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2023年

前書き

2023年を振り返るにあたり、毎日書き続けている日記を読み返すことにしました。今年分の日記帳を持ち出してきてびっくり、この1年でなんと7冊分にもわたる文量で日々を記録し続けてきたようです。過ぎてしまえばあっという間に感じてしまう日常も、1日いちにちに目を向ければ色々なことがあり、その度に悩み考え、乗り越えてきたんだなと思います。乗り越えるというより、耐え凌いだというほうが適しているかもしれませんが。


1月〜3月

昨年12月に心の調子を大きく崩し、立て直すこともできず不調のまま迎えた2023年。記憶の中だけでも、あのしんどかった時期のことはありありと思い起こせます。何をしていても思考回路には死が存在していて、一度“死”を経由しないと何も考えられなかったあのころ。近いうちに死ぬ、それを心の支えにしてとりあえず生きているだけのような毎日を過ごしていました。
当時のわたしは完全に希死念慮に呑み込まれていたように思います。本来の自分なんてものはとっくのとうに見失って、ぐるぐると自死に思いを巡らせるばかりでした。

時間の経過とともに「死にたい」という思考の輪郭はよりはっきりとしたものに変わっていき、3月を迎える頃には「死のう」「死ぬしかない」という意思へと姿を変えました。何度も限界を突破した心はズタボロ。こうなってしまってはもう何もできず、物事すべて“死”をベースに考えるようになりました。

自死へのカウントダウンをしながら過ごした3月。こんな日々の連続を終わらせる方法が、それしかなかったのです。でも、それすらできませんでした。楽になれると思ったから、苦しいなかでもなんとか生き延びられたのに、死ねなかった。楽になれなかった。自分の命から、人生から逃げられなかったのです。

あれほどまでに羨望した死が叶わなかったことに、絶望。自分がこの先どうやって生きていけばいいのか全く分かりませんでした。分かっていたのは厳しい現実を生きていくには自分はあまりにも無力だということ。そして、命を投げ捨てようとしたあの日、縄をかけたあの瞬間、心の中で「助けてほしい」という思いを抱いてしまったという誤魔化せない自分の本音でした。


4月〜5月

「本当は助けてほしい」という気持ちに気づいてしまったら見て見ぬふりもできず、一度は自ら切り捨てた精神医療に再び頼ることを選びました。
自分のことは自分にしか救えない、けれど今はまだその力がわたしにはない。それならその力を身につけるまでの間は医療の力に頼らせてもらうしかないと思ったのです。
調子は相変わらずでしたが、なけなしの気力を振り絞り1年半通い続けた病院からの転院を決意。同時期にカウンセリングも受け始めました。それが5月末のことです。


6月

半年近く続いた鬱を抜け、人生でも3本の指に入る躁を経験しました。病的な行動力と衝動性で、ひたすら動き回る日々。会いたい人に会いに行き、行きたいところには迷わず足を運ぶ。楽しいことや幸せなことのため休まず活動し続けるわたしは、鬱で失ってしまったこれまでの半年間を埋め合わせているようだったと今になって思います。

1年を振り返り、心の底から楽しかったと思えるのはこの時期だけです。病気による波の症状とはいえ、この期間がなければこの1年苦しいことばかりだったと思ってしまった気がするので、そういう意味では楽しく過ごせる時間があってよかったと感じています。


7月

6月の終わりとともに躁状態も落ち着きましたが、ただ楽しかっただけで終わらせてはくれません。上がっていた気持ちがそのまま持続するわけもなく、緩やかに確実に下っていきました。


8月〜9月

やっと転院先の初診日に辿り着きました。
しかし次なる問題が浮上します。長年寛解状態を保っていた摂食障害を本格的にぶり返してしまったのです。
夏バテきっかけで減っていく体重を目にしたとき、昔拒食症を患っていたときの感覚がふつふつと湧き上がってきたのを感じました。
食べなければ痩せる、分かりやすい仕組みは不安定な状態のわたしを安心させました。次第に体重が自分の価値のように思えてきて「太りたくない」「痩せたい」一心に。気づいた頃には必要以上に体重や食事にこだわるようになっていました。

ダイエット(のつもりだったもの)はどんどんエスカレート。体重はみるみるうちに減りました。自己嫌悪と自責ばかりの生活を送る中で“ダイエットの継続”はわたしにとって唯一の自己肯定。食事・体重をコントロールできているという自信が、脆いわたしを支えてくれていたのです。
だからこそ、やめられなかったのかもしれません。

体重が減れば減るだけ心が安定すると思いきや、実際はその逆。次第に心は追い詰められ、余裕を失っていきました。数値に一喜一憂し、頭の中は取り憑かれたように体重や食べ物のことでいっぱいに。他の物事に集中できなくなってしまいました。
感情の起伏も激しくなり、取り乱すことも増えました。自分でコントロールできないのです。その度自己嫌悪し、自分が自分じゃなくなっていくような恐怖でおかしくなりそうでした。
鬱の症状と摂食の症状が互いに悪影響を及ぼし合い、悪化の一途を辿っていく。地獄のような毎日でした。

わたしを支えてくれていたダイエットは摂食障害へと姿を変え、容赦なく心を蝕みました。つらい現実を生きるため、自分を縛ることで壊れないようにしていたつもりでした。弱い自分なりの精一杯の生き方でした。でも、気づけば強く縛りすぎていたみたいです。精神を支えていたものに今度は壊されそうになり、でも緩め方が分からず、自滅してしまいました。

