【情熱が免許】経験値ゼロ・資格なしの底辺スタートから日本語教師になった話
免許はありません。
教えたい!という気持ちが免許です。
こんにちは、ゆうです。今日は、これからフリーで日本語教師・英語講師などの講師業をしたいな、という方の後押しをする記事です。
「資格がないなら、情熱が資格」をモットーに、私が今に至るまでの道のりについて書いていこうと思います。
今振り返ると、スタート地点は惨惨たるものでした。
当時の私は、22歳。
そんな私は今でも自営で日本語を教えており、固定の学生さんも付き、生活が回っています。
なによりも、楽しい!
そんな現在に至るまでの道のりを、かの22歳の地点からさかのぼってお話をしていきたいと思います。
初めに今日の記事のまとめを3点書いておきますと、
1.なぜ日本語を教えたかったか
当時わたしは、オーストラリアに滞在しており、生活費をどう稼ごうか思案していました。
普通ならレストランやカフェでバイトをしようという方向に頭が回るものですが、手を使う仕事が人よりも圧倒的に不器用だったわたしは、手を使わなくても良い仕事は無いかと考えていたのです。
そこで日本語教師なら、手は使わないし、仮に教員免許があれば時給$80を稼げる世界です(時給6500円)。免許がなくても、もしかしてそこそこの時給になるかもしれない…!おまけに、昔から語学が好きだったわたしにとっては、まさに天職!もちろん日本語は好きです。中学生の頃は、「漢字の書き取り」の宿題をみんなの10倍やっていました。
「単語学習は友達作りと同じ」だなんて言う記事を書いているくらいですから。少し裏話をしますと、22年間友達がいなさすぎて、友達になってくれるのが単語達くらいしかいなかったから語学が好きだったのですよ...という悲しい過去がありますが、まぁ良いじゃないですか、今ではこうして幸せなわけですから。
少し脱線しましたが、そんな背景もあってかやる気は人並み以上あったのです。
ただ、決定的に無いものがありました。
教員免許です。
チーン。
100人中99人の正常な判断力の持ち主はこの時点で、諦めるか素直に日本語を教えるための学校に通うかのどちらかを選択するでしょう(厳密には日本語教師の免許は存在しない)。
しかし、情熱に溢れすぎていて正常な思考ができなくなっていたわたしは、その翌週に図書館のミーティングルームを借りて日本語教室を始めることにしていたのです。
2.初めての授業は悲劇
流石に最初からお金を取るのはマズイだろうと言うことで、試験的に、無料の授業をすることにしました。
ミーティングルームは10人くらい入る部屋だったので、勢い余っていた私は7人くらい、友達の力を借りて集めてしまいました。
日本語指導経験0時間、準備時間5時間の授業のはじまりはじまり!
と同時に地獄を見ました。
まず、圧倒的コミュ力不足で、言葉のろれつが回らない。というより、吃音に次ぐ吃音。みんなの視線を感じる。今まで人間と話してこなかった自分を呪った。
次に、矢継ぎ早に飛んでくる質問に答えられない。圧倒的知識不足。うまく返せて、吃りの無い英語で「Sorry, I don't know」を言うことくらいでした。
最初の10分で大失敗が確定した授業を1時間続けるのは本当に苦痛でした。
授業が終わり、友達の友達は帰っていきましたが、友達は残ってくれて慰めてくれていました...
3.英語圏で英語を手放し日本語の勉強
数日間は落ち込みました。
しかし傷は受けたら治すもの。
「知識がないなら、勉強したらいい!」と自己奮起して、猛烈な日本語の勉強を始めました。もちろん英語は視野の外です。
あえてもう一度言いますと、わたしがその時居たのはオーストラリアです。英語圏?知りません。汚名をそそぐため、日本語に全力投球!
本当になかったです、理性。完全に情熱だけで動いていました。
来る日も来る日も日本語の文法の勉強に充てていました。その傍らで、毎週日本語の授業会 (無料)を開催しており、インプットした知識を即アウトプットするようにしていました。
最初に大失態をやらかしたので、参加人数は減りましたが!
このようにして、ひたすら実践を繰り返したので、欠落していた知識が少しずつ補われてきました。結局、半年はボランティアで日本語を教えてましたが後悔はありません。
2つ面白いことが起き始めたからです。
・22年悩んでいた吃音が治り始めた
・参加人数が回復した
どちらも嬉しいのですが、特に喜ばしかったのは後者の方です。しかも参加人数が増えた理由は、1回めの惨劇授業に居合わせた人が、彼らの友達を連れてきてくれたこと!!!
