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元食品会社従業員が「ミツカン」の報道について語ってみる

ついに週刊文春も取り上げたミツカンの件。

今回の報道を見て「ええ…」と思った方もいらっしゃるかと思います。一方で私は「食品会社なら、あり得なくもないなあ…」と思ったんです。

こんなご時世に「お世継ぎ」?

個人が尊重されるようになったこの時代に、「創業家」「お世継ぎ」「養子縁組」なんてあるのかと、お思いの方もいらっしゃるかもしれません。

世間の風潮に反して、食品会社に所属していた時には「養子縁組」は割と聞くワードでした。

特に地方の企業さんだと「家柄」をいまだに重視する傾向にあり、代々その一族が社長を継いでいくなんてこともよく聞きます。

社長は代々男系の男子が継いでいく、次期社長の奥様が女の子続きの後でやっと男の子を出産した、なんて話も聞きました。

創業家に対する「宗教」とも思えるようなお話しですが、食品会社の宗教色が強まってしまうのには、「食品」という製品特有の事情もあるように思っています。

なぜ食品会社の「宗教色」が強くなってしまうのか

それは食品の価値基準が「おいしい」という非常に曖昧なものであるから、だと思っています。

多くの商品には「性能の指標となる数値」があります。スマートフォンならばチップの処理性能、自動車だったら燃費性能、といったものです。新しい商品を販売する時には、それらの指標が一つの判断基準になります。「燃費が○%向上した新製品」なんていうのは、よく見かけますね。

一方で、食品の場合「性能の指標となる数値」という明確なものがなかなかありません。「カロリー」は食品の性質を示す数値ですが、必ずしも高ければ良い、低ければ良いというわけでもありません。

では、食品会社が新商品を販売しようとする際に、最終的に「販売して良い商品かどうか」はどう判断するかというと、「カリスマを持った誰かがおいしい、と思ったら販売する」ということになります。

経営者であったり、味覚に優れた専門家であったり、判断する人は会社によってさまざまですが、「誰かのジャッジ次第で最終的に決まる」という構図が、食品会社では生まれやすいように思えます。

いろいろな食品会社で「おいしさの見える化研究」は取り組まれているのですが、「おいしい」というのは人それぞれの価値基準であり、「絶対においしいもの」が存在しない以上、なかなか画期的な研究は生まれていないのが現状です。

ミツカンという会社

このような騒動があるミツカンですが、私としては製品のクオリティは非常に高いと思っています。

以前ミツカンの従業員の方と会話限りでは、細かい製品設計まで創業家が口出ししてくることはあまりないそうで、基本的には味覚の専門家が商品を評価しながら開発を進めており、どちらかというと現場主導の会社のようです。

それを反映してか、全体的に「ソツがない」「安定したクオリティ」の製品を、比較的安価に提供してくれているのが、ミツカンだと思っています。一部のカリスマが暴走すると「なんじゃこりゃ?」みたいな商品が出てくるのですが、ミツカンではそういった商品は少ないかなと思っています。

正直なところ全くもって清廉潔白な会社はないと思います。ミツカン製品のクオリティと自分の生活環境のバランスを考えると、依然としてミツカン製品は使っていこうかな、というのが私個人の意見です。

今回の報道を受けて「ミツカン製品は絶対買わない!」と思う方もいらっしゃると思います。一方で、かわりとなる製品がないのも現実なんです。小さい地方の食品会社だとこの手の後継ぎ話は聞きますから、「地方の会社で販売している製品に乗り換える!」といっても、結局同じようなことになってしまう印象が、私にはあるからです。

一方で、一人の父親として、この件はやりきれない思いがあるのも事実です。報道の方はお子さんと全くコミュニケーションを取る手段がない、とも。せめてお子さんと少しでもコミュニケーションとれればと思っています。今後の推移を見守っていきたいです。

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