高橋輝🇹🇷素人がトルコでプロサッカー選手を目指す
2016年。20歳の時にインドでバックパッカーをした話。 サッカーをはじめる前の旅行記&エッセイです。
実は、股関節の怪我をしてしまっていて、2ヶ月ほどサッカーができていない。 相当落ち込んだ。 そこでこの機会に、「自分を知る」的なワークショップ(「Wave-sスターティング」という名前 https://www.wave-s.biz/ )へ行き、サッカーだけでなく、自分の人生全てと向き合ってきた。 そこで学んだこと、感じたことをこの場でシェアしようと思う。
サッカー選手としての活動報告を書きます
ここ最近、怪我をしていて、整形外科のリハビリに通っている。 整形外科の受付には、いつも同じお姉さんがいる。 数週間通っているうちに、お会計の時など、少し会話をするようになった。 お姉さん:「ポジションどこですか?私もサッカーやってたんですよー」 俺:「センターバックですよ、ポジションどこやってたんですか?」 みたいな。 ある日、いつものようにその整形外科へ行くと、そのお姉さんの髪型が変わっていた。可愛くなっていた。 「髪型変えた。可愛い」と思っても、今までなら恥ず
人からたまに褒められることがある。 かっこいいね! 身長高くて良いね! 個人事業主やってるって、すごい! プログラミング独学したってすごい! 頼れる! 爽やかで素敵! これらのことを言われて、心のどこかで嬉しがっている自分がいる。 でも、自分よりすごい人はいくらでもいる。 そういう劣等感から、相手への返答は、 「いやー、へへ。でも、〇〇」と言っていた。 「〇〇」には、 「身長高くて良いね!」の場合、「食費半端ないし、着れる服も少ないんだよー」とか。
俺はプロサッカー選手になりたい。 サッカーが好きだから。 趣味として、その延長でプロサッカー選手になりたい。 かつての俺「22歳からはじめたサッカーで、プロを目指す」 かつて俺は、壮大なストーリーを描こうとしていた。 「俺の挑戦で、みんなに勇気、希望や元気を与える。絶対に諦めない」 壮大なストーリーを描くことで、人から応援されようとしていた。 目立とうとした。 カッコつけようとした。 人からチヤホヤされようとした。 人から好かれようとした。嫌われないように
人を100%信頼するのが怖い 俺は、人を100%信頼するのが怖い。 家族も、友人も。 どんなに親密な関係になったとしても99,9%までしか信頼しない。 「信頼しない」、というより、「信頼できない」。 100%信頼して、その人を失った時がこわいから。 悲しみに打ちひしがれ、絶望するのが嫌だから。 保険をかけて、その人を失っても傷つきすぎないようにする。 100%信頼したくても、自分の心には殻があり、信頼に対しての無意識(潜在意識)の制限をかけている。 無意識であ
潜在意識俺の心は、硬い分厚い殻で覆われている。 生まれた時の心はツルツル&純真無垢だったのに、27年間の人生で無意識に頑丈な殻を作ってしまった。 殻は簡単に壊せない。 その上、壊すことを自分で無意識に(潜在意識で)セーブしている。 素の自分をさらけ出すのが怖いから。 殻を作った理由なぜ殻を作ったかって? それは、俺の子どもの頃の体験に大きな理由がある。 俺の親はめっちゃ怖かった。手がでることもあった。 そんな親が怖くて、俺は本性をさらけ出すことを辞めた。「良い
過度なストイックの先にあったもの俺は焦っていた。 焦って焦って自分を追い込み続け、サッカーに人生の全てを投下した。 その先にあったのは、 キラキラした「プロサッカー選手」ではなく、 怪我。 絶望。 孤独。 渇き。 そんな自分に気づき、変わる(取り戻す)きっかけになった話。 サッカーだけでなく、自分の人生を俯瞰的に見れるようになった話。 それが、「象徴と体験」の話。 象徴と体験 「象徴と体験」の話は、「象徴」と「体験」が自分にとって何なのかを理解するところ
最近の練習試合での、一番の課題は、試合開始後10分間くらいの、入りが悪いことでした。 試合開始後10分間くらいは、普段ではしないような判断ミスをすることがあります。 ググったり、友人から話を聞くなどして、次のように改善した結果、今日の練習試合の入りは過去最高でした。 1.ルーティーンをつくる(自分の場合、試合開始直前にジャンプを3回する) 2.※キックオフ90分前から、コーヒーを少しずつ飲む(カフェイン摂取) 3.体がMAXまで温まった状態で試合開始する ※ググったところ
