【エッセイ】愚痴る人の気がしれない
聞き流すというと、夫が妻の長い愚痴を聞かされるときに使う技と思う人が多いだろう。しかしそんなことはない。男性にもマシンガンの如く話し、愚痴っぽい人はいる。私の彼がそうだ。そして、うまく聞き流しているのがこの私。
私もよく話すタイプだが、彼のほうがよく話す。愚痴るときはマシンガン。私ももちろん愚痴ることはあるが、かなり少ないと思う。失礼な態度をする人や責任転嫁されたら烈火の如くキレて愚痴るが、そういうことがない限りは愚痴らない。
また、私は愚痴ほど生産性がないものはないと考えている。会話するなら良い気分になりたい。妬み、僻み、噂話でキャッキャするのは私の美学に反する。他人のことをああだこうだ言うなら努力しろと思う。恨みつらみで時間を費やすのも嫌だ。
性格もあるが、個人事業主という「己」しか頼れない働き方を選んでから、自分で選択することの重さを痛感している。悪い事や嫌なことが起きても自分の責任。自責の念で生きている。こうなってから、愚痴ることがほぼなくなった。
加えて、私は公私共に大変リア充である。なので無駄口を叩く暇がない。そんな暇があるならぼーっとしたい。エステ行きたい。買い物行きたい。美術館行きたい。やりたいこといっぱい!
という状況の私からすれば、仕事でうだうだ愚痴る人を見ると「自分が選んだ道なんだから仕方ないだろ!腹括れや!割り切れ!愚痴るくらいなら辞めちまえ!」と思う。
こう言うと「そんな簡単に辞められない。次に就職できないかもしれない」と言う人がいるだろう。うちの彼だ。
もちろん、組織で働くと我慢は必要だ。私も元会社員だからわかる。死ぬほどムカつくこともあった。けれど、その環境にいる限りは自分を良い方向に向けるには自分しかいない。いろいろ手を打っても変わらないなら、環境を変えれば良い。
どんなに頑張っても心がズタズタで、常にイライラするならそこから脱するほうが得策だ。辛いのに仕事を続けることに何の価値がある? 私にすれば、心身のメンタルのほうが100倍大切だ。
仕事は選ばなければごまんとある。いつだって人はどんな状況からでも這い上がれる。
私は個人事業主になって9年目だが、これでやっていけなくなったらパートかアルバイトをする。働き口がなくなったらまた探せばいい。
前の結婚で離婚を決めてから、個人事業主で生きることを決めた。不安だったが、ダメならやり直せばいいと思ったし、自分に賭けたくなったから腹を括った。別居してからは四六時中働いた。まさにひとりブラック企業。そのおかげで今がある。ありがたいことに会社員時代よりも収入は多い。それは誰よりも努力したからこそだと自負している。
誰でも死ぬ気でやれば状況は好転する。だから、居るだけで自分をすり減らすくらいなら、新たなフィールドに飛び込んだほうが良いと思う。もちろん最初は大変だろうが、大変とは大きく変わること。大変な日々を経て人は変わる。
全ては自分次第で変えられるのだ。
だいぶ熱が入ってしまったが話を戻して、こう考えている私にはいつまでも愚痴る人の気がしれない。愚痴る時間が勿体無い。
愚痴まみれの人は決断ができない。行動が遅い。これは彼にも散々言っている。そんなに嫌なら転職すればいいじゃんと。やりたいこともあるみたいだから、それに向かって少しずつ動けばとも言った。しかし彼は躊躇する。
彼の気持ちもわかる。確かに40代での転職は怖いし、リスキーといっちゃリスキー。躊躇するのも仕方ない。だから私は彼を見守ることにした。彼の決心は彼のものだから、彼が納得できる生き方ができれば良いと思っている。それに、いくら絆が深いパートナーでも相手をコントロールすることはできない。
とはいえ、最近彼は愚痴が多い。しかも長い。だから聞き流しているわけだが、そんなに愚痴るなら早よ転職しろ! と思う。
って、私も十分愚痴ってるわ。
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