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USA・MAP

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ウサギノヴィッチにエッセイマガジン。主に短編小説の書評のようなエッセイ中心だが、文学周りだけでなく、サブカルやガジェットまで取り扱う、なんでもエッセイ。
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#読書好きな人と繋がりたい

書評はこれで最後になるかもしれません。

どうも、ウサギノヴィッチです。 今、ぼくはどうしてもヤバイ小説が読みたくてたまりません。 たとえば? と言われて、具体的に小説家の名前は出てきません。 お芝居で言ったら、松尾スズキみたいな野蛮でシニカル笑いが詰まったもの。つまり、アンタッチャブルな感じのものを題材にしているような小説が読みたくて仕方がないんです! 今回、それを期待して閻連科の小説を読んだんですが、普通でした。 閻連科の長編は異常な小説が多いんですよね。発禁を受けたりしているものも多いので。 選書をしている

古い訳と新しい訳との狭間で(ウサギノヴィッチ)

どうも、ウサギノヴィッチです。 今回は難敵でした。 ゴーゴリの『外套』です。 ラジオの収録が終わると二人で本屋さんに行って、次回収録の読書会の課題本と自分が読みたい本を買うんですが、ぼくがこのエッセイやっているのを知っているので、「なにかいいのない?」みたいなことを尋ねたら、「ゴーゴリがいいじゃない?」という話になりました。 でも、その本屋さんにはゴーゴリの本が売り切れていて、別の日に、別の本屋でそういえば、P さんがそういうことを言っていたなと思い出して、岩波文庫のゴーゴ

言われなくてもやってると思うけど、やりたいようにやりなよ(ウサギノヴィッチ)

どうも、ウサギノヴィッチです。 小説、特に純文学に登場する主人公は大体コンプレックスの塊みたいな人間が多いような気がするなぁと思います。 そうすることで、同じ悩みを持つ読者の共感を呼んだり、違う思想の人にインパクトを与えるというのがあるのではないだろうかというのがあります。 それに、悩みがない人間が登場することに進むのはエンターテイナー的な話で、敵が出てきたら戦ったり、仲間と交流したり喧嘩したり、まぁ、なにも考えてないわけではないけども、物語はスイスイ先に進んでいくのではな

ぼくは大変な勘違いをしていたようだ(ウサギノヴィッチ)

どうも、ウサギノヴィッチです。 今回は、短編と並行して読んでいた長編が一本読み終わったので、それについて語っていきたいと思います。 それが、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』です。 あらすじは、岩波文庫の表紙から引用すると…… 19世紀末、ロンドン。画家のモデルをつとめるドリアンは、若さと美貌を映した自らの肖像画を見て、自分自身はいつまでも若々しく、年をとるのは絵のほうであってほしいと願う──。快楽に耽り悪行に手を染めながら若さを保ちつづけるドリアンと、彼の

『バナナフィッシュにはうってつけの日』って言う訳し方は、ズバリピタリでカッコいいと思う『ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    今回はJ.D.サリンジャーの『バナナフィッシュ日和』です。別の訳だと『バナナフィッシュにはうってつけの日』というタイトルになります。    この作品は、過去に読んだことはあるのですが、ラストのシーンがあまりにもインパクトがあって、最初から読んでみるとなんか新鮮な気持ちで読めました。  あらすじは、ある兄妹がフロリダに来て、兄であるシーモアが海辺で知り合った女の子と話をしながら海で遊ぶという話だ。  そして、遊び終わった後にホテルに戻ると

阿部和重のことを解剖した哲学者、千葉雅也(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    今、電車に閉じ込められているときに、このエッセイを書いています。    今回は、USA・MAP初めての哲学書を取り上げたいと思います。と言っても、そんなに難しい本ではなく、対談集です。  千葉雅也の『思弁的実在論と現代について──千葉雅也対談集』という本の中の「中途半端に猛り狂う狂気について」です。対談の相手は、作家の阿部和重です。    話は、阿部和重の初期の作品から現在の作品まで縦横無尽に語りますが、そんなに新しい発見があるか? と

期待を裏切らないと言うこと(ウサギノヴィッチ)

