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読書記録: Doing Sensory Ethnography②_アートはここから始まる

30代テンショク日記#18 新しい仕事に向けてリサーチのリサーチ

昨日の「Doing Sensory Ethnography」の紹介記事の続きです。

アートが生まれる場所

この本は民族誌学や文化人類学などのアカデミックな分野を念頭において書かれてはいますが、アートに興味ある人にぜひおすすめしたいです。

なぜなら、アートが生まれる場所は、あなたが世界の中で何か気になること、心を動かされること、問いを見つけるところだからです。

この本は大人の私たちが、当たり前として流している、世界を、日常をもう一度新たに発見することについて教えてくれます。

残念ながら、日本語版は出ていないですが、私なりに内容を紹介していきたいと思います。

民族誌学とは

作者は民族誌学についてこのように語っています。

ethnography is a process of creating and representing knowledge (about society, culture and individuals) that is based on ethnographers’ own experiences. It does not claim to produce an objective or truthful account of reality, but should aim to offer versions of ethnographers’ experiences of reality that are as loyal as possible to the context, negotiations and intersubjectivities through which the knowledge was produced. (Pink 2007a: 22)
民族誌学とは、研究する人が自身の経験に基づいて(社会や文化、そして個人の)知識を創りだし、提示していくプロセスです。それは、客観的なただ一つの真実と言える説明や現実を見せるということではありません。むしろ、研究者自身の経験によるリアリティーを出来るだけ誠実に、その知識が生み出された背景やその間の交渉や研究者の主観も含め、伝えることが目的なのです。

民族誌学や文化人類学におけるリサーチは主に以下のような方法が取られる。

participant observation 関与観察

ethnographic interviewing 民族誌学的インタビュー(これについては本書後半で丁寧に述べられている)

other participatory その他の参加型リサーチテクニック

1章(超)要約

Part I | Rethinking Ethnography Through the Senses_感覚を大切にした民族誌学全体についての再考

1 | Situating Sensory Ethnography: From Academia to Intervention

民族誌学的な研究(人々の社会や文化を知ろうとすること)というのは一つの学問領域におさまるものではなくて、文化人類学だったり、社会学だったり、アート実践としてリサーチされることもある。

2 | Principles for Sensory Ethnography: Perception, Place, Knowing, Memory and Imagination

リサーチャーは自分のすでに持っている物の捉え方、場所、知識、記憶、想像力を疑う必要がある。

リサーチャーは対象としている人々との政治的、パワーバランス、といったものを避けることはできない。だからこそ、自分自身のバイアスに気づくことが大切になる。
3 | Preparing for Sensory Research: Practical and Orientation Issues

リサーチする側に求められる倫理感や責任について。リサーチャーは、自分自身もオープンにするべきだし、対象とする人々のことを様々な側面から(できる限り)理解する必要がある。

2章(超)要約

Part II | Sensory Ethnography in Practice_センサリーリサーチの実践

この章では、作者や他のリサーチャーの実践例が紹介されている。

<キーフレーズ>

participatory practice 関与しながらの実践
learning as embodied, emplaced, sensorial and empathetic
身体を通じて、その場所を通して、感じながら、共感しながら、学ぶ

4 | Re-Sensing Participant Observation: Sensory Emplaced Learning

私はこれをHAPPY ACCIDENTと呼んでいるが、多くの重要な発見や理解は計画的に行われた調査よりも、『そこにいること』で偶然知ることが多い。

こういう不思議なプロセスがリサーチの醍醐味でもあるんだろうな。。

5 | Articulating Emplaced Knowledge: Understanding Sensory Experiences Through Interviews

インタビューと聞くと、椅子に座って、話すというやり方を思い浮かべるだろうが、実はインタビューというのは出来事が起きる場所を作るプロセスでもある。

どんな場所でどんな風に話すのか?

例えば、ホームレスの人のことを知りたいと思った時に、カメラを持ってユーチューバーとして話しかけるのか。ただそこに一緒に何時間も座ってだべって見るのか。それともボランティアとして接するのか。どのように出会うのか、リサーチャーは意識して選ぶ必要がある。

一緒に食事をしながら話すとどうだろう?

この章では著者が行った「家庭での洗濯についてのインタビュー」のケーススタディーが紹介されている。

インタビューを受けた女性は、洗濯物がきれいかどうかの判断をどのようにしているか。面白いことにそれは、必ずしもシミなどの汚れが完璧に落ちることでなく、『Fresher』であることだと話す。その『Fresher』の基準を尋ねられると、匂いで判断していると答えていた!

6 | Visualising Emplacement: Visual Methods for Multisensory Scholars

オーディオヴィジュアル(音と視覚)によって様々な感覚により複合的に感知する全身体的な体験を完全に伝えることは不可能である。

けれども、リサーチの背景を効果的にテキストで伝えたり、プロセスを丁寧に伝えることで、人々と協働的に作り上げた民族誌学的知識を共有することは可能である。

3章(超)要約

Part III | Interpreting and Representing Sensory Knowing_感覚による理解をいかに伝えるか

7 | Interpreting Multisensory Research: The Place of Analysis in Sensory Ethnography

センサリーリサーチにおける分析的思考方法について。

フィールドワークとその分析は異なるステージになる。

ここでは二つの分析アプローチが紹介されている。

一つは、リサーチャーの関与を折り込みながら解釈すること。

リサーチャーは当然出来るだけ対象となる人々の世界を知ろうする。しかし、当然ながら、その世界のネイティブになることはない。(もしそうなったとしたら、それはまた別の問題が浮上する)だから、深く知ろうとその世界に入り込むと同時に、その関与自体がリサーチの一部になっているということに自覚的でないといけない。そこを担保することによってある種、アカデミックな抽象化されうる知識になる。

二つ目は、ある物質が存在していたり、生み出された時に、その物質自体が語る言葉を用いて理解すること。

例えば、写真一つとっても50年前のカメラ、それ自体の重さや、印刷行為と現在のスマホでの撮影体験や画像の共有体験はまったく別物になる。

8 | Between Experience and Scholarship: Representing Sensory Ethnography

他者の体験をいかに知ることができるのか?

リサーチャーは自身の体験とそこで得た知識を伝えるために様々なアプローチをとる。

例えばそれは、フィルムだったり、サウンドを編集したものだったり、あるいは匂いだったり、歩いてみることだったりする。


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