ロング・キャトル・ドライヴ 第五部 連載3/4「泡沫に消えゆく幻」
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これまでのあらすじ
川底には仄かな灯りに照らされて
男が横たわっている。
(コポポ . . . コポポポ . . . )
俺の吐く息が泡となる音が聞こえるだけで
静寂が広がっている。
およそ20メートルほど潜った水底には
何者かの屍が横たわっていた。
(これがヒューゴの
成れの果てなのだろうか?)
南北戦争の時代から30年が経過しており
白骨化することなく人の姿を留めていることが
奇跡である。
俺は息が苦しくなってきた。
(だめだ。息が持たない。)
俺はいったん水面に顔を出そうと
浮上する。
「ふはぁー . . .」
俺もユーレクもほぼ同時に水面に顔を出して
息継ぎをしていた。
カルロスとパコ叔父さんは
俺たちが川面に浮上している間は
躰に結んだロープを引き上げてくれている。
浮上中は橋上からロープで吊ってもらうことで
地上との連携を取る際に体力を温存し
潜水による川底の捜索を
より安全に行なうことが出来るからである。
「おーい!どうなっている?」
橋上からカルロスが声を掛けてくる。
「たれかの屍があるみたいだ!」
と俺は叫んだ。
ユーレクも神妙な面持ちで深く頷いていた。
パコ叔父さんは
代わりの水中トーチとロープを投げ入れて
「そのロープをホトケさんに結えてくれ。」
「任せときな!」
俺とユーレクはふたたび川底へと潜る。
水中トーチで川底を照らしながら
先ほど遭遇した人影を探索する。
俺もユーレクも水中に潜って居られるのは2分が限界だ。
深く潜るほどに水圧も増して頭の中でキーンと
圧迫されるような耳鳴りがする。
その時、
ユーレクが指を差した先に人影が見えた。
その人影はひどく孤独であった__ 。
世界広しと云へども
これほどまでに人目から切り離され
或いは忘れられる存在とは
このことであろうか。
息苦しさが度を増して襲ってくる。
躰は水圧で軋むかのようで
全身が悲鳴を上げ始めた。
俺たちは
川底の屍に用意していたロープを結える。
ぬめっとした感触がする。
腐敗が相当に蝕んでいるのだろう。
何とか縛り上げることに成功した。
(可哀想に。あともう少し . . . 待ってろよ。)
ユーレクと合図を交わし
一目散に水面に浮かび上がろうと泳ぎ出した
瞬間の出来事であった。
屍の口元から無数の泡が吐き出される。
「⁉︎」
信じがたいことに
またもや残留思念のような映像が
頭の中に訴えかけるように
フラッシュバックする。
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「ママ! ママ!」
小さな男の子が走り回っている。
街並みはカラフルなカフェやマルシェが
色とりどりの花束のような軒並みで街を彩っている。
「ママ!お菓子作ってくれるの?」
と小さな男の子は嬉しそうにはしゃいでいる。
母親と思しき女性は
しゃがみ込んで男の子の目線に合わせて
ニッコリと微笑んだ。
「そうよ。ヒューゴ。
あなたがお利口さんだからママがお菓子を
作ってあげるからね。」
「わぁーい!ママ大好き!」
男の子は満面の笑みで街並みを走り回る。
「おーい!坊や。ちょっとこっちにおいで。」
花屋のおじさんが男の子を呼ぶ。
「なあに?」
男の子は花屋のおじさんに呼ばれると
一輪の小さな花を手渡された。
男の子は神妙な面持ちで
花屋のおじさんの言うこと聴いていた。
「うん!わかったよ。おじさんありがとう。」
男の子は母親に歩みより
背伸びをして母親のブラウスの胸ポケットに
ラベンダーの花を挿した。
「あら?小さな紳士さん、ありがとう!」
胸のすくような花の香りが鼻腔をくすぐる。
男の子は母親に頭を撫でられて
手のひらから伝わる優しい温かさに
無垢そのものの眼差しを向ける。
「エヘヘッ!」
青空は目映く__
男の子の笑い声が街並みの雑踏に
溶けてゆく。
泡はプクリと音を立てて
水面へと消えていった。
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パリ市街の北にあるモンマルトル近く
