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#12 教職人生の「裏糸」~森健『小倉昌男 祈りと経営』より~|学校づくりのスパイス

 この連載がスタートして今回で12回目になります。普段はあまり意識することのない学校の姿も、見る角度を少し変えてみると、また違った姿に見えることがあり、それによって学校現場の教育活動もより膨らみのあるものになっていくかもしれません。そんな思いを頭の片隅に置きながら、筆者はこの連載を書いてきたつもりです。
 そしてこの、見る角度を変えてみることの必要性は、教育者としての自分自身についても言えることだと思います。今回は「宅急便の父」として知られる小倉昌男氏についての森健氏によるノンフィクション『小倉昌男 祈りと経営――ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』(小学館、2016年)から、リーダーのもつ「別の顔」について考えてみたいと思います。

もう一つの「小倉昌男」

 この本を読むまで筆者が小倉昌男氏に対して抱いていたのは、「正論でどこまでも押していくタイプの経営者」、といったイメージです。というのも小倉氏自身の本である『小倉昌男 経営学』(日経BP社、1999年)を覚えていたからです。同書は企業経営の基本的な考え方と運輸行政の矛盾について徹頭徹尾論理的に記された呼び声の高い名著です。この本が執筆された当時、筆者は大学の教壇に立ったばかりでした。

 授業のネタを探してこの本に出合い、そこに記されていた一本筋の通った考え方に感銘を受けたのを今でもよく覚えています。この、小倉氏の政府の不条理な規制と闘う闘士としての一面は、今回の著作のなかにも表れています。

 「運輸省が持つ不条理な許認可や規制との闘い、そして社内では一方に資金調達などの実務的な問題があり、他方にはさらなる発展を目指して新しいサービスをつくる闘いがあった。結果からいえばそのいずれの闘いにも勝利していった。同業他社には営業で勝利し、行政訴訟まで含めた霞ヶ関との闘いにも勝ち、社内にあっては……」けれども、この後に続くのは次の一節です。「だがこの期間、小倉はもう一つ大変な闘いを抱えていた。そして、そちらでは小倉は勝った例がなかった。戦場となっていたのは家庭だった」(87頁)。

 森氏がこうした「もう一つの小倉昌男」に興味を抱いたのは、名経営者としての小倉氏の行動に、動機の点でどうしても理解できない点があったからだと言います。キリスト教徒だった小倉氏が1987年に救世軍からカトリックへ改宗したこと、娘の真理氏が広尾に出す店のために雑誌『Hanako』の編集部まで小倉氏がわざわざ出かけていって取材と花輪の依頼をしたこと、会長引退後に私財46億円を投じて障害者が働けるパン屋「スワンベーカリー」を設立したこと、晩年の癌をおしての酸素吸入をしながらの渡米等々――こうしたいくつもの疑問を胸に抱きながら森氏は関係者への取材を続けます。

 そして「1991年に亡くなった小倉氏の妻の死因が本当は病死ではなかった」、という噂を手がかりに、これらをつなぐ一本の「裏糸」の存在にたどり着きます。娘の真理氏が境界性パーソナリティ障害――怒りや自己否定感などの感情が頻出して衝動的・破壊的な行動を起こす障害――との診断を後に受けたことがわかったのです。そして妻の玲子氏もきっと同じような症状に苦しんでいたのではないか、と森氏は推し量っています。

 この本で描かれていたのは、正論だけではどうすることもできない家族の苦悩と向き合いながらも、なんとか活路を見つけようとしても、がき続けるもう一つの小倉昌男氏でした。

小倉昌男

森健『小倉昌男 祈りと経営』小学館

職業人生の「裏糸」

 『小倉昌男 経営学』のなかで語っているのが「経営者・小倉昌男」であるとするならば、今回取り上げた著作の中で語られているのは「人間・小倉昌男」であったと言えるかもしれません。

 組織のリーダーには首尾一貫した人格を演じることが求められます。というよりも、リーダーとして組織を動かしていくプロセスのなかでは、自身の考え方を論理的に表現し行動するよう自己規制を働かせ、自分を演出しなければならない、といった方が正確かもしれません。ちなみに前述の『小倉昌男 経営学』のなかでも「経営リーダー10の条件」としてあげられている諸項目のトップに「論理的思考」があります。

 しかし一方で、同時並行的にいくつものストーリーを生きなければならないのが現代人です。小倉氏の場合もスワンベーカリーを立ち上げた動機について、自身は「そもそも、私がなぜ福祉の財団をつくろうと思ったかというと、実ははっきりした動機はありませんでした。ただ、ハンディキャップのある人たちに、なんとか手を差し伸べたい、そんな個人的な気持ちからスタートしたのです」(12頁)と説明していますが、莫大な私財を投じて事業を始めた背景には、障害と向き合いながら生きた一人の人間としてのもう一つの物語がありました。

 今日私たちが教員としてのあり方を語るときには、「裏糸」の存在をあまり口にしません。否、「裏糸」をたどることがタブー視されているといった方がいいかもしれません。人の「裏糸」について詮索すると、ともすれば「公私混同」「プライパシー侵害」といった誹(そし)りを受けかねないからです。加えてメールやネット等のバーチャルな世界では、コミュニケーションの手段となる情報が文字や視覚情報に限定されがちなので、その裏側にある人の思いや感情を推し量ることがさらにむずかしくなります。

 しかし誰が何と言おうと、職業人生の裏側では別の世界を生きているのが人間です。そしてだからこそ、人は時には職業の論理からすると「合理的でない」ように見える行動に出ることもあり、それが周囲の人からは怪訝な眼差しでみられる、という事態も生じます。それでも裏糸を抜き取って表側の糸だけで教職キャリアの物語を紡いでいくことは誰にもできないはずです。

 この人は職場の外ではいったいどのような世界を生きているのだろうか……そんな想像力を働かせることができたなら、現代のように世知辛い世の中にあっても、人に対して少しは優しくなれるのではないでしょうか。

【Tips】
▼小倉昌男の仕事は藤井財団によって動画にまとめられています。小・中学校の授業でも使えそうです。

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。



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