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何もしないの難しさに気付いた話。バリ島での、5日目からのこと。

はじめに。

2017年の3月。転職の合間に20日間の隙間ができた。振り返ると、「何もしないこと」について考えるきっかけを得た一つが、この時の経験だと思う。

30代を迎えて、キャリアに悩んで、人間関係に悩んで、いろいろ検討した結果、最善なのは転職だと感じて新しい世界に飛び込むのを決めた。というか、今の仕事を続けるということは出来なかった。また同じ1年間を繰り返すことも怖かった。その頃の、隙間期間。それを振り返ってみる。

20日間何するか。。お金は全然ないけど、家にいるだけだと勿体無いので、海外旅行をすることにした。どうせなら暖かいところ。泳ぐのが好きだからビーチがあると嬉しい。ついでに安く済むところ。

結局バリ島にして、土日のフライトは価格が上がるので、週を跨いで14泊15日の旅にした。丸々2週間がっつりバリることにする。エクスペディアで予約して、おしゃれなヴィラの宿泊費も込みで安く済ます。

最初は楽しいばかりだった。


3/9 初日。初めてのバリ島。街を歩くだけでも楽しい。歩いて10分ほどのビーチにも行ってみる。楽しい。

3/10 二日目。朝食食べて、ヴィラの中にある広いプールで泳ぎ、それからまた海に出てちょっと泳ぐ。そしてスパでマッサージ。とても楽しい。

3/11 三日目。猿のいる公園に行って、ライスフィールド見て、火山見て、一旦宿に戻って疲れたからちょっと寝て、夕方に起き上がって、適当にまた街を歩く。スマホを開くと東北の震災からもう何年たったとニュースが流れてくる。スマホを閉じて今夜のご飯について考える。少し心の中で祈る。

3/12 四日目。プールで泳いで寺院を見たり、街に出てショッピングして、夜にはクラブにも出かけてみる。ステージ上でショーをやっているゲイバーでは、お客さんも性別関係なくノリノリで、ステージに上がって脱いだりしている。楽しい。

3/13 そして五日目。

朝プールで泳いで、そのあとにふと思う。日本で買った観光の雑誌も見飽きて、一通り行きたいところは抑えた気がする。特に行きたい場所がない。どうしよう。何もすることがない。というか、すごい孤独。

ちょっともうここはお腹いっぱいだから、レンボンガンという近くの島に行こうかなと試みる。そこでヴィラに明後日以降の残りの滞在をキャンセルしようとしたら、無理だと言われた。キャンセルフィーの発生は一日前からの筈なのに。お金も無いから宿泊費を捨てて他に移動して、そこでもまたホテル代、なんて贅沢なことは出来ない。

結局一日キャンセルのことを巡ってヴィラとわちゃわちゃしただけで、他に何もしなかった。

そう、何もしなかった。そして、それを「物凄く勿体ない」と感じた。

正直、もうこのヴィラ周辺でやることは何もない。やることやったし見るもの見たし。外に出る気も起きず、とりあえずお腹が空いたので近くのコンビニに行って、カップ麺を買って部屋でお湯を沸かして食べて寝る。

何もしていないのが見えないように、昨日、一昨日訪れた店のことを投稿して、今日行ったような感じに書いてみる。部屋でカップ麺なんて書くのもなんだから、一昨日行った海の側の晩御飯の写真をアップする。一人で。

3/14六日目。雨が降った。けっこうな土砂降りで朝からずっと薄暗く、肌寒い。何かしなきゃという思いがすごい。でも、本当にやることがない。外に出る気力もない。多分大雨だからとか関係なく、綺麗に晴れていたとしても外に出る気力はなかったと思う。

プールからはグループで滞在している人たちが、友達同士できゃっきゃ楽しそうに騒ぐ声が聞こえる。オーストラリアの大学生あたりだろうか。多分友達同士だから、雨に打たれながら遊ぶプールも楽しいんだろう。おそらく友達同士なら、何をやっても楽しい。部屋でトランプとかUNOとか。なんでうちらせっかくバリまで来たのに部屋でトランプやってんだよーw。と悪態つきながら、それでも楽しいのだろうと思う。

でも、自分は一人

そして、せっかくの海外旅行を何もせず無駄にしている自分を軽蔑する。

どうしよう、もう2日も特に振り返るような思い出を作れていない。FaceBookやインスタに上げるための、「楽しそうな自分を表現するための写真」も撮れていない。みんなに海外旅行を無駄に過ごしたと思われたくない。でも部屋から出る気も起きないので、また、バリに来てから撮りためた写真を、あたかも「今日のこと」のように投稿してみる。

そしてそれから、コンビニで買ったカップ麺の写真とココナッツウォーターの写真を撮って、それを加工して、コメントを入力している途中で、ふと何を自分はしているんだろうを思って、削除する。削除して、やっぱ書くことないからと改めて投稿する。必死になって楽しんでいる自分を表現したくてどうでもいいカップ麺の写真を上げている。そんな虚しい自分に、本当に絶望する。

3/15七日目。晴れた。部屋にいてもモヤモヤするだけなので、気を振り絞って南東のビーチに行くことにする。

着いてみると写真で見るよりもさらに綺麗な砂浜で、でも、自分はここで何をしているんだろう。と、ふと思う瞬間がどうしても出てくる。どうせなら複数国巡るような旅がよかった。バリだけで2週間も何するんだって、なんで最初から気づかなかったのか。自分は本当に友達がいない。友達がいるんなら、一人で2週間も同じ場所に滞在するような旅なんてしない。自分は何をやっているんだろう。

