいえ、ご本人もいろいろ気にしてメイクを頑張ったり、かわいさで売っているわけじゃないと思って見たり、悩まれていたそうです。一時期は、プチ整形も考えたとか!?

「今は、コンプレックスはなくなったんですか?」と聞いたら、「いや、今もあるんですけど、もうどこかで折り合いつけないとね!」と。木村多江さんといえば、背筋もピシッとしていて、艶があって、女性からみても惚れてしまうほどの方ですが、コンプレックスは消えないものなんですね。そんな多江さんがコンプレックスをどう乗り越えてきたか、折り合いをつけているかというお話です。

「薄幸役が似合う女優」から「生き残る役」でもいいですか?

木村多江さんといえば、映画「リング」などの貞子役として有名。ほかにもすぐ死ぬ役が多かったと、一番初めに多江さんに会った時にいっていた記憶があります。
そんな「薄幸美人」のイメージが強かった多江さん、実はまわりからあまりにもそういわれるため、気にするところもあったのだといいます。それがいつのまにか生命力たくましく、みんなが死んでも自分だけ生き残る役に変化してきたのだとか(笑)
「不幸な役をやる木村多江は、もう見あきたのかも?」なんてご本人はおっしゃっていましたが、多江さん自身が生命力あふれるようになってきたからなんじゃないかと、私はひそかに思っています。というのも、その理由は4回目の記事で。

「父が倒れたのは私のせい」家族の死を乗り越えて今思うこと

私が多江さんに初めてインタビューしたとき、多江さんは「色の時感」というコラムを書いていたんですね。そこには亡くなったお父様のことが。当時、私にはそのことを深く聞く勇気がなく、ほんの少しだけお話した記憶があります。そして、私自身のことも。同じ思いをしている多江さんなら、話せると感じたんです。そのあと、多江さんがとても心配してくれたことを覚えています。感受性の高い方なので、やはり同じように感じたのかもしれません。私が話したのは、ここ20年くらいのうちたぶん多江さんを入れて5人ほど。だからこそ、多江さんは私にとって、とても大きな存在だったのです。

今回お会いした時、「お父様のこと、家族で話せるようになりました?」と聞いたら「これまではずっと誰も話さないままだったけど、今は話せるようになりました」と。とても大きな進歩だったと思います。

多江さん、お父様が亡くなったのは自分のせいだとずっと自分を責め続けていて、だから幸せになってはいけない。こんな自分は許せないと、ずっと思っていたそうです。でも、いろんな人との出会いから「父は私に幸せになってほしいと思っているかもしれない」ということに気が付き、そこから少しずつ変わってきたそうです。

多江さんの心境の変化は、もしかしたら役にも影響が出ていたんじゃないかなと、思います。

「待望の妊娠も8か月の入院生活」共働き家族としての今

今回、多江さんに初めて聞いたお話が、妊娠、出産、子育てのこと。妊娠については、ずっと望んでいて、いろんなことに気をつけて、仕事も入れないようにしていたのに。それでもだめで。もうあきらめようと思い、大きな仕事を引き受けた直後に、妊娠発覚。しかも、絶対安静に。
責任感の強い多江さんのこと、仕事を中断させざるをえなかったことは本当に苦しかったと思います。それでもまわりの人があたたく見守ってくれたから、無事に出産。産後に仕事復帰できたといいます。

お子さんが生まれたのは10年以上も前のことで、その当時は働き方についての議論もいまほどされてなくて、大変だったと思います。

子どもができてからは夫婦二人三脚。お互いの親に助けてもらったり、ママ友や近所の商店街の人など、多くの人のおかげでなんとかやってこれたとのこと。「女優として絶対に手を抜かない」「でも、子どもにも寂しい思いをさせたくない」このはざまでけっこう大変だったんじゃないかなと思います。

多江さんは、いつも目の前のことに全力投球で、まわりの人にもかなり気を使って、でも、時々天然ぽいところがあって。だからまわりがみんな多江さんのことを自然と大好きになっちゃうんでしょうね。女優として、母として、かっこよさと強さを身に着けた木村多江さん。これからもますます目が離せません! 2023年からはまた新しいドラマが始まるようですよ! お楽しみに!


フィリピンセブ島の孤児院で出会った子どもたちをサポートします😊✨✨子どもたちが大人になったとき、今度は誰かをサポートしてあげられたら素敵ですね❤️