見出し画像

三浦しをんさんの物語が拓いてくれた植物への興味

月ごとにテーマを決めて、小説を通して出会った興味を深掘りすることにした2024年。

4月のテーマは「植物」について。
と言いつつ、5月も半ばになってしまった。

想像以上に膨大な量の文章を読むことになったのだけれど、それでもページをめくるたびに、「植物」が秘める知性と、長い年月をかけて築かれる森の複雑さに惹きこまれていった。

思考や感情が存在しない「植物」をめぐる物語

もともと「植物」に興味を持ったのは、三浦しをんさんの『愛なき世界』を読んだことがきっかけだった。

『愛なき世界』は洋食屋の料理人見習いとして働く主人公が、植物研究に対して一途なほどに没頭する院生の女性に恋をしたことから始まる、一風変わった交流を描いた長編小説。

この作品では、非情なタイトルからは想像できないほど、ニッチで不思議な「植物」の世界が描かれている。

洋食屋「円福亭」で修行に励んでいた料理人見習いの藤丸は、宅配の料理を届けにいった先で出会った本村という女性に心を惹かれていく。

そんな彼女が所属していたのは、とある大学の研究室。その場所では、植物の研究にひたすら情熱を捧げる個性豊かな人々が集まっていた。

思考も感情もない「植物」にとって
「愛」と言う概念は存在しない。

そんな植物の虜となり、他の物体に恋愛感情を持たない本村に叶わぬ片想いをしてしまった主人公だったが、彼自身も植物の奇妙で不思議な世界に魅せられていく。

三浦しをんさんの物語から伝わる誠実な想い

三浦しをんさんは同じく「植物」を題材とした作品の一つである『神去なあなあ日常』で、「林業」と呼ばれる仕事についても詳しく描いている。

都会で過ごしていた高校生の主人公が、卒業と同時に実家から遠く離れた山奥へと放りこまれ、森とともに生活する人々のもとで成長していく姿が描かれる本作品。

森の奥にひっそりと佇む小さなその村は、携帯の電波も通じないうえ、都会の常識が何ひとつ通用しない別世界が広がっている。

そんな場所に、両親の計らいによって送り込まれた主人公に課されたのが、木々を伐採して木材を生産しながら山を管理する「林業」の仕事だった。

斜陽産業と囁かれることも多い「林業」だけど、この物語に登場する「なあなあ」が口癖の個性豊かな村人たちからは、そんな悲壮な空気感は微塵みじんも感じられない。

むしろ、村人たちの破天荒な仕事ぶりに翻弄されたり、村に残る独特な風習に振りまわされたりする主人公のほうが気の毒なぐらいだった。

ただ、主人公の目線に立ってみると、森での日常はどこまでも新鮮な経験に溢れていて、四季とともに移りかわっていく山の姿は多彩な一面を魅せてくれる。

そして、この作品を読んで最も印象的だったのは、自然と共生することは、決して自然をそのままの形で放置するわけではないということ。

木を育てるために枝打ちをしたり、木の成長を妨げる隣の木を倒したり、人の手によって自然のサイクルを回すことで、山の景観は保たれ、木々の美しさや儚さが色濃く残りつづけるのだ。

著者の三浦しをんさんは、本屋大賞を受賞した『舟を編む』を筆頭に、扱う分野に対しての尊敬の念が、細部にいたるまで宿っている。

だからこそ、彼女が描く物語に登場する人たちの言葉は、読者が知らない分野においても、誠実な想いとともにまっすぐに飛びこんでくるのだろう。

森が知性をもって創りだすネットワークとは?

