琴音 | ︎ ︎ ︎ことね

言葉を書きます、私が生きてて感じる言葉を。

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最近の記事

傲慢と善良

私は傲慢だった どちらかといえば。 苦しくなった、 傲慢だったことに気づいたから。 この言葉は本を読んで感じたことを書いている。 あなたにはもっと合う人がいる、 あんな人あなたにはもったいない、 そんな言葉を言われたことが これまで何度もあった。 その度に、 「そうだよね、似合わないよね」って 私が好きで選んでいるのに、 私の好きを否定しなくちゃいけなかった。 私は誰かにそう言われることが、 私を肯定されているようで、 否定されているようだった。 でもさ、

    • ひとり

      誰かがいないといけないこの世界は ひとりぼっちだったらやっぱり寂しかったのだろうか そもそも寂しいという感情は 誰かがいるからこそ生まれるもので 誰かがいるからこそ 愛おしい時間を知ってるから 私たちはときに寂しくなるんだろうな もしはじめからひとりだったら 争いも起きない 喧嘩もない でも 寂しいがない 愛おしいがない ひとりは楽。 ひとりは気を遣わない。 ひとりは傷つかない。 ひとりは感情を向ける対象がない。 だから 誰かといれば楽しい。 誰かといれば嬉

      • ごめん、共感。

        最近、よくおもうの。 「ごめん、共感。」 朝井リョウさんの作品だったり、 ドラマのいちばん好きな花を見て、 ひとは、みんな 微妙に混じり合わないんだって感じる。 私はそうだということを、 今まであまり考えられていなかったな、と。 共感したり、 共感を促したり、 そんなのなくたって認め合えるはずなのに。 小学校で議会があれば、 反対者はあまりいない。 大体ひとつの意見にまとまる。 みんなが手を挙げないなら 誰も手を挙げない。 そんなことに違和感を覚えていたけど、

        • 今日は久しぶりに 喧騒に耳を傾けてみた。 わたしは音に敏感だ、 だから街を歩くときは 色んな音や言葉が聞こえて疲れてしまうので ヘッドホンで音楽を聞く。 もちろん音楽が好きだからでもある。 そうしたくなる時がたまにある。 街の音を聞くとさ、 生きてるなぁって感じるんだよね。 ひとりじゃないな、って。 誰かといる時間があるから ひとりになりたいときがあって、 ひとりでいる時間があるから 誰かといたいときがあって これからもそうやって生きていくんだな、とおもう。

          大人

          いつだって子どものままでいたい いつだって夢を見ていたい そんな気持ちとは裏腹に 現実はいつだって私たちの目の前に突如として現れる。 子どもの頃は やりたいことを何でもできた、 やりたいことをやる時間もあった、 でも、社会に出てから気づいたこと。 幾度となく選択を迫られ、 時には何かを捨てないといけないということ。 時には「現実」を突きつけられ、 これが社会かと深く落ち込む。 やりたいことをやる時間は限られている。 誰かと過ごせる時間も限られている。 限られた時

          コンビニでアイスを買って食べたり レトルトカレーでお腹いっぱいになったり 水じゃなくてジュースを飲んでみたり なんかそれだけで幸せと思える毎日だったらいいよね。

          コンビニでアイスを買って食べたり レトルトカレーでお腹いっぱいになったり 水じゃなくてジュースを飲んでみたり なんかそれだけで幸せと思える毎日だったらいいよね。

          もしも

          ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ もしも もしもお金がこの世界からなくなったら、 私たちは何をもって生活するんだろう 何で物を買って 何でお腹を満たすんだろう もしも仕事がこの世界からなくなったら、 私たちは毎日何をして過ごすのだろう 何がお金を生み出して 何が世の中を動かすんだろう もしも明日がこの世界からなくなったら 最後に何をするだろう 最後に誰と過ごすんだろう もしも私がこの世界からなくなったら この世に何が残るんだろう この世で誰が私を覚えているんだろう 私

          クッキー

          部屋でクッキーを落とした 急いで拾った 食べた、 甘かった。 何をしても食べればクッキー だからなにって、 食べればクッキーなんだ。 ちゃんと伝えたいことを書くね どれだけ転んでも コケて砂がついても 私は私であることに変わりなくて 甘いのか しょっぱいのか 苦いのか わかんないけど 私は私なのだ。 クッキーを落としすぎて 埃まみれになればそれはちょっとまずいけど、 落としても払えばまだ食べれることもある 汚い話がしたいのではなく つまり 転んでも立

