黙って、書けよ
私に、OSHOのダイナミック瞑想を教えてくれた友人が、先日のオンライン瞑想会でシェアしてくれたこと。
『瞑想』を、
静かに座って、ゆっくりと呼吸をして、雑念をそぎ落として、、、
というものだとイメージしている人からすると、
OSHOのダイナミック瞑想は衝撃だろう。
もれずに、私もその1人だった。
特に、第2ステージのカタルシス。
意識的かつ徹底的に、狂う!!
怒り 悲しみ 憎しみ 恨み
不安 恐れ 蔑み 嫉妬
叩き 喚き 騒ぎ 叫び 泣き
笑い 喜び 踊り 声を上げる
要は、なんでもあり。なのだ
きっと、このステージに没頭している人々を、”なんにも知らない人間”が見たなら、「ヤバイ奴ら」「恐い」「危険!!」と思うだろう。
だけど、
ほんとうに「ヤバイ奴」「恐い人間」「危険な奴ら」なんて、この世界にはごろごろ居る。
『自分のなかに溜まっているゴミ』を
吐き出すこともできずに、吐き出し方も知らずに、
近くの誰かや何かに、たまたま側を通りかかった誰かに「投げつける」。
自ら「片付ける方法」を知らないから、
「代わりに片付けろよ!!」と、投げつけ押し付ける人間が、この世の中には沢山いる。
ダイナミック瞑想を知った人間は、
『安全で適切な場所』で、各自、「自分のなかのゴミ」を「掃き出し」て、「片付け」ているだけだ。
感情は、動くもの。
生きている限り、動き続ける。
表面だけ取り繕って、社会や世間に合わせられる”大人なフリ”をしているから、知らぬうちに溜まり溜まったものが、あるとき突然、爆発する。
しまった!!と思っても、後の祭り。
そういうとき、私たちは大抵、『身近な誰か』を傷付けている。
手が出ていたり、物を投げつけてしまったり、
冷たい態度を取ったり、無視したり、
非難したり、怒鳴ったり、
言葉の刃で切り付けたり、、、
身近な誰か、大切な誰か、を傷付けている。
身近な誰か、大切な誰か、にぶつけている。
解って欲しいから。
受け止めて欲しいから。
この人だったら、理解してくれる。受け止めてくれる。と思っているから
この人には、理解してほしい。受け止めてほしい。と願っているから。期待してしまうから。
だけど、大抵それは上手くいかない。
自分の『放ったもの』が、そのまま『返ってくる』のが、この世界だから。
解って欲しいと願うなら、
まずは自分で自分の「ほんとうに理解してほしい思い」について理解しようと努めることだ。
ほんとうに「受け止めてほしいこと」「叶えたい思い」は何なのか、自分でよくよく見ることだ。
その「観察」を助けてくれるのが、瞑想なのだ。
私にとっては『書くこと』も瞑想。
20年以上続けてきた『ノート』が、わたしの瞑想スペースとも言えるだろう。
友だちに倣って言い替えるなら、
もやもや 苛々 ぐじぐじ し始めたなら、
もちろん、『書く』という行為は『言葉』を伴うが、
言葉や文章にもならない『感情』や『衝動』が湧いてくることもある。
そういうときも、とりあえず、書く。
あーーー!!!とか
う~~~。。。とか
くそっ!!!
苛っ!!
怒!!! とか
そういうときのノートは決して人に見せられるもんじゃない。
字も言葉もくっそ汚いし
誤字脱字半端ないし
おんなじようなことをぐるぐるぐるぐる書いてることもあるし
まじしつこい!!まじ重っ!
女々しいったらないわ!ってこともある
だけど。
大切な誰かや何かを巻き込むよりはましだ。
大切な誰かや何かを傷付けて失ってしまうよりは、ましだ。
そう思うから、
まっしろなノートがぐちゃぐちゃに汚れていくことくらい構わない。
それに。
そうやって、思いっきり書いたあとは、必ず『何か』に気が付く。
吐き出しても吐き出しても、
投げつけても投げつけても、消えない『何か』に気づく。
わたしのなかに、残り続ける『何か』。
ぐちゃぐちゃな感情にまみれていたものの、外側の泥や澱をとことん流し落とすとそこには、きらきらと穏やかな光を放つ『純粋な思い』だけが残る。
これが知りたくて、私は書き続けるのかもしれない。
このことが分かってしまったから、私は書き続けているのかもしれない。
ノートに掃き出すことを通して、
『純粋な思い』に気づいたら
『純粋な思い』を思い出したら
それだけを基に「行動」を起こせばいい。
例えばこうやって、それなりに「文章化」してnoteにすることだってできる。
「ノート」と「note」を行ったり来たり。
「ノート」と「note」。どちらもあってくれてよかった。
それから新たに、
『言葉にならない思い』を掃き出すには、
『ダイナミック瞑想』がいい!と知れたこともよかった。
掃き出すのに『安全で適切な場所』を多く持つことで、私は安定できる。
だから、
もやもや ぐちゃぐちゃ 苛々 しそうになったら
誰かや何かに当たりたくなったら
というか、そうなる前に、
誰かに分かってもらおうとするのは、それからにしたら?
誰かに、真に理解してほしいと思うなら、それからでも遅くないし、むしろ、その方が『真っ直ぐ』に届く。
ご支援、誠に感謝します♡♡♡