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#19 なぜ避ける「お金」の話~ ヤニス・バルファキス『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』より~|学校づくりのスパイス

 おおよそ学校関係者はお金の話をするのが好きではありません。学校教諭だけでなく、管理職でも指導主事でも、そして大学教員でも教育を語るときにお金の話を持ち出すことについては躊躇する人が多いのではないでしょうか?

 けれども一方で長い人生ではお金の問題を避けては通ることができないのもまた事実です。

 今回は教育とお金の問題について、ギリシャの経済危機時に財務大臣を務めたヤニス・バルファキス氏の『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』(ダイヤモンド社、2019年)を手がかりに考えてみたいと思います。

なぜ「父が娘に語る」か?

 この本の主題は経済ですが数式は出てきません。

 たとえば、景気判断と給与・雇用の関係について考える場合、「冷蔵庫メーカーの経営者であるマリアが、労働組合が給与の2割カットに同意したというニュースが飛び込んできた状況下で、職探しに困っているワシリーを増産のために雇うだろうか?」という例を使って次のように口言葉で説明しています。

 単純な経営者であれば、「やった、給料が2割も安くなるならワシリーみたいな人を何人も雇える! 明日の朝イチでみんなを採用しよう!」と考えるだろうと言います。
 けれども賢明な経営者なら、「いまは冷蔵庫を買ってくれる消費者がいると私は思うけれど、このニュースを見たほかの経営者は先行きに確信が持てなくなるに違いない。ほかの経営者が採用を止めたら、冷蔵庫を買う人は減る。それなら私も採用を止めたほうがいい」(128~129頁)といったように、経済活動と消費者心理の関係を説明します。

 このように同書では、自身の10代半ばの娘に語って聞かせることを想定して、経済の問題がわかりやすく述べられていますが、この本が秀逸なのはこの点だけではありません。むしろ、人の生活の視点に立って経済を突き詰めて考えることで、お金の問題としては論じつくすことのできない経済の問題を、それこそ貨幣の生まれる以前からを含めた広い視野で捉えている点に、この本のおもしろさがあります。バルファキス氏は次のように語ります。

 「経験価値と交換価値は、対極にある。それなのに、いまどきはどんなものも『商品』だと思われているし、すべてのものに値段がつくと思われている。世の中のすべてのものが交換価値で測れると思われているのだ。(中略)だがそれは勘違いだ。いい例が血液市場だろう。多くの国では、人々は無償で献血している。誰かの命を救いたいという善意から、献血するのだ。では、献血におカネを支払ったらどうなる? 答えはもうわかるだろう。献血が有償の国では、無償の国よりもはるかに血液が集まりにくい」(49頁)。

父が

ヤニス・バルファキス著『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』ダイヤモンド社

手前で立ち止まるか、突き抜けるか

 先に学校関係者の多くはお金の問題を語りたがらないと述べました。その気持ちはよくわかります。問題の一人歩きを心配せずにはいられないからです。

 たとえば学校の教育活動の一環として生活に必要な収入や生活保護の話をすれば、児童・生徒の想像力が自分やクラスメイトの家庭の経済状況に及ぶことは想像に難(かた)くありません。仮に自分は誤解を招かないよう丁寧に説明したとしても、知識が波及していく過程で本人や周囲の意識、また人間関係にどのような影響を与えるかを読み切ることは至難の業です。そしてこのことを考えると、お金に関する話題を躊躇しても不思議ではありません。 

 けれども、とくに生徒のキャリアを考える際にお金の問題は無視できません。キャリア教育は、「一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育」(中教審「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)」2011年1月)と定義されますが、この定義にもかかわらず文部科学省の発行するキャリア教育の手引書のなかにも、実践例のなかにもお金の話はわずかしか出てきません。

 最近、小・中学校では将来の希望の職業に「YouTuber」をあげる子どもが多いと聞きます。このこと自体が悪いわけではありませんが、仕事を通して生活を成り立たせるという視点を持ったうえでこれを言っているのだろうかと少し心配になります。現代社会で社会的・職業的自立を果たすためには、経済の問題を避けては通れない以上、それを無視した仕事や将来の夢の話はどこか空々しく響くのではないでしょうか?

 自律した社会人としての基礎を培うことに学校教育の役割があるとすれば、子どもの発達段階のどこかのタイミングで、経済の問題はきちんと教えることが必要なのではないかと筆者は考えています。

 バルファキス氏はエコノミーの語源は「家庭を運営し、管理するための法則」としての「オイコノミア」であるといいます(52頁)が、この「オイコノミア」の視点に立って経済の問題が論じられているため、経済の本にはめずらしく、この本には温かさを感じます。

 お金の問題の手前で立ち止まるのではなく、お金の問題をきちんと考えたうえでそれを突き抜けることができれば、逆にお金に振り回されない人生をデザインすることもできる、と発想を転換してみてもよいのではないでしょうか。

【Tips】
▼バルファキス氏はTEDでも今日のグローバル資本主義のリスクについて、相当踏み込んだ発言をしています。
https://www.ted.com/talks/yanis_varoufakis_capitalism_will_eat_democracy_unless_we_speak_up/transcript?share=14f8ae0a5b&language=ja#t-117197

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。


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