          言霊

          言霊って、あると思う。 そんなふうにずっと思ってる。 本を読んでいたら、たまたま、ふと、こんな言葉に出会った。 ああ、確かにそうだな。と思った。 言霊が本当の”言霊”になるときは、その言霊が誰かにちゃんと伝わった時で つまり独り言は、ある意味”言霊”にならないということ。 そして、言霊が込められたその封筒を誰かがしっかりと 受け取ってくれることが必要なんだ。 言霊が生きるためには、 伝えるべく人に伝えることが大事。 夢がある時、 叶えたいことがある時、 なんとして

          日常とあたりまえ

          私たちは毎日、 明日のために寝てそして目を覚ます。 でももし明日目を覚まさなかったら 今日のことを後悔するんだろうか。 私はそんなふうに毎日を生きてたりする、 だから毎日後悔したくない。 日常が幸せだと気づくのは、 その日常がなくなったとき。 当たり前だったなと気づくのは、 その当たり前がなくなったとき。 私たちは少し哀しい生き物で、 そんな日常や当たり前になかなか気づけなかったりする。 後悔したくないと毎日生きていても、 後悔することはたくさんある。 言って

          社会人になってからの気づき

          4月に入社して、それから丸3ヶ月が経った。 初めてのクオーターが締まり、また新しいスタートが始まろうとしている。 起業するか、就職するかを悩み、 就職することを決めた私。 入社して初めの頃は目の前のことでいっぱいいっぱいな日々もあったけど、 最近は改めて私が叶えたかった夢、将来やりたいことをまた考える日々を過ごしている。 内定者研修くらいから、私には今まで以上に内省する癖がつき、 (ストレングスファインダーに出てくるほど) よく頭の中だったり、書き出して振り返りをしたり

          社会人になってからの気づき

          最後はいつでも

          「教えてください、あなたは何をするのですか/その激しくかけがえのない一度きりの人生で」 メアリー・オリバーさんの有名な詩の一節だそう。 ところで、私は今「エッセンシャル思考」という本を読んでるが、 ここで書きたいことは、本の話ではなく冒頭の言葉の話。 私はこの人生で何をするのだろう、 最近自分自身にずっと問いかけ続けていた言葉が、 結局こういうとき色んなところで出会うその偶然の重なりで、 結局また私はこのことについて考えなくてはならなくなった。 冒頭の問いに答えられる

          私は、

          私は、 何のために生まれて 何のために生きてるのか 正直誰も分からないし 正解があるわけでもない。 そんな答えがないものを 私たちは探し続ける旅をしている。 ああ、何のために生きてるんだろう ああ、何のために生まれたんだろう そう、思う日もある。 楽しい毎日が多い人こそ、 幸せな毎日が多い人こそ、 きっとそう思う日があると思う。 私は私の生き方しか知らなくて、 あなたはあなたの生き方しか知らないと思う。 私があなたの生き方を真似ようとも 真似られないのが人生だと

          書きたい、今、書きたい。

          最後にnoteを綴った日から、 少し時間が経った。 環境が変わり、関わる人が変わり、 私は新しいスタートに立って歩き始めた。 最近悩んでいる「使命感」について書く。 私はおじいちゃんがなくなってからずっと、 ある使命感に駆られていた。 「おじいちゃんがやりたかったであろうこと全部、 私が実現したい」と。 私のおじいちゃんは、 絵が好きだった。 カメラが好きだった。 ギターが好きだった。 今の私が好きなもの全部、おじいちゃんが好きなものだったんだ。 周りの親戚を見渡

          書きたい、今、書きたい。

          2022年8月23日の話

          どこの誰が、こんな私の話を読むのだろうと思いながら、 私は私のためにまたnoteを書くことにした。 なぜかって。 今日何かがあったからだ。 学生時代の約三年間のほとんどを、 コトノハカフェをやるために活動してきた。 紆余曲折して、チームは解散して1人になった。 1人になってから、コトノハは守りながらも、 言葉を書かなきゃと思いながら届ける言葉は私が伝えたい言葉ではないと ゆるりと言葉を書きたいときに書いて、 フォロワーが少し減っていくのなんて気にしないようにしていた。

          あたりまえ

          どうして私たちは 当たり前なんてないものを あるものだと信じてしまうのだろう。 ただ、かなしいことに 日常というもの あたりまえというものを 失って初めて そんなものがなかったことを知る。 そこに花が咲いていること。 帰る家があること。 何不自由なく生活できること。 果たして誰が、 このあたりまえに気づき、 そして感謝しているのだろう。 もちろん、 今あなたの隣に大切な人がいることも、 日常でもなんでもなく、 はたまたあたりまえでもなく、 偶然から生まれた奇