普通に食べられていた昔に戻りたい、と思ったときにはもう取り返しのつかないところまで来てしまっていました。目の前の食べ物が怖くて泣いたり、ありとあらゆる食べ物を詰め込むようにして食べ吐き戻したり……。食事という当たり前のことがままならなくなった、化け物のような自分が気持ち悪くて仕方がありませんでした。一生このままなら死んでしまったほうが楽だとも思いました。地獄のような毎日に終わりが見えませんでした。


9月

9月中旬、摂食障害の治療のため主治医から入院を提案されました。しかし当時の自分には入院レベルにまで悪化している自覚がありません。摂食障害であることを認めているようで否認していたい部分があったのです。
こうなるまでわたしは、必要に迫られたら何でも食べられると思っていました。それなのに、いざ食べなければならないという状況下におかれると、まともに食事を摂ることができませんでした。そう、このときにはもうすでに、自分の意思でどうにかなるものじゃなくなっていたのです。

追い詰められとうに限界を迎えていたわたしは、ある日の夜 大量の薬を流し込んでいました。わたしを救ってくれるのは自分でも精神医療でもカウンセリングでもなく、目の前にあるたくさんの薬だけだと、そう思えてなりませんでした。
目が覚めると病院で、様々な管に繋がれていました。このような方法を選んでしまうのは人生で三度目です。過ちを繰り返したことが、自分が何ひとつ成長できていないというなによりの証明でした。情けなくて情けなくて、こんな自分が人から優しさをもらうことすら申し訳なくて。いつになったらわたしはどうしようもない自分自身から、人生から解放されるのだろうかと途方もない気持ちになったのを覚えています。

治療を受け退院して、わたしはまず、変わらない現実が待ち受けていることに絶望しました。結局、薬は一瞬の逃避にしかならず、救いではなかったのです。生きたくなくても生きてしまう自分。どれだけ泣いても湧き出てくる涙に、人間のしぶとさを嫌というほど痛感させられました。食べることも寝ることもままならない生活を続けていくのはもう限界だったのです。いつかは必ず破綻するであろうこの生活を、完全に壊れてしまう前になんとかしなくてはならないと思いました。


10月〜12月

葛藤の末、入院して治療を受けることを決意します。10月中旬から約2ヶ月間、つい先日まで入院していました。(入院中に、20歳の誕生日も迎えました)

この入院生活を通して、自分自身が何か大きく変われたとは正直思っていません。摂食障害についても根本的な思考の歪みは治っていないし、双極性障害(うつ状態)についても積極的な自殺願望からは抜け出せたかもしれませんが慢性的な希死念慮は消えてないからです。
でも、だからといって入院したことが無駄だったとは思っていません。大きな変化はないかもしれないけど、小さな変化はあったと実感できているからです。
入院生活は食事や自分自身と向き合う毎日で、そのつらさに幾度となくすべて投げ出し逃げてしまいたくなりました。もう無理だ、と何度も思いました。きっと、ひとりだったらここまで頑張ることはできなかったと思います。看護師さんや入院患者さんなどの支えがあって、ひとりでは挫折していたであろう場面をいくつも乗り越えることができました。長年苦手意識のあった“周りの人を頼る”ことを練習し、経験させてくれた入院生活はそれだけでも意味があったと思えています。

先述した通り、気持ちの面では大きく変われたわけではありません。生きるのがしんどくて死にたくなる気持ちも、太るのが怖いから食べたくない(吐きたくなる)気持ちも、根強いものでそう簡単になくなりはしませんでした。
長年付き合ってきたものです。たった2ヶ月間の入院ではどうしても変わらないものはあるのだと思います。
でも、その他のところに変えられる部分もあることに気付かされました。
根本に抱える気持ちをなくすことはできなくても、それを受け入れて付き合っていくという“自分の姿勢”なら変えることができます。そうして日々を繰り返すうち、苦しみが和らぐことがあるかもしれないし、変わらないと思っていたものが何かきっかけでころっと変わるかもしれない。それは誰にも分かりません。でも、分からないからこそ、ただ“今を生きる”ということにも意味があるのかもしれないと思えるようになってきました。

もちろん、ずっと前向きに思えるわけじゃないし、浮き沈みはあります。気持ちが下降し深く落ち込むことだってあります。でも、それは逆も然りで、いつかまた浮上してくることだってありえるのです。
そんな、生きる上で大事なことに気付かせてくれた入院生活でした。


後書き

こうして今年を振り返ると、病気に振り回された続けた1年だったなと改めて感じます。決して穏やかとはいえない日々を生き延びることに精一杯で、前に進めたかと言われると自信を持って頷けません。同じところでジタバタもがいていたら今年が終わってしまった、そんな感覚に陥っているし、なんなら後退したと感じてしまう部分すらあります。
でも小さなところにも目を向ければ、きっと変われているところもあるはずです。それこそ入院生活で得た経験は、今後の人生において大事なものになると信じています。
散々な1年でしたが、踏ん張り生き延びてきた今日までの日々は、誰になんと言われようと変えようがない事実です。周りから見ればわたしは何も成し遂げられなかった、ただ生きただけの人間かもしれません。それでも、自分だけは“ただ生きた”という事実を抱きしめて大切にしてあげたいと思います。

2023年を迎えた当初は、はたして1年間生き延びられるのか不安しかなかったけど、なんとか年の瀬まで辿り着くことができました。それだけでいいのだと、今は思えています。

年が明けても何かが大きく変わるわけではありません。良くも悪くも、同じような日常を過ごすことになるのだと思います。
2024年はただ生きる、生きるを繰り返すことだけを大切にしていきたいです。そうして生きていくうちに、日常で起きる小さな変化がいくつも積み重なり、良い変化に繋がると信じて。

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