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優しい人へのすすめ〜自分を守る為に必要な、人の見分け方の一例

これは全く持って善悪の話ではなく
シンプルに、感受性の強い方
概ねその中の優しい人たちに
自分が周囲から受ける影響で
辛くなるのを防ぐための判別の為の例
みたいな事を手短に書こうと思う。

人に対していつも文句を言っていたり
やたらと人に対して常々攻撃的な人とは
極論、夜逃げをしてもいいから距離を取った方がいいとゆう話について

これはもの凄く極端な話に聞こえるかもしれないけど、僕の経験上親兄弟などの家庭内にも
学校や職場や友人などすべての人付き合い
どこにでもいる。
そして対人関係において
最近はHSPとゆう医療用語の様な言葉も
巷で耳にする機会も増えているが
僕は別に医者ではないけど
繊細な優しい人たちには是非とも
僕もそうだからこそ
安心して日々を過ごせるよう
身を守って欲しいなと心から思っている。

僕は個人的に、
これまでの様々な対人関係の中で
一般的な目線でゆう別れの数で言えば
恐らく人並み以上に多くの別れを経験してきた。

そして今書いていることは
親兄弟とゆう血の繋がる関係すらも
今は持たない程に人との別れを経験してきて
明確に思った結論と言っても過言ではない。

何故そんな極端な結論に至るのか

それはズバリなぜならば

人に対して攻撃的な人とゆうのは
これは良し悪しでも善悪でもなく
ただ明確な事実として
「自分自身と向き合う事が苦手であったり
それを敢えて避けている人」であるから
当人の問題解決を自分自身ではせずに
溜まる一方の自身に対する不満と
そこから来る苛立ちを一方的に人にぶつけるとゆう
選択をして生きているから

昔から様々な歴史人や偉人の様な人たちの
名言の中でも言われてきたことでもあるし
ことわざにも似た様なものがあるけど
僕自身が特に徹底的に自分と向き合い続けている
この2020年〜2023年現在までの中で
それら昔からの言葉と
今書いた通りの言葉がまったく同じ意味を伴って
僕自身、明確にわかったからだ。

つまり例えば
お前が悪い、と人のせいにするのも
あいつはああで、こいつがこうで、など
例えそれが仕事の場面であったとしても
誰かを傷つけて自分が強者の様に振る舞って
それで安心するとゆうような生き方を選択している
とゆう事は、ズバリそうゆう生態の生き物の動物。
とゆう事に他ならない。

だから
肉しか食べない、野菜は嫌い。
と同じ様に、本人のあくまで生き物としての
生態だから、そこに善悪は無いのだ。
どう生きるのも自由なら、
自分と向き合わない自由もあるだろう。と

しかしそれはそれ、これはこれ。

繊細で優しいあなたがもしも
そのような生態の人のそばにいれば
心から食い殺されていき
心の次は肉体も、と
ボロボロになるまで食い殺されてしまう。

普段の生活に例えれば
「お前は根性がないな。ちゃんと働けば
稼げる様にもなるし男なんだからしっかりしろ」
「いつまで独身なの?子供作った方がいいよ?
女の幸せなんだから」

こうゆう様な言葉を話す人たちのことだ。
根性がない、男なんだから、
独身否定、女なんだから、
などとゆう、時代はもちろん
そもそも時代など関係なく
人を人として見る事を忘れる教育
の中で使われてきた言葉で
それはつまり、
自ら思考しない言葉、
自分と向き合わないとゆう生き方の言葉、
それを浴びながら
心が日々の中で食い殺されながら
同時にそこで生活する、働くとゆう
生きる上での身体的な行動や労働も
その中でのやり方に従事しなければならず
結果として「死にたい」果ては「殺したい」
などとゆう
繊細が故、思い遣りが強いが故に
深くどん底まで落ちてしまう事もあるかもしれない

しかし、その様な環境に無理に自分を
染めようとする必要はない。
もう今は2023年。いろんな仕事があるし
いろんな生き方を実際に選びやすい時代になった。

僕は人として生きてきて
何度となく頭がおかしくなるんじゃないか
気が狂いそうだ、とゆう時間も過ごしてきて
今ようやっと自分の気持ちが納得する暮らし方で
穏やかに暮らすことが出来るようになった。

そして思うのは、繊細な自分を護ることは
単純に自分の日々の生活が前向きにもなれたり
楽しい時間、穏やかな本来の自分としての過ごし方
をする事に繋がっているなと。

最後に


建設的に自身の中から課題を見つけ
周囲に協力をお願いするとゆう立場を取ることを
選択するのが全て正しいわけではないだろう。
うまくその環境の中で立ち回るのも大切だろう。

しかし、そうゆう生き物として
生まれてきていない人は無理なのだから
無理をして合わない空気を吸い
いつも吐き気を伴う暮らしなんか
してはいけないと単純に思う。

例えばの例にはなるけど
犬や猫を飼っている方も多いが
自分の可愛い犬や猫へ向ける繊細さを
自分自身のために使うのも
周囲の人たちに使うのも
すべて大切だとゆうことと
同じことだ。

こんなに時代が大きく様変わりし
生活の中でも様々な変化に伴う不安が
数えきれない時代のなかで
日々こうして共に生きて共に働いたり
暮らしたりしているわけだし。

世界に愛を、と本当に思う。

とゆうわけで、今日も今日とても
自分自身の身から出た言葉。

すべて身に覚えのある言葉。

おしまい

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