【書評#16】死を想え/志賀直哉『城の崎にて』
城崎にて『城の崎にて』の豆本を買う。温泉宿の受付前にそっと置かれていた。早朝の温泉宿、城崎にて『城の崎にて』を読む。なんと贅沢な時間であったことか。蜂と鼠と井守。それぞれの3匹の死から生を考える私小説であった。
せわしく働く蜂と、静かに死んでいる蜂。日々のせわしく忙しく働くことへの嫌悪。「死に対する親しみ」を抱いてしまう私たち。しかし、死は本当に静かなものなのだろうか。鼠が人間から石を投げられて恐怖のなかで生きようと藻掻く。私たちもいざそうなれば死から逃れようとするし、死は苦しいものだと悟る。そして思いかけず死に追いやってしまった井守。死ぬこと、そして生きることには常に偶然性が付きまとう。私たちは生きているのか、生かされているのか、死んでいないだけなのかーー
*
夏の終わりの夜、東の空に稲光が見えた。西の方も気掛かりで目をやると、山の向こうが赤や緑に薄らと染まっていた。花火だ――
花火は華やかで美しいが、刹那に散る。そもそも花火には死者への鎮魂の意味も込められている。花火とは静と動、死と生というアンビバレントな存在だ。いや、この世の全てのものは常に生と死の両義を持っているに違いない。
私たちは日々の暮らしの中で、折に触れて死を想わなければならないのではない。私の生きる上で大切にしている言葉がそうであるように。
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