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時には、知的好奇心にブレーキを

佐藤優『獄中記』を読んでいます。

私は退屈して外に出たくなったり、閉塞感から精神や情緒に変調を来たす可能性は全くありません。「毎日が日曜日」のようなこの生活を思いっきり楽しんでいます。
このような状況で危険なのは、関心領域が散漫になり、体系的な知識が身に付かなくなることです。
知的好奇心にブレーキをかけ、語学、歴史、哲学等の普段、外では時間がかかるので、敬遠しがちな面倒な事象を記憶に正確に定着させる作業を重視したいと思っています。 (P.110)


単に趣味として、楽しむことを目的として本を読むのであれば、いろいろな領域に関心を持てる好奇心の高さは、すばらしい読書体験に繋がります。

しかし、もし、「特定の領域について体系的な知識をつけたい」、「読書で得た知識を自分の仕事にいかしたい」といった強い思いを持っているのであれば、私たちの好奇心の高さは、時に邪魔になります


領域を定めることなく、興味や好奇心の赴くままに本を開くことは、「趣味」の要素が強くなります。読んでいるその時間は楽しくとも、何かについて深く知る、知識を定着させるといったことには繋がりづらくなってしまうのです。

結果として、時間をかけたわりに曖昧な知識しか身につかず、時間の浪費自己満足に終わる可能性が高くなります。

たくさんの本に触れることで、「これ知っている」という感覚を味わうことはできても、それについて深堀って質問されたら答えられず、知識の定着・運用には至らないような、中途半端な状態になってしまうのです。


私たちが読書に費やせる時間は限られています。
もし、体系的な知識の定着や、仕事にいかすといった目的があるのであれば、時には自分の知的好奇心にブレーキをかけ、特定の本に向き合い続けることも必要になるのだと思います。

10冊の本を読み飛ばしてなんとなくの知識を身につけ、自己満足を得るよりも、1冊の本をとことん読み込んだり、目的を持って何冊かの読書計画を立てたりする方が、そういった目的を達成するうえでは有効なはずです。


もちろん、「趣味の読書」が「体系的な読書」に比べて劣っているわけではないとは思うのですが、佐藤さんのような意識、方法、密度で読書をしている方の話を聞いていると、自分の読書の仕方に不安を感じます。

本の乱読をして満足している私としては、ドキリとさせられる内容でした。

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