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#2「ゆっくりの力」の再発見~本川達雄『人間にとって寿命とは何か』より~|学校づくりのスパイス

 今回は本川達雄氏の『人間にとって寿命とは何か』(角川書店、2016年)をもとに、教育を「時間」の観点から考えてみたいと思います。この本の筆者は90年代に『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学―』(中央公論社、1992年)で世に衝撃を与えた、ナマコ研究者です。この本は出版から29年が経っていますが、現在でも書店で平積みにされていたりします。今回取り上げる本は、生物と時間の観点をさまざまに敷衍(ふえん)して論じたもので、その思索はいっそう広がりを見せています。

時間の観点から教育を考える

『ゾウの時間 ネズミの時間』で本川氏が発表した発見は、体重の4分の1乗に時間が反比例する、というものでした。体重が10倍になると時間は1・8倍遅くなる計算となり、30グラムのハツカネズミと3トンのゾウでは体重が10万倍違うので、ゾウはネズミに比べ時間が18倍遅いことになります。そして人間以外の動物は心臓が15億回打つとおおよそ寿命となり、人間の場合、計算上の寿命は41・5歳ということになり、それ以降は「おまけの人生」となるそうです。

 本書のおもしろさは、この独特の世界観を人生論や教育論などさまざまに応用して見せているところです。教育の分野においても氏は中教審の国語専門部会の委員を務めたことがあり、以前に勤務していた東京工業大学で「親の敷いたレールの上を、親のいいなりに、ひたすら効率よく走った学生が入ってくる」(218頁)という状況にかなり不満だったようで、現在の教育に対しても非常にシャープな批判が繰り広げられます。

 たとえば、コンピュータを使った教育は次の四つの観点から問題が指摘されています。第一に情報の収集と発信が容易な分、ブログなどの垂れ流しの情報に埋もれて論理的な文章が書けなくなってしまうこと。第二にバーチャルな世界に浸ることで直接実物とふれあうことがなくなること。第三にきわめて早い時間の流れのなかで、経験が自分の血肉となるゆとりがなくなること。第四に好きなものだけ選んで付き合う結果、自分を広げる経験が積めなくなるということです。

 筆者の理解から出てくる結論は至極ストレートです。お酒と同様に「コンピュータも二十歳になってから」(213頁)、そして昨今、しばしば話題になっている創造性教育については次のように述べられています。「創造性とは新たなレールを敷くことです。創造性のある人間を育てたかったら、途方に暮れさせ、そこから何とかする経験を積ませるとよく、途方に暮れるだけのゆとりが大切です」(219頁)。

 こうした氏の主張を「そんなことをしていたら現代の国際社会に取り残される」と切り捨てることは容易です。一方、昨今の教育論議のなかでは高度情報化社会への対応ばかりが前面に打ち出され、われわれの存在を規定している生物としての時間など、実生活のなかでは誰も話題にしようともしません。

 本川氏の述べるような時間の観点を、たとえすぐに学校のカリキュラムのなかに取り入れることはできなくとも、問題の存在くらいは自覚して、少しは「途方に暮れてみる」必要があるのでは、と感じさせるだけの重みが、本川氏の言葉にはあります。

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『人間にとって寿命とはなにか』本川 達雄 KADOKAWA/角川新書

ゆっくりの力

 さて、本川氏の発見は、それぞれの生物は体の大きさに由来する固有の時間を生きている、というものでした。一方で現代では子どもから大人までスピードを速めることが「善」とされています。学校現場では教員の「働き方改革」が進行するなか、「仕事は減らないが、残業は減らさなければならない」という矛盾に教員が直面する結果、仕事のスピードを上げることで効率を高めていくことが、これまで以上に求められることになりそうです。

 これは現在の学校の置かれた環境からすると、ある程度は仕方のないことだと筆者は考えています。けれども本川氏の言うように生物には固有の時間があるとするならば、スピードを速めて効率を上げさえすれば万事解決というほど事は単純ではないはずです。時間の流れをゆっくりにすることには、もしかしたらもっと積極的な意味があるのかもしれません。

 そこで逆に「生活のスピードを上げることで失われるものは何だろうか」と自問してみたときに、筆者には思い当たることがありました。筆者はときどきテレビを早送りにして見ることがあります。展開が冗長でCMの前後などで同じことが繰り返されることがまどろっこしいからなのですが、ニュースやバラエティ番組はそれでほとんど問題ありません。けれども、早回しすると途端につまらなくなってしまうものもあります。グルメ番組やドラマ、そして極めつけは映画です。映画が退屈になって早回しでみると、筋書きは頭に入っても感動することが全くなくなってしまいます。それなら最初から見ない方がマシです。

 情報を求める番組ならよいのですが、感覚の同調や感情移入が必要な番組は、スピードを速めると少なくとも筆者の場合には頭はついていっても心がついていけなくなってしまうのです。早回しにして失われるもの・・・それはストーリーの中に、気持ちのうえで参画してみようとする「自分というものの存在」なのではないでしょうか。

 このことはもしかしたら恐ろしいことなのかもしれません。自分の生活は早回しの映画のようになっているのではないか? 私たちは効率を求める現代の教育のなかで、子どもたちの固有の時間を置き去りにしてはいないだろうか? 本川氏の本を読んで思いを巡らせてみると、そんな疑念が浮かんできました。

 同書は寿命を扱っているだけあって、本川氏も残りの自分の人生から逆算して著作を書いていると「あとがき」にあります。そんな調子なので、この本からは世間に媚びたり、常識におもねたりする様子がいっさい感じられません。生物を主題とする本なのですが、同書の中には「ナマコ天国」や「おまけの人生音頭」なる本川氏作詞・作曲の歌の楽譜も載っていて、ネットで検索してみたらすぐにご本人の「公演」動画がいくつか出てきました。
なんとも味のある方です。

【Tips】
▼「ナマコ天国」動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=MGHzI81GD-c
▼「歌う生物学」動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=FzTRgPz-gnU

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)ほか多数。近刊に『地場教育』(静岡新聞社、2021年7月刊行予定)。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。


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