【随筆】政治においての多様性について

 紺色ですどうも。ごきげんよう。
 突然ですが、昨今取り上げられがちな「多様性」について読者さまは如何お考えなのでしょうか。私は様々な物事について、幼かった頃より確かに多様化が進んでいるなあ、なんて感じている次第です。多様化が進み多様性が認められることに関しまして、私は一言で済ませるなら賛成ではあります。
 しかし、一言では済ませられない、微妙に感じる気持ちや違和感のようなものも少し内包しているため、今回はこれから、その多様性についてのお話をしたいと思います。よろしくお願いします。

 まず、多様性についての政治介入です。私は東京都民なのですが、現小池都知事は頻繁に同義の「ダイバーシティ」といった発言しておられます。それは先にも書きました通り、良いんです。しかしまた、私はそこが気になるのです。
 政治というのは様々な作用があります。私は政治に明るいわけではありませんが、特に、核として国会は立法府であるという認識です。国を良くするための法律を議論し決定する場所であり、そういった作用が強くあるわけです。
 そこで、法律に深く携わる政治が、政治的に、
「多様性社会を目指す」
と言うことは本当に良いことなのか、少し疑問なのです。
 民主主義というのは、即ち多数決です。選挙もそうですし、立法においてもそう。少しでも多くの国民を生きやすくすることは非常に重要なことです。多様性を訴えかけることも、確かにそれと同じくらい重要だとも思いますし、何度も書きますが"目指すこと"自体は良いと思います。しかし、多数派の国民を生きやすくすること、というのが先決事項なのではないかと思うのです。だから、多様化された全員の十人十色の意見を全て一度に包括することは、私は不可能だと思うのです。

 人は常にさまざまなことを考え、思い、認識をしています。多様性を認めるということは、国民にそれぞれの価値観、時として気に入らないものも世には存在するんだよ、と認め、互いに配慮することだと認識しています。それを政治で「配慮しろ!」と押し付けるのは、それこそ多様性の死に繋がるのではないかと懸念するのです。

 私は、様々な面で少数派に属することが多い人物です。だから、多様性なき社会だったとしたら、非常に生きづらいと感じるでしょう。今の日本がどうかというと、あくまで私個人としては十分生きやすいと感じています。無論、もっと良くなる点は存在するし、国として更なる向上をして欲しいし、本当に多様性が認められるようになるのなら、それは素晴らしいことだとは思います。しかし、多数派である国民がまだ生きづらい現状、少数派に向けてのアピールをするより、多数派に対してもっとアプローチしていくのが順序なのではないかな、と思うのです。

 人間は誰しも不完全です。だから、人間が築く国家というものも、永久に不完全でしょう。だから面白い部分もあって、腹が立つ部分などもあって、それで良い、それが良いと思うし、それらは全部が存在しているし、現状日本は全く独裁国家ではないのだから、急進的な政治よりも私はよく議論し吟味した政治を進めていただきたいのです。

 少数派の人々が声を上げるのもとても良いことですが、皆の考えを一度に取り入れることはできないと思うという点もありますし、本当にそれは難しく、また、センシティブな部分に感じます。
 正直私は「明るみに出さないでくれ、少数派のままで良いから放っておいてくれ」と思う部分も内包しています。
 多様性って聞こえは良いですけど、良いことばかりではなく、人間の醜い部分でもあるのですよ。
 だから、私は多様性の政治介入を訝しく思っているのでした。

おしまい。

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