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#17 自然の知・人間の知・人工の知~ステファノ・マンクーゾほか『植物は〈知性〉をもっている』より~|学校づくりのスパイス

 今回は、『植物は〈知性〉をもっている――20の感覚で思考する生命システム』(NHK出版、2015年)を手がかりに「知性をどう捉えるべきか」という教育の基本課題について考えてみたいと思います。著者は植物学者のステファノ・マンクーゾ氏と科学ジャーナリストのアレッサンドラ・ヴィオラ氏です。

 彼らは知性を「問題解決能力」と定義したうえで植物の知性の性質を論じていますが、これは私たちが「頭がよい」と表現するように、知性というものを脳の属性・産物と捉える思い込みの再考を迫るものです。

反抗期の人類

 植物や動物の驚異的な能力(ときにその「残念さ」)を一般の読者向けに紹介する本は昨今大ブームですが、この本のおもしろいところはそうした植物の能力を紹介するだけではなく、それらを通して「知性がどこから生まれるか」という問題に迫っている点です。しかも、ここで展開されている論理は「植物だってそれなりに高度な知性を持っているのだ」という微笑ましいものではありません。

 地球上の全生物量のうち、植物は99.5%以上を占めているのに対して、人間も含め動物はわずかな割合しか占めておらず、植物なしでは動物は生きられないけれど、動物なしでもほとんどの植物は問題なく生きているという事実を直視すべきだと筆者は主張します。本書で展開されているのは、実は植物の方が人間よりも高度な問題解決能力を持っているという、「万物の霊長」の存在基盤を脅かす過激思想です。筆者は人間の思い上がりを辛辣に批判して、次のように語ります。

 「人間と植物は、太古の昔からずっと、絶対的な依存関係にある。親子の関係に似ているかもしれない。子どもが成長すると、とくに思春期には親に頼ることを全く拒否する時期がくる。(中略)依存は、弱くて傷つきやすい立場の時に起こる。たいていは自分がそんな立場にあるなんて思いたくはない。依存する相手を憎むのは、依存関係のせいで完全な自由を感じられないからだ。ようするに、私たちは植物に依存していながら、その事実をできるかぎり忘れようとしている」(61頁)。

 確かに人類の歴史を振り返れば、関知できない自然の力に支配されているアニミズムの感覚からいくばくかでも離れることができたのは、わずかにここ数百年のことです。

植物は

ステファノ・マンクーゾ、アレッサンドラ・ヴィオラ著、久保耕司訳『植物は〈知性〉をもっている――20の感覚で思考する生命システム』NHK出版

分散型思考システム

 さて、植物の「知性」と聞いてこれを否定しない人もいると思いますが、それはたいていの場合「あたかも知性を持っているかのように振る舞うことができる」という一種の比喩表現としてではないでしょうか。植物は動物のような脳を持っていないからです。

 けれども、脳を持っていないからといって知性がないものと考えるのは早計です。脳自体は単なる情報処理器官だからです。AI研究でも盛んに議論がされているようですが、個々の感覚器官から伝えられた情報を集約して処理・加工するのが脳の働きであり、単体では機能を果たすことができません。

 こうした脳に集約して情報処理を行う仕組みと植物の知性の仕組みについて、筆者は「スーパーコンピューター」と「インターネット」の対比を用いて説明します。スーパーコンピューターはインターネットに比して計算処理速度の面で優位な一方で、本体が壊れてしまえば完全に機能停止してしまいます。

 これに対して「植物は生きたインターネット」(184頁)であり、その一部が壊されても種としては生き残ることができます。動物のようにデータ処理を脳に集中させて処理する代わりに、データ処理を分散させて実施したうえで、それらをネットワーク化するという方法で知性を構成しているというのです。植物には視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚という人間の五感のほか、重力を感知する能力や磁場を感知する能力など少なくとも20の感覚が備えられており、また植物の個体間および動物とのコミュニケーションをとる驚くべき仕組みが本書のなかでは紹介されています。

 では、ばらばらに処理された情報を、植物や動物などの有機体はどうやって有効に機能するように用いているのでしょうか。その際の説明に用いられたのが、「生物の各個体が集まって群れを作るとき、個体そのものには存在しない性質が全体として現れる」(189頁)ことを意味する「創発」という概念です。詳細なメカニズムがわかっているわけではありませんが、この創発こそが植物のみならず多くの生物の知にみられる特徴であるといいます。

自然の知・人間の知・人工の知

 今日盛んにAIの進化と人間の知性との対比や相克が議論されていますが、本書の問題意識に照らしてみるならば、AIの問題は人間の知性との関係のみならず、その背後にある自然の知との関係においても論じる必要があるはずです。

 私たちは森の中を歩くと気持ちが落ち着いたり、ヘビやクモをみると生理的に拒否反応を示したりもします。人間も自然界の産物で、長い進化の過程のなかで人間の知性は自然界と一定の親和性を持つかたちで進化してきたからです。けれども、自然の知のように「現時点で認識できない存在」と親和的に「人工の知」(AI)が進化するかどうかはわかりません。この「認識できない存在をどのように情報処理するか」という問題は「フレーム問題」と呼ばれ、AI開発の難問にもなっています。

 さて、子どもも反抗期を過ぎれば、権威や畏れの感情抜きで大人を見られるようになります。同じ様にして、自然を、単にあがめたり操作したりする対象としてではなく、自分たちとは異なる知性を持った存在として見ることができれば、そこには古くて新しい「対話的な学び」の可能性が拓かれるはずです。

 そしてそんな眼差しをもって自分たちの周りにある自然環境と接することができたなら、私たちの生きている世界はずっとステキになるのではないでしょうか?

【Tips】
▼筆者の一人ステファノ・マンクーゾ氏は味のあるイタリア英語でTEDにも登場しています。
https://www.ted.com/talks/stefano_mancuso_the_roots_of_plant_intelligence?language=ja

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。



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