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思い出す事など ― 夏の暮れに ―

台風が過ぎ去ったあとの冷気。肌寒いさえある。夏の終わりを告げられたような、そんな気がする。季節の終わりに何を思うか。「あっという間」でもなければ「やっと終わった」でもない。どこからが夏だったのだろう。「暑い」という至極単純な感覚によってのみ、私はこの夏を知覚していたのか。そんな空虚なこの夏よ。

夏来にけらし ————

風鈴の音に誘われ、本堂へと歩みを進めたあの時、夏は始まったのだろう。一鈴の風鈴が心地よい音を奏でるそれではなく、幾多もの風鈴がこれ見よがしに喚き散らすかのような。それでもジメジメとした空気を取っ払うだけの強さ、風に舞う短冊の清々しさも確かにそこに。

鮮やかな色彩と、群青の空、純白の雲とのコントラストも夏。万物が活き活きしている。目いっぱいに耀いて見せる。この高揚感を伴った視覚情報は、暑ささえ紛らわす。

新たな季節の始まり。それはひとつ前の季節の終わりでもある。梅雨を表象する紫陽花の引き際にも、夏の始まりを見て取れる。拭いきれない一種の切なさ、侘しさ。「また来年、」なんてありきたりな情感を抱く。

半袖ですら暑いと言わんばかりに、短い袖をもっと短くと捲り上げる姿。参道を行く人らの服装にも夏が。大学時代に古着屋でアルバイトをしていた。私服での勤務だったが、よく言われていたのが「季節を前取りした服装をしろ」である。5月から半袖を着て、9月には長袖を着る。寒いし暑いしでいい思い出ではないが、街行く人らの服装には敏感になった。季節の移り変わりに関しても同様。

7月17日。夏が始まった日。長谷寺にて。

かつては特別だったこの季節。否応なしに訪れる、或いは訪れてしまうもの。久し振りにライブ中継で観戦した母校の試合。県大会準々決勝というシチュエーション、場所、対戦相手、勝敗。奇しくも私が最後に白球を追った5年前と同じ。忘れもしない。球児が皆経験する特別な夏、各々の胸に残っていることだろう。

汗と泥にまみれたあの夏の日々。今はただ懐かしむのみ。

さざ波の音とともに眼前を覆うは澄んだ青。海独特の塩のべたつきはない。滋賀は琵琶湖の畔にて。自らの暑さに追い打ちを掛けに行く。臨むは炎、臥すは車。夏に薫るは肉の香。

語るという行為において思考を紡ぐ。「存在としての神の有無」という些か尖りすぎた論争で火花を散らす。花火なぞ無論必要は無い。4:30頃。その身の隅々まで朝焼けを映し出した水面。 “Jesus” 、友人と呟く。そんな言葉がどこかしっくりきた。そんな景色。夏こそ曙であろう。

糺の森、納涼古本市。分かってはいたが、やはり納涼とは名ばかりの熱気。熱を篭らすだけでは飽き足らず砂埃までも。通りを吹き抜ける風のひとつやふたつあってもいいじゃないか。寶の山に注がれる熱視線。行き交う人々の手にはというと、申し訳程度の団扇。納涼とは文化を通した連想ゲーム。水、風、夕暮れに明け方。そこに心身の安寧を。

暑さとは異なる熱さ。沸き立つような情念。服装や建築を初めとする物理的なアプローチだけでは乗り越えられまい。辟易としながらも、思考から工夫が、文化が生まれ、紡がれてゆく。如何にして鎮める。

他の文化圏の人々は川縁の柳を見て、流れ滴る水の音を聴いてどう感じるのか。そんなことを考えた。

3年振りの全面点火は五山送り火。この日は先の台風に負けずとも劣らぬ大天荒。雨が止んだ束の間の静けさの中、「大」の字が最初に灯る。固唾を飲んで見つめる群衆を意に介さず、ただ淡々と、灼爍と燃ゆる様は圧巻。

帰路では豪雨に撃たれる。冷たさを帯びた大きな雨粒、どこか不快感を感じない。三年もの間、送られるのを待った精霊らの鬱憤が吐き出されたかのようにも。重くなったスニーカーは、水をいっぱいに含んだスポンジの如く地に着くたびに少量の水分を吐き出す。ここまで濡れると楽しい。

8月27日、土曜日。今年初めての打ち上げ花火。いや、今年どころではないな。いつぶりだろうか。淀川沿いは老若男女で埋め尽くされる。環状線下の居酒屋。重厚な爆発音が胸に響くなか、煙草にかこつけて外に出る。

上を走る線路とビルの狭間に、鮮烈な光を伴い咲く花の上半分が見える。消え去ってはまた咲いて、また消えて。出会い別れ、過ぎ去りゆく時間。私を取り巻く様々なもの。一度でも触れあってしまえば ———

「思い出す事など」は忘れるから思い出すのである。
夏目漱石『思い出す事など』-p.17

知らぬ間に終わっていた、と思っていたこの夏。思い返してみるとあっちこっち行って、色んな人らと話して、多くを思い出して。それらの隅々にまで夏は染み渡っていたわけで。

大学、バイト、高校、同期、先輩、後輩、家族、親戚 ———— 酒を酌み交わし、それぞれと共に過ごした夏について懐かしみながら語った。職場の人らとは初めて夏を共にした。忘れないように、忘れないように。

暑いわ汗かくわ虫は多いわ日焼けするわ電気代飛ぶわ ——— そんなみんなの大ヒールことサマーマン。ヒールが立派であればあるほど、その対角線に立つ者は際立って見える。

やはり私はこの季節を嫌いになれない。次に振り返るのは来年の夏までとっておこうか。

最後までお読みいただき有難うございました…!!

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