窓からぶどう畑がよく見える
部屋の一室に場面は移る。
「お母さん。俺はアメリカに行くよ。」
青年は決心を固めていた。
まだ見ぬ夢の果てにあるもの__
若さとは時に無謀であり
愚かに映るのかも知れない。
「ヒューゴ . . . 私は離れていても
いつも見守っているわ。」
母親は息子を抱きしめる。
(今生の別れになるかも知れない。)
ふと、母親の心に一瞬不安がよぎる。
言葉は裏腹に
不安な心をかき消すようにして
「神のご加護があらんことを__ 。」
窓から入る風がテーブルに置いてある
聖書のページをハラリハラリとめくっていた。
"箴言4章:23節 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。"
と書かれているページに目が留まる。
「ヒューゴ . . . あなたは私の宝よ。
その心のまゝに生きててちょうだいね。」
母親は愛する我が子の巣立ちを祝福した。
いつか見たラベンダーの押し花が
聖書のしおりとなっている。
「お母さん . . . お母さん . . . ありがとう。」
そして、またひとつ
泡がプクリと音を立てて消えていった。
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さらにまた、
白く美しいアルビノ女性の場面に切り替わる。
「少し外の風に当たろうか?」
青年は負傷した足の具合もずいぶんと回復し
「松葉杖も慣れておかないとな。」
と笑顔を見せる。
その美しい女性はにこやかに微笑んで
「ヒューゴさん。付き添うわ!」
ふたりは
非常階段の踊り場に出てみると
眼下にはカンバーランド川が広がる。
秋の風がプラチナブロンドの髪を靡かせる。
「気持ちの良い風ね。」
そして、女性はそっと
頭を青年の肩に寄せる。
思わず青年は
持っていた松葉杖を落としてしまう。
少しよろけた瞬間
女性は寄り添うように青年の身を支える。
「ごめん . . . 。」
と云って青年は階段の手すりを掴もうとする。
女性は耳元でささやくように
「いいの . . . 。このままでいいの。」
そういって固く抱きしめる。
言葉は要らなかった。
女性は青年の耳たぶにくちづけをすると
青年は女性の肩に手を回して
目を見つめ合いながら
何か愛の言葉をささやいている。
くちびる同士が微かに触れ合う。
ふたりは情熱的なフレンチ・キスを交わして
絡み合う舌から伝わる脳天が痺れるような
幸福感に満ち溢れる。
ふたりを見守るように
カンバーランド川は静かに流れを湛えていた。
そして
泡はひとつひとつの想い出を包みながら
透き通る青の世界に弾けて消えてゆく。
水面から射す陽光が
無数の泡を乱反射させていた__
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・
俺たちは不思議な感覚に包まれながら
ようやく水面に顔を出した。
カルロスたちは俺たちが浮上するのを見届け
「おーい!どうだった?」
と声を掛けてくれた。
俺とユーレクは親指をグッと突き立てた。
「首尾よく行った!このまま岸まで
ホトケの
誘導をたのむ!」
と地上向かって伝える。
カルロスたちは慎重にロープを引き上げながら
ダウンタウン側の船着場まで誘導する。
俺たちは岸まで泳ぎ渡り、陸に上がると
カルロスたちが携えているロープをゆっくりと
引き上げはじめる。
水面に褐色に朽ち果てた人の形をした物体が
浮かんでくる。
水底で見たものとは違う__ 。
激しく腐敗が進行したさまに
俺は思わず目を背けてしまった。
(こんなになるまで . . . たれにも気付かれずに
とても寂しかったろうに。)
ヒューゴの希望の翼は哀れにも
打ち砕かれたのだ。
俺とユーレクが見たものは
ヒューゴと云ふひとりの青年の儚き夢__
泡となり潰えてゆく幻をみたのだろうか。
俺たちの引き上げた亡骸は波紋を呼ぶ。
ナッシュビルの街は人々の噂が飛び交い
騒然とざわめき出すのだった。
《つづく》
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