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大海のひと雫を生きる
よく 「私たちは 大海の波。大きな海の一部なのです」という話がある。いろいろな使われ方をするけれど 小さな私は寄る辺のない風船のように 切り離されて 孤立したものではなくて 大いなる真理あるいは自然の一部なんですよ。という わかりやすい例でもある。
なんだけれど…「エゴ」とか 「私」から自由になろうとするあまり いつしか「私は大海のひと雫」「寄せては泡と消える波」という考えに囚われてしまっていた時期があった。
「所詮 実態のない 泡と消える波なんだ」「大きな宇宙の摂理に任せるんだ」と思うと 理に叶っているような気がしていた。
この洞窟は深い。大真面目にプラクティスを続けていた。手放して、手放して、手放して。そして 実のところ自分の決定権まで明け渡してしまっていることに 微塵も気づいていなかった。
ある時 誰かが先生に質問をした。
瞑想中に 考えが湧いてきた時には 呼吸に戻るのが正しいのですよね?
それは選択です。考えを観察することも出来るし、呼吸に戻ることも出来る。その時のあなたに相応しい選択をするのです。
えっ えっ えっ!!
瞑想中と云えども 選択するんだ。
簡素化して書いているので 実際はもう少し経過があるのだけれど この発見で 堤防が決壊した。瞑想中と云えども 心を働かせて賢い選択をするんだ。
ということは…
あーーー!!
確かに 波は波でしかない。
そして 現実の私たちは 泡と消えると云えども そのうたかたの波。
うたかたでありながら 誰一人として同じではない。
一度きりの たったひとつしかない
個性に輝く波の一生を 精一杯全うするんだ。
海と知りつつ 波。その両方を生きる。
そこにこそ選択があり バランスがあり
生きる醍醐味がある。
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