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【随筆】たった今希死念慮をやり過ごしている私のこと

 お久し振りです。紺色です。ここ3日間、特に今とても希死念慮が濃く強まっており、気を紛らわすためにと少し何か書こうかと思いまして、まあゆるゆるといきますね。

 まず、希死念慮は理屈では語れません。病状として発生する、感情でもありませんが、感情ととても近い関係にある精神疾患に伴う症状です。とはいえ内容としては単純ではあって、死にたい、ないし、死にたくなるってことです。これをいかにしてやり過ごすかが精神疾患の肝だと私は思っております。兎に角理由なく死にたさが唐突に芽吹く訳ですから、まあ、私の中では恋愛とも近い気もします。
 恋愛は感情により発生する問題なので、理屈というツールを用いてもうまく作動しない、語ろうとしても無理が生じ補完はできません。自らの感情に耳を傾け、考えすぎて意識と気持ちを解離させないよう、よく寄り添わせることが今のところ最適解なのではないかと私は思っております。きっとその困難さがまた面白味でもありましょう。
 そこで、私はこの今強まるばかりの希死念慮を恋に変換できないかと思い付きました。思い付いただけですがここまできたら戯れに実行もしてみましょうか。

 そうですね、まずは死を愛しんでみます。希死念慮そのものですね。
 次に、死を大切にします。
 以上。

 これだけ書き出しても、はあ、という感じでしょうか。私も書いていてまあ同じです。乏しい恋愛経験が仇となりましたね。
 しかし、私の中ではなかなかよく変換できました。ここに記しながら考えているせいか、ややばかばかしくなったのと、気が紛れたのと、死も私そのものなのだなと思えてきましたのがイマココってやつです。
 今起きた私の感情の導線を詳しく説明しますと、私としての生が一度きりである以上、私としての死も一度きりなのです。だから、死を大切に思うことは生においてもとても重要で、死に様も大切にできないのなら、その時生も全うできないことに繋がるのではないかというルートを辿ったというわけです。死を熟すことこそヒューマンビーイングなのではないかと、なんてね、そう今それっぽいことを思い付き書きました。

 私は相反すものは表裏一体という価値観を強く持っています。表があれば裏は当たり前に必ず存在します。わかりますよね。裏を読むみたいなことをするのは、私の中では浅ましくお下品(!)に感じてしまうため基本的にしませんが、存在することは常に認知していたいと思っているのです。

 そして、こうして私の人生の残り時間は自らの手により浪費され、希死念慮も呆れて顔を出さなくなるくらい、くだらない人でありたいものです。死を熟していきましょう。まだきっと逝くには早そうですので。

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