チームと契約できることになったけど、移籍問題発生。2/15の期限までに手続きが終わらないと、トルコでサッカーができない。なのに手続きがごたついてる。移籍が無理だったら、たぶん帰国。 この1年、トルコで挑戦し続けてきた自分にとって、この移籍問題は絶望だった。 何としてもトルコでサッカーしたいけど、考えるだけで頭が痛くなるから、考えることをやめ、とりあえずサッカーのプレーだけに集中しようとした。 トルコでやるにせよ、日本に帰るにせよ、常にトレーニング・レベルアップしないと生き
「プロサッカー選手を目指しているけど、サッカーが下手」で、取り柄もなかった自分ですが、2022年2月、単身トルコに渡り「トルコリーグでプレーする唯一の日本人選手」となりました(今では元日本代表の中島翔哉選手もトルコにいます)。 サッカーが下手な自分。「ナンバーワンになれないなら、せめてオンリーワンになろう」と考えた上での決断でした。 日本人サッカー選手にとって未開の地トルコ。日本語情報が一切無い中、あの手この手で泥臭く行動し、沢山の方々に迷惑をかけ、沢山の方々にお世話にな
チーム練習(トルコ7部)は週3回。登録の関係上、公式戦は出れてません。 チーム練習とは別に、個サルに週2回ほど行きます。 自主練は毎日1時間~3時間程度(疲労により調整)しています。 以下、だいたいのスケジュール。 月曜 11時 起床・朝ごはん 14時~16時 自主練 火曜 11時 起床・朝ごはん 14時~15時半 自主練 19-21時 チーム練習 水曜 11時 起床・朝ごはん 14~15時半 自主練 20-21時 チーム練習
俺たちのようなバックパッカーは、定住する宿がないため、毎日バックパックを背負って行動する。 そのため、荷物は最小限にする必要がある。 不要になった荷物は売るなり捨てるなりした方が良い。 話が前後するが、ここでは俺たちの仲間、篠原のエピソードを紹介する。 彼はアグラのバス停にいる間ずっと下痢で苦しんでいた。 やがて、バスが到着。 残念ながら、このバスにトイレはない。 また、大勢の乗客がいるバスでは個人的な理由で運行を妨げることは許されない。 ましてやここは異国の
2016年12月31(7日目) 俺たち3人は体調を崩していたため、ひたすら寝た。 でも今日は大晦日。 頭がぼんやりしながらも、インドの年越しがどんなものなのか気になった。 ふらつきながらも、夜はゲストハウスの屋上へ。 煙がすごい。インドでは爆竹や花火をして年を越すようだった。 爆竹を他人の家の庭に投げ入れて騒いでる奴もいた。 2017年1月1日(8日目) 午前は爆睡。 午後になると体調も回復し始め、バラナシ散策に出かける。 すると後ろから「ニホンジン?ドコイ
2016年12月30日(6日目) 寒さで凍える中、深夜にやっとバスが到着。 このバスは寝台バスだった。 しかし、俺たちの予約した寝台がどこかわからない。 運転手に聞いても首をかしげるだけ。 その上、全ての寝台を探しても空いている部屋は1つしかない。 その1つに俺たち3人が入るなんて無理な話だ。 "あぁ、また騙されたのだ" チケット売り場のおじさんの顔がよぎった。 おじさんへの憎しみや悔しさより、絶望から来る無力感の方が強かった。 寒さによる体調の悪さで、怒る気力
2016年12月29日(5日目) 「ドンドンドン!」 ドアのノックで起床。 眠い目をこすりながらドアを開けるとホテルのおっさんがいた。 「コピーをとるからパスポートをよこせ」と言う。 怪しい。 パスポートは闇市で売れば良い値段になる。特に日本人のパスポートは高値で取引される。 "パスポートを奪われるのではないか?" という疑念が俺の頭をよぎった。 パスポートを渡して俺たちはおっさんについていくことに。 万が一の場合、警察に届け出るため彼の写真を撮る。 シャ
2016年12月28日(4日目) 本日はトレーニングデー。 朝から筋トレをはじめる。全裸筋トレだ。 今まであまり触れてこなかったが、俺たちはバックパッカーだ。 寝る場所は決まっておらず、毎日旅をして寝床を探す。なので洗濯をしても、衣服を乾かす時間がなく、服を汚したくない。そのため、汗をかく筋トレは必然的に裸となる。 ウォーミングアップをしてからまずはスクワットジャンプ、デッドリフトジャンプ。 友人の駿太郎はゴミ箱に手をついて腕立てをしていた。なぜゴミ箱を使っているの
2016年12月27日(3日目) ホテルで朝食を食べていると初めて日本人に会った。 俺たちと同じく3人組。同じホテルに泊まっていて、どうやら大学生らしい。 俺たちと同じく、DTTDCにツアーを組まされたようだ。 「俺らもぼられたんですよ〜。でももう良いかなって感じでツアー楽しんでます〜」と。 これだから日本人はナメられる。 許さんぞハニー。 タクシー運転手リカルドにデリー(ハニーのDTTDCがある場所)へ戻る旨を伝える。 スケジュール上、今日はジャイプル観光とな