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ドラマチックカウント(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。
 
 みなさんはドラマチックな、映画のような瞬間に遭遇したことはありませんでしょうか?
 たとえば、駅のホームで好きな人と話してて、重要な言葉がやってきた電車によってかき消される。とか、朝寝坊して遅刻ギリギリで、トースト咥えて家を出て走っていったら、曲がり角で幼なじみとぶつかる。などなど。
 非現実的だと思っているだけで、この広い世界のどこかでは起こってるかもしれないし、このシチュエーションを考えた人が体験したのかもしれない。
 僕もこれを書きながら、なんかあったかなぁなんて思い出しているが思い出せない。非日常は日常の延長線上にあって、日常に埋もれてしまうのかもしれないでしょうかね。
 
 フィクションの中には「偶然」と言うものが、「必然」として用意されている。いかにそれを自然に見せるかというのでテクニックがいる。さらに、そのためには、プロット、物語の枠組みが必要だ。
 その能力に長けているのが、阿部和重だと思う。物語のすべてがコントロールされているような気がする。それが長ければ長い小説ほどその色が出てくる。
 今回の作品は『公爵夫人邸の午後のパーティー』という小説である。この作品は、映像を見させられているようだった。彼が映画監督志望ということで、一人一人の人物の描写が細かいし、ちょっとバイオレンスがありながらもナンセンスなところがある。どちらも狂気を孕んでいるのだが、それは人間の「生」と「性」に関わる話だった。この小説は、二つのパートに別れていて、ある別荘で起こる銀行強盗と武器密輸屋の話と公爵夫人邸のパーティーの話だ。だからと言って、深い話ではなくポップコーンをつまみながらでも見れる映画のようだ。複雑なストーリー構成はなく、アメリカのB級映画のような雑多な感じがする。それは悪い事ではなく、ただただ単純に作者が書きたいことを素直に書いたようにも感じ取れる。
 欲求不満の奥さんが謎のパーティーに行く話では、そのパーティの様子や何故かそこでテロを起こそうとする男が出てくる。かと言って、それが物語に関係するかというと関係ない。
 密輸武器屋の話は、ある別荘で女子高生がおじさんに連れられて、買い物に行っているスキに町であった銀行強盗が別荘にやって来て、おじさんが帰ってくると、ちょっとした銃撃戦みたいな話になる。
 僕は最初読んでいたときは退屈な話だなと思っていたけれども、話が進むに連れて段々と引き込まれていきました。
 たとえが悪いけど、パルプフィクションのような感じがしました。別の話が同時に進み最後に合体する。そのときに初めて物語を読んでいてスッキリした気持ちになります。
 
 僕が小説に期待しているのは、非日常なのです。最初の方で書いたけど、日常なんて求めてないし、そんな小説は要らない。
 でも、日常を切り取った小説も世の中はあるのは知っている。波風立たない普通の小説。だけど、僕が求めているのは、大きな波が来て船がやっと耐えられるような話だと思った。
 
「じゃあ、お前はそんな小説書けているの?」

 僕のマガジンを見てもらえれば分かる通り小説を書いているが、とっても狭い半径で、波もそんなに立たない。最後になんか変なことになるが、よく分からない人が多いだろうと思っている。
 でも、日常の中にちょっとした非日常を入れていると思う。もっと頑張りたい。
 ラテンアメリカ文学みたいに幻想的な作品を書きたいと思っているが、さすがにそこまでの力量がない。これも頑張り所だと思う。
 以前にも書いたかもしれないが、半径五十キロの小説から脱したいと思って、日々短編小説を読んで力を貯めている。
 
 余談だが。 
 でも、ラノベとか書いたことあるから激しい物語も書けなくはないとここで言い訳めいたことを言っておく。

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