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今はキャラ弁とか時代おくれで、あるけれど、わたしが高校時代の母のお弁当は。の巻。

こんばんは。

きょんきょん。精神疾患夫婦二人暮らしです。

ここからは思い出話。。。お弁当のこと。

わたしは、どうも母と未だに仲がよくないけれど、母が、わたしが高校時代にヤンキーみたいな友人ができたりしたので、母は、母なりに愛情を込めたいということで、毎日、朝の仕事場から、(実家は自営業なのでかえって来れた)帰ってきて、朝にお弁当を作ってくれていました。

ですが、料理もヘタで、センスのない母が作るお弁当は、いつも毎日毎日同じ。

かまぼこを切ったやつを焼いたものと、卵焼き、ミートボール。ご飯にふりかけ。

いつも同じです。

高校時代、友だちとお弁当を食べるのだけど、高校生って、かなり運動量が多くて、カロリーを消費していたので、2限目くらいの後に、もう、きょんきょん。母のお弁当は食べてしまい、購買に行って、パンやアロエヨーグルトを買って、二回もお昼を食べていました。

それに加えて、家庭科の授業があるとき、パンケーキとかを作るので、かなりおなかいっぱい。

でも、自転車通学で、かなり実家と高校が遠くて、大きな川の大きな橋をふたつも越えないと自宅にたどり着かないので、、、。

高校時代、そんなに太っていなかったです。すごく運動していたよ。

母のお弁当は。

母のお弁当は。

いつもいつも、

同じ内容。

でも、皆のお弁当がカラフルに見えたけれど、今そのお弁当が食べたい。

もう、きょんきょん。母とは一緒に暮らしていないし、母が年老いて、目も悪いらしいし、(手術がたぶん必要)。耳も片耳聞こえず、もうひとつの耳も難聴になって、補聴器を付けており、歯がきれいな母が、コロナの間、歯医者を嫌がって虫歯をかなり我慢し、一部、歯の入れ歯になったので、すごい弱々しい声で、電話するので、ああ、歳をとって、色々なことが年相応に、できないことも増えたのだな。と思いました。

わたしは、母を愛しているけれど、子ども時代のことで、色々なことで母を憎んでいた時期も長かったのですが、お母さん、どうか、元気でこれ以上病気にならず、そんなに無理して畑もやらず、どうか、元気で長生きして欲しい。と思っています。

今はキャラ弁も、もう、時代おくれだと思うけれど、母のあのお弁当が、もう食べられないと思うとさみしいです。

お母さん、一生懸命お母さんなりに愛してくれてありがとう。

苦労が多い人生だったね。

二番目のお姉ちゃんが死んじゃっているし、わたしたち夫婦、精神疾患夫婦二人暮らしで、困らせたくないように、とても、心を砕いているよね。

お母さん、お母さん。

ありがとう。

ではでは。

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