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ドはドーナツのド

さて、今までの記事を消して心機一転また始めたいと思っているわけですが、まずは初めに読んでいただきたい、自己紹介のようなものにしようかと思います。

わたしは東京のはずれで、うさちゃんと一緒に暮らしています。ホーランドロップの男の子です。耳の垂れた、あの子です。とっても甘えん坊で、毎日癒されています。
現在は求職中なのですが、わたしのメンタルの病から、なかなか難しいものとなっています。
まず、あまり仲良くない人と接するのが苦手なのです。ですので企業様の同僚の方とかともあまり話したくありません。しかしそんなわけにはいきませんよね。何がそんなに苦手なのかはまだわかりません。あんまり自分のことを知って欲しくないんです。
ですので、そんな毎日が続くと、朝家を出ることがだんだんできなくなってしまうのです。
わたしは恐らく欠陥人間で、物事を続けることも苦手なんだと思います。

そんなわたしですが、若いころ単身渡米して3年半向こうで暮らしたこともありました。LA近郊で暮らしていたのですが、初めての一人暮らしはアメリカなのです。英語なんてマイナスのところから始めて、語学も文化とかの予習もまるでしないで、気候がよさそうだからLAにしたのでした。
しかし実際LAはわたしにとても合っていたように感じます。みなさんフランクだし、危ないところではありますが、それゆえに危機管理能力も培うことができました。
最初の半年は、ペルー人のお宅にホームステイしていました。その家族がまた複雑で、再婚同士の両親の間に娘が一人おり、彼女だけが英語を話せるネイティブだったのです。ほかに、父親の連れ子と母親の連れ子が暮らしており、ネイティブな彼女以外の会話はすべてスパニッシュでした。
何の英語の勉強にもなりませんでした。
これではいかんと思ったわたしは半年でそこを出て、一生懸命アパートを探して、お友達とシェアすることとなりました。
車がないと生活できないので、77年式のアコードを買いました。学校も、日本人だらけのところをやめて、プライベートレッスンを受けるようになりました。シェアしていたアパートは、仲間たちの集いの場となり、リビングに居候まで出来ました。いつもみんなで楽しく過ごしていて、あの時期あの時間はわたしにとって何にも代えがたい財産です。
しかし渡米から1年後、予定であった帰国の時期となってしまいました。わたしのビザは5年あったので、わたしは残ることとし、友達たちは一斉に帰国してしまいました。そこで初めての一人暮らしです。リビングに行っても誰もおらず、猛烈にさみしくて、そしてわたしは精神を病みました。
もともとうつ気質だったのですが、爆発してしまった感じでした。あまりその病気がひどかった時の記憶はありません。
ある時旅行したのが原因でお金がまるでなくなってしまい、わたしは違法とされているアルバイトをこっそり始めました。日本人の集う飲み屋のねえちゃんだったのですが、そこに来ていた日本人の若めの男性と出会います。
異国で会う同じ母国の人間は、日本で同じ人に出会うのよりもっと特別なものであり、わたしたちは結婚にいたり、アメリカ内での籍をまず入れました。しかし、お嫁さんをもらったり犬飼ったりするまえにまず仕事だろみたいに怒られたらしく、強制的に日本に帰国することとなってしまいました。

ところでわたしは実家が大嫌いです。気の休まることは決してない場所でした。居場所がないのです。そしてわたしはひとりっこであり、その境遇を共にできる存在がいなかったのです。
帰国して取り敢えず実家に戻りましたが、耐えられなくなってわたしは半年ほど経ったのち、アメリカで結婚した人の実家に逃げ込みました。今思うとよくそんなことしたなと思いますが、わたしも生きていかなければならないのでそうしたんだと思います。
そこで何年か暮らして、27の時に日本でも結婚することとなりました。彼の方は恐らくしぶしぶだったと思います。
わたしは向精神薬を飲んでいるので子供を作ることはせず、しばらくして実家を出て二人で暮らし始めました。
しかしつまらん。
なんだか苦痛だ。
というのも、彼はわたしを完全に見下しており、わたしは見下されている女をずっと演じていたのです。わたしのいうことはちゃらんぽらんで、とにかく俺より下、といった感じの扱いでした。病気の方もよくならず、定期的に腕を切ったり、自殺未遂もしました。そんなときでも彼も、誰も、なんで切ったかとか、どうして死のうとしたのかを聞く人はいませんでした。
死のうとした原因は、彼の親と少しもめた時、わたしにではなく親の方の味方をしたからで、わたしはこの世に本当にひとりなんだと痛感したからでした。その時たとえわたしが今死んでも、世界は変わらず廻っていくし、日常は滞りなく続いていくのだと感じ、なんだかもうほんとにあほらしくなって、死ぬときようにってとっておいたお薬を漫画喫茶で飲みました。
気付いたら病院で、たぶんカメラに倒れたわたしが映り、救急車を呼ばれてしまったのだと思います。聞くところによるとあと少し遅かったらこと切れてたとのことで、わたしは死ぬことに失敗しました。
そのあともなんとか必死に生きてきましたが、結婚生活そのものにつかれてしまって、結婚してから11年ほど経ったとき、離婚しました。
それまですごく太っていたわたしは、ひとりで生活するようになってからみるみる痩せていき、結婚前の体型に見事戻りました。ストレス太りだったんでしょうね。
ひとりの生活が始まったのですが、いかんせんわたしは欠陥人間です。お仕事が続きません。失業保険とかでなんとか生きていましたが、もういよいよ駄目になって、生活保護を受けることになりました。

そんな生活が7年ほど続いて、今に至っています。
その間何度も働き口を探して、バイトなどをしてきましたが、どうしても続けることができませんでした。パワハラも受けたりして、余計に怖くなってしまいました。お役所に相談に行ったときのわたしの銀行口座には数百円しかありませんでした。

そんな現在は、夜は早く寝て、朝は4時くらいに起きる生活をしています。
2年ほど前からカトリックの教会に通い、2022年の6月に洗礼を受けました。今では毎週教会でおミサに与かっています。


大体わたしという人間のことをかいつまんでですが話せたと思います。でも誰しもそうであるように、これは氷山の一角で、隠されている部分はとてつもなく大きいです。今後はそういったお話も交えていきたいと思います。

長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。
次からは少しボリュームを落としていきたいと思います。

ではまた近いうち。いずれ。

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