帰り道は、一転して土砂降り。

ヴィラに戻って夕方、雨がやんだ。ふと、近くの海まで歩いてみることにする。

そこで見たのが、雲の隙間からちょうど顔を出した夕陽。沈もうとする太陽が、薄く広がった雲を燃やしているみたいな。雲ひとつない完璧な夕陽じゃないし、恐らくそんなにきれいな訳じゃないんだろうけど、なぜか、物凄く美しく感じた。

スマホで撮ってみるけど、あまり綺麗に撮れない。あの燃えるようなオレンジをうまく表示できない。

引き潮になった遠浅の海岸にも、絵画のような空がそのまま写り込んでいる。

そんな砂浜では、空の美しさなんて見飽きた現地の子供たちが、裸足でサッカーに興じている。観光客も、地元の人も、誰もかれも、日が暮れ始めてから浜辺に出て来て、おもいおもいに過ごしている。

そう、何もしないで。

なんか、少し涙が出てきた。

小さな声で、わー、と言ってみる。周囲の喧騒と波の音で、自分でも聞こえないくらい小さな声で。映画ならここで叫ぶんだろうね。主人公みたいに。でも、そんなことは恥ずかしくて出来ないから、周りに聞こえないくらいの大きさで、声を出す。

なんでだろう。本当に泣けてきた。声を出さずにいられなかった。夕陽に感動したのかな。いや、多分自分があまりに情けなくて、自分がちっぽけに感じて、泣けてきたんだと思う。

何もしないことを、なんでこんなに怖がっていたんだろう。

何もしないって、なんでこんなに簡単で、なんでこんなに難しいんだろう。

人にどう思われるとか、今自分が一人だとか、本当に何もかもどうでもよくなって、ごちゃごちゃした頭が少しスッキリして、明日はどうしようかと考えた。

今日、夕陽を見た。だから明日は、朝日を見てみよう。肩の荷がおりたような感覚。日の出の時間は早朝の6:30だとさ。

3/16八日目。タクシーを呼ぶこともできるけど、今いる西の海外沿いから、太陽の昇る東の海岸まで、歩いてみることにする。なぜか無性に歩きたくなった。青春したくなった。3時間程度かかるようで、朝2時に起き、2:30には家を出ることにする。

物凄い暗い森を貫く車道。日中も歩く人はいない筈で、歩道がないから車道の脇をひたすら歩く。砂利道で何度か足首を捻る。雨は降っていないけど、遠くで時々ゴロゴロと雷雲が光る。

深夜のスーパー前で、20人くらい集まって、ギターを鳴らしながらみんなで歌っている地元の10代の若者たち。

道に野菜を広げて、早朝の市場の準備をしている家族。お手伝いでほうれん草みたいなものを並べている7、8歳くらいの女の子。

深夜まで開けてた店を締め終わり、プラスチックの椅子に座ってぼーっとしているおじさん。

絶対に動かないカエル。(一番上の写真ね)。

深夜の冒険は、普通に観光しているだけでは見ることができなかった景色と出会いが何度もあった。

早朝に島を横断しているんだから、恐らく今の状況は、「何かをしている」という状態なんだけど。なんというんだろう、自分自身は、「何もしていない」感覚で、歩き続けていた。頭空っぽにして、ひたすら歩いた。

結局4時間くらいかかって、東の海岸が見えてくる頃には空が白んできて、どんどん明るくなっていく。

そして、海岸に出る。

広がっていたのは、昨日の夕陽よりも、さらにオレンジで、さらに神々しい朝日。

4時間も一人で歩いてきて、その頑張りを応援してくれる人も誰もいないし、この朝日の感動を共有する人も隣にはいないけど、謎の達成感に包まれてしばらく動けなかった。

完全に水平線から太陽が離れて、空の色の変化が終わった頃、特にそこで何をするでもなく、ヴィラにただ戻って。朝食のビュッフェを食べて、二度寝した。

それから。

それから帰国まで、「何もしない」ことを受け入れて、楽に過ごすことができた。

あの変なモヤモヤはなんだったのだろう。サッパリ無くなった。

どこかに行きたいと「自分が思ったら」出かけて、部屋でダラダラしたいと「自分が思ったら」そのようにした。

SNSで容易に人と繋がれるようになって、仕事もプライベートも関係なく「自分が他の人からどう見られているか」が問われるようになって。

そんな社会で「何もしない」ことがどれだけ難しいのか。自分は30過ぎて、この旅でようやく気付けたと思う。

せっかく海外に来て、でも心は日本に縛られて、

日本の知人にどう思われるかを最優先に、

特に行きたくもないところに行って活動的な自分をアピールして。

特に美味しくない料理も見栄えがよければ美味しいとUPして。

本当に、「何をしている」んでしょうね。

「何もしない」ことを受け入れて、うまく自分の中で消化するまでに、自分は2週間かかった。

うまく言葉で伝えることはできないけど、色々な悩みが重なって、ぐるぐるモヤモヤして、その結果、(ひとり旅でも趣味を極めるでも何でもいいんだけど)何かしらアクションをしても、この「何もしない」ことの呪縛を解く境地まで辿り着ける人は、意外と少ないように感じる。

「何もしない」ことが、簡単だという人もいる。

でも、本当にそうなのかな?誰にとっても簡単なことなのかな?

そんな風に思う、「何もしない」の難しさに気づいたお話。。

長くてすみません。













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