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京屋のはじまり物語 1巻 ~少年の志~

松寿少年チャンス到来

むかしむかし、岩手県一関市中里というところに蜂谷松寿(まつじゅ)という少年がおりました。
屋根職人の父親を持つ松寿はとても手先が器用で、絵を描くことも得意としていました。ある日地元にある龍澤寺という寺の門前の絵を描いていたところ、当時の一関町会議員で料亭「梅茂登」の店主であった加賀徳蔵の目に止まりました。「こんな素晴らしい絵の才能をそのままにしておくのはもったいない。私が美術学校に入れてやろう」と言ってくれたのです。松寿は大喜びしたものの、家庭の事情と父の反対があり、一世一代のチャンスをしょんぼり見送るより他ありませんでした。

志は変わらず、いざ京都へ

6人兄弟の長男で経済的に豊かだとは言えなかった蜂谷家。松寿は、家族のために手に職をつけて働こうと15 歳の時に一関の布袋染色工場で働きだしますが「日本一の染色家になってみせる!」と染色の本場、京都への修行を自ら志すのでした。

大正三年、松寿は印絆纏、モモヒキ姿にふろしき包み一つを持ち、24 時間揺られて京都駅にたどり着きました。北野天満宮そばにある染料の資材を売っている山谷という大きな店を見つけ、「ごめんなさい」と五尺八寸もある大きな体でのっそりと暖簾をくぐりました。すると、中から主人が出てきたので「染色の修行のため岩手からやってきました」と言うと、店主は目を丸くしてまじまじと田舎姿の松寿を見つめたのでした。その主人は若い頃ドイツに渡って染料科学を勉強した苦労人だっただけに、松寿の若い心意気を買ってくれて「よう決心しておいでなさった」と、その晩はどこの馬の骨かもわからない一人の青年をもてなし、一夜の宿を貸してくれたのです。松寿は長旅の疲れと、店主の優しさに「まさに地獄に仏だなぁ」とボロボロと嬉し涙を流し、床につきました。

つづく…


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