つまり、認められたんだと。
嬉しいとは何ぞやを知ったのは、この日でした。
泣く勢いで。
この頃の経験が、今フリーランスで語学講師をしている自分の原点です。
本当に一歩踏み出してよかった。
4.ついに一時間$12で教え始めた
そんな経験が自信になり、お金をとって日本語を教えようと決めました。
教員免許がある先生は「$80/時間」が相場で、
フリーの先生は「$30/時間」が相場でした。
当時は最低時給が$17くらいだったので、オーストラリアでは自営の先生というのは通常のバイトよりも儲かる国です。ワーホリにこれから行こうという方は知っておいて損はないでしょう。(2019年現在の最低時給はほぼ$19)
値段とは信用を表します。
教員免許を持っている先生とそうでない先生の間にある差は信用の差です。
免許がある=一定のクオリティで教えてもらえるという信用を意味します。
しかし当時の私には、教授経験も浅ければ、免許もありませんから、まだ信用が蓄積していません。$30という値段で自分を売り込んでも、だれも私から学びたいと思わないことでしょう。
だからまず$15/時間で始めようと思ったのです。
が、
誰も来ず。
2回めの、チーン。
そろそろ生活費が底を付き始めていたので、
同時に3回目のチーン、が鳴ります。
結局、$12/時間まで下げ、やっと1人学生が付きました。
当時「$1=80円」くらいだったので、額面では時給960円と言ったところでしょうか。
しかし、その学生、図書館のミーティングルームで教えていた初級の内容より少し高いレベルの内容につまずいていたので、毎回授業準備に2~3時間割いていたので、実質「$12/3時間 = $4/時間 = 時給320円」で教えていたようなものです。
もしこの時、情熱がなかったら、止めていたことでしょう。
でも情熱だけが唯一の支えでした。だから前に進めました。
5.$20/時間、$30/時間で教えられるようになった
時給320円という視点で見たら、割に合わないと感じる人が多いはずです。
しかし見方を変えて、
まだ自分の知らない内容を勉強し、アウトプットをすることに対して、320円も毎時間支払われていると考えたらどうでしょう?
勉強しスキルを上げることにし対して、報酬が支払われている。
とても大事な点ですが、
無料で教えていた時期よりも、お金をもらって教えていた時期のほうが勉強に身が入りました。勉強不足は顧客の損失を意味します。だからその分、勉強が必死なのです。
(初期の授業の頃の原稿。こんな手書きの草稿が100枚ほどあります。)
少し脱線しましたが、こんなに割のいい話はないのでは?
と思い半年ほど続けた結果、初級日本語しか教えられなかった私は、初中級日本語も教えられるようになっていました。
そこで、$20/時間で宣伝してみたところ、2人ほど集まったのです。
生活が安定し始めたのは、この時期です。
後は速かったです。
このサイクルを安定的に回し続け、安定的な成長を遂げたので、稼ぎも安定的に増えました。
スキルがアップするにつれて、時給を$5自分で上げていき、初回の大惨事授業から7年経った今は$55/時間で教えても安定的にお客さんが付くようになったのです。
軌道に乗るまでは時間がかかりました。
それは、軌道とは何であるかを知るのに時間がかかったからだとも言えます。
軌道とは先ほどのサイクルのことです。
これからフリーランスで日本語や英語を教えたいという方の参考になればなと思います。
まとめ
フリーランスで、教えることを仕事にしようかどうか迷っているなら、始めるのは早いほうが良いと実感しています。
1に、情熱がある内に始めたほうが加速しやすいという点。
2に、自分のスキルに応じて、市場の中での自分の価値が決まっていく点。
スキルは1日ではつかないし、予習→実践→反省を繰り返してつくものですから、始めるのは1日でも早いほうが良いと思うのです。
22年間友達がおらず、重度の吃音などのコミュ力問題を抱えていた、スタートの条件が極めて悪い私ですらここまで来ることができました。
(ちなみに今は、吃音どころか、早口を何とかしてくださいと言われるほど)
結局の所、鍵は情熱であると思うのです。
さぁ、情熱を免許書に!今日から1歩進んでみましょう!
(オーストラリア、自宅庭で撮影)
1言語1人格。語学だけで終わらない語学の学習を始めとして、留学・海外生活について投稿しています。フォローしていただくと、語学の勉強が楽しくなります。