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誰でも無意識に人種差別をしている可能性もあることを忘れてはいけない。


最近、Netflixでこんまりさん出演の
リアリティショーを観ていたから、
彼女を否定するTweetに衝撃を受けた。

それは、アメリカの著名人が
(番組の舞台も彼女の居住地も
アメリカのため)
こんまりさんは英語を話すべきだ、
わたしはこの人が嫌いだ、
などと書いてあったもの。
これに反論し、こんまりさんを
擁護するコメントが多かったようだ。
また、昨今頻発している人種差別問題
にも敏感にもなっている人も多いのに、
えっ、今それ言う?という発言だった。
ご本人は、ジョークがすべったと
書いていたけれど…。

わたしは正直なところ、
先のツィートを読んで最初に思ったのは
「ああ、そっか、言われちゃうよね。
英語話せ、って。」
ということだった。
今考えると、わたし自身、差別されることに
慣れてしまっていたのかと気づいて
身震いさえしてしまう。

16歳の時、1年だけだけど
アメリカに交換留学生として滞在した。
南部の小さな町で日本人さえ珍しかったから
わかりやすいほどの偏見を向けられたこともあった。
その頃は、英語さえもっと話せたら!と
必死に「現地の人」みたいになりたがったのだ。
英語を身につけるのに必死だった。

それでもやっぱり伝わらなかったり
英語で伝えきれずまともに相手してもらえなかったり
日本の歴史まで引用して嫌味を言われたこともあって
(↑これ今なら大炎上ものかも)
「英語ができないせいでこんな目に遭う。
だからこの状態を脱したい」
「そのためには英語をもっと話せなきゃ」
と若さもあって熱くなっていた。
と同時にアメリカで暮らしていて
日本人であることが時々とても煩わしかった。
小さなアメリカ人の子供ができるようなことを
その子の倍も年上だったわたしが
頑張ってどうにかやっとできる、とか
よくあったから。
だから努力できたのかも。あの頃、
一番勉強していたかも。

幸い、その時期があったから英語は上達したし、
ある大学から奨学金を出してもらえる話まで舞い込んできた。
(結局、進学は日本にしたのだけど)
チャンスは留学生であるわたしにもやってきた。
そういう意味では、成果次第では
チャンスは平等にあるのだとも感じていた。

先の話に戻ると、
「差別されることに慣れていた」
「差別されていることに気づけていない」
というのは、実はものすごく恐ろしい。
無意識に他人を偏見や差別の目で
見ていることだってありえるからだ。
この "気づかない" ことで負の連鎖を
生み出しているかもしれないのだから。

だからこそ、次の言葉がビリビリと肌に染みる。

”差別される側のアジア系の私たちにはわかるけれど、その私たちですら、自分たちが体験していないことに関しては、知らないうちに偏見を持ち、それを露呈する発言をしているのかもしれない。” 渡辺由佳里さん


次も別件であるが人種差別問題を取り上げた記事。
発言の影響で、試写会欠席となった俳優のエピソードについて
意見するあるコメンテーターの言葉が載っている。


"We are all unconscious racists"

というのがバーンズの議論の核で、「人種差別的な考えをしてしまっている自分がいる」ことを認めた人を「差別主義者だ」と叩いていては、「すべての人が差別をしている」という重要な事実が認められず、「差別は悪いことです」という綺麗事だけの世界になってしまう。


誰かを叩けば差別が無くなる訳ではなく、
誰もが「無意識に」している可能性があると
自覚することがものすごく大事だ。


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