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"アンチヒーローの美学" 田原成貴さん 神騎乗5選


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アンチヒーロー__
田原成貴さんを表現するなら
そんなイメージがつきまとう。

度重なるドラッグ問題を起こした過去の人__
そう思っていたが、2021年末に長い沈黙を経て
田原成貴さんがメディアに復帰されました。

田原成貴さんは元JRAのトップ・ジョッキー
そして数々の漫画やエッセイなどの執筆活動で
ミリオンセラー作家でもあります。

多才である彼のレース運びを観ると
才気に溢れ、アイデアに富んでいる。
「騎手の手腕とは何か?」を常に感じさせる
一際、輝く才能の片鱗を垣間見せる
稀有な存在でした。

それでは田原成貴さんの神騎乗を5つ紹介します。

マヤノトップガン

1997年 天皇賞(春)
2枠 4番 黒帽

世代最強馬サクラローレル
実力馬マーベラスサンデー
この2頭がレース中盤の道中から
しのぎを削り合う展開となった。

だが、淀の3コーナーの坂の登り下りで
じっくり折り合いをつける田原とトップガン

鋭利に研ぎ澄まされた末脚を直線で爆発させ
鮮やかな大外一気を決めてみせて
当時の日本レコードタイムで勝利を飾る。

トップガンは明け6歳となってから
全盛期の力量に翳りを田原は察知した。
先行策では勝機がないと見るや
大胆にも脚質転換を図り、この大一番での
会心の騎乗を演じて見せるのであった。

まさに勝負師の面目躍如である。


ファイトガリバー

1996年 桜花賞
2枠 4番 黒帽

ハイペース必至の桜花賞
内枠4番のファイトガリバー
各予想紙でもノーマークの存在であった。
無印の10番人気に甘んじていた。

しかし、手綱を握る田原は意にも介さず
「道中はキレイな桜を眺めながら__」
慌てず騒がずインコースで脚をためていた。

彼の読みは冴えわっていた__

人気の先行馬群は道中のハイペースで消耗し
直線に入ってからもがく馬込みを縫うように
鮮やかに豪脚を伸ばしてくる一頭の馬がいる。

「ファイトガリバーだ!」

あれよあれよと言う間に先頭でゴール板を
駆け抜ける。

"当然、勝てると思っていた"
彼の頭の中にあるイメージ通りの競馬に

着順は確定し、前年に続く通算4度目の
桜の載冠に輝く。
観ている者たちはただただ舌を巻くのであった。


フラワーパーク

1996年 スプリンターズ・ステークス
8枠 11番 ピンク帽

電撃の6ハロン戦
この1200mのスピード王決定戦は
競馬史上に語り継がれる名勝負となる。

直線で両者一歩も譲らないデッドヒート
逃げるエイシンワシントン
一歩づつ追いつめるフラワーパーク

田原はこの瞬間に賭けていた__
ゴール板手前での刹那に手綱を引き絞る。
タイミングを見計らって手綱を解放する。
といったはなれ業をやってのけた。

それはゴール板を駆け抜ける一瞬の呼吸
フラワーパークの手綱が解放された瞬間に
弾機ばねが弾かれたかのように
鼻面が突き出された。

勝負は行方は写真判定に__

結果、フラワーパークが栄冠を勝ち取る。
その差はわずか1cmに満たないのであった。


トウカイテイオー

1993年 有馬記念
3枠 4番 赤帽

競馬界の重鎮
故大川慶次郎に「20世紀最高のレース」
と言わしめた。

昨年の有馬記念で1番人気に推されるも11着
惨敗を喫し、故障休養を余儀なくされる。

そして、再起をかけた1年ぶりの有馬記念
休養明け緒戦のGⅠで常識を覆す奇跡の復活
 
直線鋭く伸びる菊花賞馬ビワハヤヒデを
かつての輝きを取り戻したテイオーは完膚なきまでの力でねじ伏せる。

その、あまりにドラマティックな光景に
競馬ファンは度肝を抜かれたのだった。

勝利騎手インタビューで
感極まる田原の目に涙が光る。

その男泣きに競馬ファンは
馬券の当たり外れなど吹き飛ぶほどの
感動を覚えたに違いない。


フジワンマンクロス

1996年 洛陽ステークス
8枠 15番 ピンク帽

この平場のオープン特別の騎乗は
田原成貴という騎手を語る上で欠かせない
最も印象的なレースと言える。

競馬をこよなく愛したエッセイスト
寺山修司の言葉を借りれば

__中略

他馬の馬群から十馬身以上はなれて、
一頭だけで走ってゆくのである。

それは、はるか群衆を離れて、という映画のタイトルを思わせる
ひどく孤独なレース運びなのである。


田原いわく__
「この馬は曲がるのが、下手くそだったから
スタート直後も真っ直ぐ走っていった。」

そのひらめきと実行力
アウトローの美学が薫り漂いすらする。

リスペクトは止まらない。


後日譚
1995年10月25日

当時、私はアマチュア・バンドに在籍し、
京都市北大路通りにある「muスタジオ」で
バンドのリハーサル練習をしていた時のこと。

バンド練習の休憩時間
スタジオ内のフロントにはTVが置いてあり
アルバイトの店員が野球中継を観ていました。

ヤクルトvsオリックスの日本シリーズ
ヤクルトの王手がかかっている試合で
日本一なるか?と注目の試合でした。

すると__
もう一つ別のスタジオ部屋から人が出てくる。

その方も日本シリーズが気になっていたのか
「ヤクルト勝っとるんか?」と
気さくに声をかけてこられました。

「ヤクルト、リードしているみたいっすよ。」
と軽い口調で返答し、その方の顔を見ました。

あれ?この人どこかで見たような…。

タヴァ…タヴァラ…タヴァラセーキ⁉︎
そう、なんと田原成貴さんでした。

当時、泣く子も黙るトップジョッキーの出現に

「ひょっとして、田原成貴さんですか?」
と恐る恐る尋ねてみる。

「あゝ そうだよ。」と応えてくれました。

そのオーラにすっかり舞い上がり
「タヴァ…あ、いやレースがんばって下さい。
いつも応援していますんで。」
としか言えませんでした。

「ありがとよ!」と実に気さくに返事され
颯爽とスタジオに引き上げられたのでした。

そう田原さんはロックバンドのヴォーカリスト

"The Rocks"で垣間見せる
アンチヒーロー然として如何にも
Sex, Drug, Rock'n Roll な雰囲気を漂わせ
ておられたことを憶えています。
(ホンマにキメてたのね…)




そして翌週__
マヤノトップガンで菊花賞を制する
田原成貴さんなのでした。

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最近、YouTubeの東スポチャンネルで
騎乗技術や騎手心理をお話しされてます。

明晰かつ論理的__
話の含蓄も面白く、
今もなお、お元気に活躍されていることが
嬉しく思います。

長文、お読み頂きありがとうございました。


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