どうも、ウサギノヴィッチです。 今回の作品は、イギリスの作家であるトーマス・ハーディの『三人の見知らぬ客』です。 あらすじは、推して知るべし。 とある田舎の家でパーティーをしていたら、雨に濡れた一人の知らない男がやってくる。 そして、また次の男がやってくる。また、時間をおいてやってくる。 最後には、近所の監獄で死刑囚が逃げ出したという知らせがやってくる。 この男たちは一体何者なのだろうか? 一種のミステリーにも似た雰囲気を漂わせて、物語は進行していく。 さて、冒頭に推し

結局、ミステリーの感想はあらすじを追うことになってしまう。

 今回はミステリー作品連城三紀彦の『戻り川心中』について書きます。  ネタバレがありますので、ネタバレしたくない人はこのままブラウザバックでお願いします。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  どうも、ウサギノヴィッチです。  今回は、冒頭に申し上げました通り、ミステリー作品でございます。  このUSA・MAPでは初めてではないでしょうか。  正直に言いますと、ミステリーをレビューするということに抵抗はあるんですよね。結局、ぼくの中

野田秀樹の「半神」の意味が少し分かった気がする

 どうも、ウサギノヴィッチです。    今回は、レイ・ブラッドベリの『霧笛』という作品です。  ぼくが、この作品に出会ったの大学生のときです。  ぼくの好きな劇作家で演出家で役者の野田秀樹の「半神」という作品に、この作品の一節を輪唱するシーンがあります。  なんて美しい言葉たちが並べられているんだろうと思いました。  ただ、意味が分かっていませんでした。  それが今回この作品を読んで分かったような気がします。    一億年も前から海の底で、最初は仲間がいたが段々と消えていく。

梶井基次郎は『檸檬』だけじゃない!

 どうも、ウサギノヴィッチです。    ときどき今の小説でもあることだけど、特に戦前から戦後少ししたくらいまでの小説に出てくる、書生みたいな人にはひどく憧れますね。この人たちなにをして暮らしているのだろうか? と思う。まぁ、辞書を調べれば、「学生」って出てくるんですけどね。でも、現代の若者よりも、勉強していない感はあるし、大人との付き合いも密なようにかんじられる。  そして、現代の小説でもドラマでもあることだが、海に行ってなにか他愛もないことをしゃべる。    今回は、梶井基

ラテンアメリカ文学は苦手かもしれないことが分かった(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    みなさんは、だれかとどうしてもいたいときと瞬間みたいなものはありますか?  ぼくはよくあります。  というか、ぼくは根っからの寂しがり屋なので友人知人に一回会ってしまうと別れを惜しんでしまいます。  ぼくは実家暮らしなのですが、両親という他人ではダメなのです。血の繋がってない他人じゃないとダメなのかもしれません。もしかしたら、今は一緒に暮らしてない弟なら別かもしれません。    さて、なぜこんな問いかけから始まったのかというと、今回読ん

人肉を食べるということ、昔の常識が今の常識に変わるとき

 どうも、お久しぶりです。  ウサギノヴィッチです。    約二ヶ月くらいの充電期間をいただいてからの復活、再開、season2の始動になります。    さて、充電期間中はなんにもしないでいた事の方が多く、本もあんまり読んでいるという意識がありませんでした。  ただ、再開一発目で、批評エッセイをやるということで、実際にはもうエネルギーは本当に充填されていたのだと思います。    今回は村田沙耶香さんの「生命式」の中の『生命式』です。  以前の批評エッセイの中で女性を取り上げる

ブティック  兎(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    不条理に出てくる人、特に主人公は真面目で律儀ですよね。  ある一つの目標に向かってどんな災難や困難が降りかかっても、達成させようとするんですから。  たとえば、カフカの『変身』。毒虫になっても会社に行こうとする気持ちは変わらず持っていて、ベッドから這い上がろうとします。  今回読んだのは、本谷有希子の『いかにして私がピクニックシートを見るたび、くすりとしてしまうようになったか』です。  三時間以上、店の更衣室から出ない客が気になってしま

ちぐはぐの中に込められた本当のテーマとは?(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    今日は僕の解釈じゃないことを披露したいと思います。その作品が難しいとかじゃなくて、書いてるなにかをより知りたかったから、自分で調べてみました。    今回の作品は、多和田葉子の『盗み読み』です。  主人公の女性は、色々な職業の男性と会いますが、その会話はちぐはぐです。ただ、その会話には、実は意味があって、ジェンダーのことについて話しているのでした。    実は大学生のときにジェンダーについての講義を取っていて、A判定までもらったのに、実