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#16 学校教育の土台がゆらぐ⁉~井上智洋『人工知能と経済の未来』より~|学校づくりのスパイス

 今回は井上智洋氏の『人工知能と経済の未来――2030年雇用大崩壊』(文藝春秋、2016年)を手がかりに、AIをはじめとする技術進化が、今後の社会をどのように変え、学校教育にどう影響するかについて考えてみたいと思います。

 昨今AIに関する著作は数多く出回っていて、なかには「AIが人間に代わって世界の覇権を握る」「人間が不老不死を獲得する」といった主張も見られます。そうした主張に比べ井上氏の議論はどちらかというとおとなしい方ですが、にもかかわらずAIの進化がもたらす劇的な社会変容のシナリオが、根拠をふまえ説得力をもって描かれています。

AIの進化と未来の経済社会

 本書のエッセンスを要約してみましょう。まずディープラーニングの発達によって、AIの進化は現在の特定の目的にのみ威力を発揮する「特化型AI」の段階から、2030年頃にさまざまな状況に応じて考えることのできる「汎用AI」へと進化していくと予想しています。

 「汎用AI」といっても、それは人間の神経系のネットワーク構造が丸ごとコンピュータにアップロードされてAIが人間を完全に超えるというを必ずしも意味するものではありません。

 井上氏は「シンギュラリティ」の可能性を完全には否定できないとしつつも、その技術的なハードルは相当に高く、現実には脳の機能を部分ごとにプログラム化し、今度はそれらを統合していくという「全脳アーキテクチャ」のアプローチがとられるだろうと推測しています。

 このアプローチをとる限り、AIの開発は自ら欲望を創り出す生命体とは異なり、人間がつくり出した目的に従って機能するしかないという「生命の壁」に突き当たります。このため、井上氏は今世紀前半の段階では「すべてを機械任せにすることができない程度にしかAIは発達しないだろう」(57頁)と予想しています。

 とはいえ、AIの発達が産業社会に与えるインパクトは絶大で「人類が経験したことのない未曾有の事態であり、第一次産業革命以来の経済構造の大きな変動」(185頁)が予見されています。それは概略次のようなシナリオによるものです。

 「特化型AI」は一部の業種が機械に置き換えられて技術的失業を生み出す一方で、新たに生み出される職もあるので、社会に流通する資金量を増やすことで有効な対応ができるとしています。これに対して「汎用AI」が登場し、さらにそれが汎用ロボットに搭載されたならば、現在人間のやっている大半の仕事が、文字どおりAIとロボットによって置き換えられることになります。このように機械が労働者のハンドリングなしに自ら生産を行う「純粋機械化経済」は2045年くらいに出現すると井上氏は予測しています。 

 もちろん「純粋機械化経済」といっても、すべての職がAIに代替されるわけではありません。クリエイティブ系(創造性)、マネジメント系(経営・管理)、ホスピタリティ系(もてなし)に関係する仕事は、AIによる代替が効きにくいと考えられています。 

 現在の日本においてこれらに関係する仕事の従事人口はだいたい2千万人、これらの仕事も部分的には代替可能であることを考慮に入れると2045年には10人に1人くらいしか働いていない社会となっている可能性を否定できないとしています。 

 そして、こうした「純粋機械化経済」においては、その機械を所有する資本家が独占的に富を蓄積できる一方で、労働者の提供する労働力には余剰が生まれるので、買い叩かれざるを得ません。そこで、すべての人に無条件に最低限の生活費を保障する「ベーシックインカム」(BI)の導入が不可欠であるというのが筆者の主張です。

人工知能と経済の未来

井上智洋『人工知能と経済の未来』文春新書

公教育は何のために? 

 井上氏の著作のおもしろさは、「控えめな根拠」を紡いで「壮大な帰結」を導いているところにあります。AI進化の速度や方向性がどの程度当たっているかについては筆者には判断できませんが、それを除けばこの本を読む限り論理的に難点を感じるようなところはほとんどありません。

 井上氏が主張するようにベーシックインカムがすべての国民に保障されれば、一定水準の生活を送ることはできるかもしれませんが、今度は別の欠乏にさらされるはずです。それは私たちが生きていく「意味の欠乏」です。これは人間の社会生活、とりわけ教育に携わる人間にとってはかなり致命的な問題です。

 近代社会の学校制度は、産業化のための装置として「発明」され、国家の主導のもと社会全体に普及してきました。ですから日本に限らず、公教育としての学校は産業社会の加速装置としての役割を歴史的に担っていきました。

 新学習指導要領の前文でも「教育課程を通して、これからの時代に求められる教育を実現していくためには、よりよい学校教育を通してよりよい社会を創るという理念を学校と社会とが共有し、それぞれの学校……」と述べられています。

 実際、近代学校教育を受けてきた私たちの多くは、自分が仕事をすることは、そこから自分の生活の糧を得るため、というだけではなく、自分の仕事が現在の社会を成り立たせるのに必要な要素であるという感覚を、心のどこかにもっているのではないでしょうか?

 けれども、ベーシックインカムが保障される一方で仕事が機械に取って替わられ、労働の必然性が失われていく世界では、もはや公教育は産業社会の維持・発展の必要条件ではなくなります。

 そのような世界で多くの人は何を求めて生きていくのでしょうか? また、それでも今のような学校は必要でしょうか? 恐くもあり楽しみでもあるこんな問いを、教育に携わる人々が問い始めるべきときなのかもしれません。

【Tips】  
▼井上氏は最近では本書の視点を継承して「頭脳資本主義」という観点から論を展開させています。⇒経済学者・井上智洋氏インタビュー⑴「中華未来主義」は誰にとってのディストピアか?(IT批評)

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。



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