これは、どうしたら私たちが森を救えるかについての本ではない。
これは、私たちが木々によって救われる可能性についての本である。(p.13)

マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険/スザンヌ・シマード

三浦しをんさんの物語を読んで興味を誘われ、「植物」について学ぼうと、いざ本屋に立ち寄った。

そこで、一瞬のうちに心を奪われた本に出会う。

『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』は、カナダの森林生態学者であるスザンヌ・シマードが、人生を通して森と寄り添いながら解き明かした木々や植物、菌類の相互的な関係性を、自身の半生とともに記した伝記である。

帯に描かれた言葉。
タイトルから連想される未知の世界。
その何もかもに興味を惹かれた。

500ページを超える厚さの本を前に、思っていた以上に時間がかかってしまったけれど、読み進めていくたびに、彼女が実験を繰り返しながら紐解いていく壮大な森の神秘にどんどん引き込まれていった。

まず、特定の木々がまるで人間のように、近くの木々とコミュニケーションをとって炭素や水分のやり取りをしながら、巨大なネットワークを構築していることに驚いた。

その網羅的で巨大な組織は「ワールド・ワイド・ウェブ」になぞらえて、「”ウッド”・ワイド・ウェブ」と称されるほど。

何千年と生きる巨大な古木を「マザーツリー」として、その一帯は家族のように庇護を受けながら、土の下に埋まった根から菌類を伝って森全体に広がっていく。

この本を読んでいると、愛と感情がないと言われた植物は、人間に勝るとも劣らない「知性」をもっていて、なおかつ社会と接続するコミュニケーション能力を有しているようにすら思えた。

まるで、人が家族や友人など、様々なコミュニティでのつながりを持ちながら、助けあって生活しているみたいに。

スザンヌ・シマードが紡ぐ言葉のリアリティ

また、この作品は「植物」の不思議な世界を描くだけでなく、著者であるスザンヌ・シマードが、森を取り巻く社会的環境が創りだすあらゆる困難に立ち向かうドキュメンタリーとしても興味深かった。

1990年代、政府の人工林政策によって、高値がつく木材となる木を優先して残し、競合となる他の木々を除草剤によって枯らす手段が取られていた。

しかし、森と親しみ生きていたスザンヌは、原生林が生んだ自然のサイクルが競合関係ではなく協力関係によって成り立っていると考え、現地で実験を続けながら森の謎を解明しようとする。

その渦中で、様々な困難が彼女を襲う。対立関係にある森林管理官からのバッシング、女性差別、そして癌との闘病。

また、森のなかで出会う動物たちのリアルな描写もさることながら、第4章で描かれるクマとの遭遇劇は、あまりの臨場感に読んでいるだけの自分でさえ緊張が直に伝わってきた。

そんな困難にも負けず、森への深い愛をもって仕事に取り組む彼女の想いは、自然に対して畏敬の念が込められた文章にも現れている。

ダグラスファーとポンデローサパインという古老たちの、理屈抜きで感じる圧倒的な叡智。私は、先住民族の人々がとっくに深く深く理解している、森の木々のつながりを感じた。(p.126)

マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険/スザンヌ・シマード

溝を掘る作業はまるで、切り株でできた古い街の遺跡を発掘しているみたいだった。(p.294)

マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険/スザンヌ・シマード

木々が呼吸する音、土や植物の手触り、森に漂う匂い。

実際に彼女がずっと目撃してきたからこそ、細やかな自然の描写のひとつひとつに魅了され、鬱蒼と生い茂る森の景色が脳裏に浮かんでくる。

ふとした瞬間、カナダ北西部の森林地帯を彼女とともに冒険しているような、そんな気持ちを抱くほどに。

最後に

成功するかもわからない研究に人生を捧げる意義。
確証のない道筋を辿っていく不安。終わりの見えない作業。

それでも、途方もなく続く困難にもひるまず、自然や植物に対して誠実に向きあう彼らの熱が、作品を通してひしひしと伝わってきた。

ただ、何よりも感じたのは、それは研究者にしか許されない感情では決してないということ

普通に生活をしている自分たちにとっても不思議なことは数多くあるし、気づいていないだけで、「知りたい」という欲望を持ちあわせている。

好きな人のことを知りたいと思うことも、未知なる世界を見てみたいと沸きたつ心も、どれも比較なんてできない純粋な想いなのだ。

ちなみに、本来、5月のテーマは「記憶」だった。

もうすでに5月は半分ほど過ぎているものの、最近、触れた小説やドラマにも「記憶」にまつわる物語が多く、ぜひとも学んでみたい分野で楽しみにしていた。

5月の感想文も、気長にお待ちを。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?