「 教育現場より父性の欠如ついて考えることー己の中に父性を宿せー 」2023/08/11散文

子供が自立していく手助けをする仕事に少し携わっている。
どこまでが社会の傾向であるかはわからないけれど、少なくとも一現場に身を置いている中で凄く不安で心細くなる傾向があると痛感している。

母性を持つことが善いとされ、重要視され、母性的な支援がほとんどを占めている。
あたたかな優しさで包み込み、「全体の中」という視点ではなく、「個々人」という絞れらた視野でひとまず、なすこと全てを肯定していく。
肯定し褒める部分を探しだし、掬い上げスポットを当てる。
本人の主張を尊重する。

そんなやり方が強く肯定されていると感じた。

多様化して、さまざまな価値観が併存した社会だ。
この道を進んでいけば必ず正解に辿り着けるという道は、もうないのだ。
大人はその現実にぶちあたった。
そう知ってしまうと、父性的な働きかけはとても困難な事になるということも分かる。

ただ父性的な働きかけがなくなること、否定された社会を考えると不安になってしまう。

身を置く環境は変わっていく。社会は移ろう。
どんな環境に社会に身を置こうと、信念は持ち続けないといけない。
間違っているかもしれない。失敗するかもしれない。でも、持たないこと、曖昧さが一番危険なような気がしている。
自らの中に信念や規矩を携えることは環境や社会のせいにはできない。どんな環境に身を置こうがどこまでも個人の責任だ。己次第だ。
社会や環境のせいにしてはいけない。

己に信念がないとどんどん父性が廃れていってしまうのだ。
不安定な社会だからこそ、自分を律することの重要さ。

子供の人生にレールを敷くことは否定されるものという風潮があるような気がして、職場の研修でもそのようなことを学んだ。
本人が進むべき方向を決める権利がある。本人の希望や意見を尊重すべき、だと学んだ。

しかし、私は一概にレールを用意することが悪いとは思えないでいる。
果たしてそうなのだろうか。

当たり前に子供たちはまだ経験値が低い。
持っている情報もネットから集め極端に偏った出どころも曖昧なものがとても多い。
だが本人たちにとっては乏しく稚拙な情報と経験が全てであり、それらに頑なに執着しているように映る。
それらを材料にして選ぶ道は果たして本人にとっての最善のものなのだろうか。
それを最善とするのが今の教育現場でのやり方であり、母性的な働きかけであると思う。

まずは自分がしっかりと研磨した信念を持ち、それに確かな自信を持つこと。
規範や礼儀、マナー、モラルを自身に教育していくこと。
(私たちの代でもこれらは曖昧なものとなり厳しく教わる機会は少なくなっていた。この時点で社会の父性が欠如しつつあったということなのかもしれない。)
父性を持つための第一歩はこの二つから広がっていくように思う。

己の信念と社会的なルールをまずは絶対的なものとして子供たちに提示する。
それが本人にとって納得できるか、心地良いものかはわからないし、必ずそうあることが重要なのではなくまず力強くそびえる指標となるものが存在するということが大切なのだと思うのだ。
良いも悪いも、賛成も反対も、まずは比較対象がないと成り立たない。
SNSから拾い集めた良しとされている情報ではない「自分の意見」を立ち上がらせていくために。

只々耳を傾けるという母性的な働きかけと、同じくらいこちらからの一方的な語りという父性的な働きかけも大事だと、やはり私は思ってしまうのだ。
賛成でも反対でも、そういう考えがあるということを、親という存在から学ぶというのはとても大きな一つの人生経験になっていくのではないだろうか。
どちらかに偏りすぎるのがやはり危険であると思う。


自分の中に強い父性が欲しい。育んでいきたいと思う。
多くの情報にさらされて多様な選択肢の前に立たされる子供たちは不安であることがもうニュートラルになるのかもしれない。
そんな社会で一つどっしりとしたお守りのような存在になれたら。

そのためにはそっとやちょっとのことではびくともしないような強い自分の信念を確固たるものに育て、
規範やモラル、マナーについて確かな見識を持っていられるように日々努めていきたい。
それは自身の子どもを持たずとも。

己の中に父性を育てる。
父性の復権。
そんなことを考えている。

【私の信念】
・早寝早起き
・今日のエネルギーは今日使いきる
・思い立ったら即行動
・不平不満を言う暇があったら、それを脱却するための行動に即座に出よ
・常に学び続けよ
・自分の好き嫌いを常に明確にせよ
・すぐに決める、即決力をつけよ
・移ろうことに不安にならない怯えない、あたり前のこと
・絶対に譲れないことを徹底的に絞り、それ以外は軽やかに手放す癖をつける

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