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編集を勉強しはじめた方に2つのいい記事見つけました。

今日は、勤務しているお米農家「稲作本店」で、とある方へのインタビューを敢行しました。近々、記事をアップできるかと思います。

「稲作本店」をご存じの方はそのまま楽しんでいただけると思いますし、そうでない方は「稲作農家がインタビュー?」という「疑問形」をそのまま持ったままご覧いただいたほうが面白いかもしれません。だって変ですよね、農家が自らインタビューをしてそれを記事にするって。

今日は私は裏方仕事。聞き手ではありません。
でもインタビューの現場で写真をパシャパシャとりながら「自分もそろそろ話を聞きたい人に思い切りインタビューしたいなぁ」という欲求がムクムクと。

インタビューって楽しいんですよ。

話を聞いているときはもちろんのこと、音源を持ち帰って文字起こしして編集することも奥が深くておもしろいです。同じインタビューでも編集次第で「別もの」になるんですよね。

今日はそれが分かるいい例を見つけてしまいました。これ、編集を勉強したい私のような人は必見では…


それは「ほぼ日」の糸井さんと「いきものがかり」の水野さんの対談が記事になったもの。何が特殊かというと、同じ対談が「ほぼ日」と「Newspicks」の2つのメディアで別の記事として公開されているんです。珍しいですよね??

つまり同じ音源を別の人が編集した場合、どんな風に違いが生まれるのかを知るための生きた教科書になりうるのです。

例えばおそらく同じパートと思われる部分を比較してみます。上が「ほぼ日」、下が「Newspicks」です。

〈ほぼ日〉

水野 そこに通じる話で
今日聞いてみたいと思っていたのが、
糸井さんは、自分が発したことばと
自分自身の関係について、
どのように考えてらっしゃいますか?
自分が書いたコピーや文章において、
「自分が書いた作品だ」と
はっきり主張したいか、そうではないのか。
なんだか糸井さんはそこを
そんなに重視していないように思えたんです。

糸井 そういう意味でいえば、
まさしくぼくも「いきものがかり」ですよ。

水野 わぁ(笑)。

糸井 自分が言ったかどうかには
そんなに興味がないんです。
あと、自分もお客さんになって、
「いいね!」と言いたい気持ちがあるんです。

〈Newspicks〉

水野:今、糸井さんが言ったように、僕たちはあまり自己主張をせず、自分たちでなければ成立しない言葉や、自分たちが演奏しないといけない歌というところから、なるべく外れようとしてきました。
それを大事にしているので、今日糸井さんにそのことを気付いてもらってうれしいです。
糸井さんは、コピーを書いたり、文章をサイトに毎日アップされていますが、自分が発信した言葉に対して、自分とのつながりは、どう考えていますか?

糸井:水野さんが想像するように、まさしく僕も「生き物係」です(笑)。自分が言ったかどうかは、僕にとってはどうでもいいんです。
たとえば、小さい娘さんの誕生日をお祝いしているお母さんに、娘さんが「お母さん、生んでくれて、ありがとう」と言ったという話があります。そういう言葉がサラッと出る。そういう言葉をもし自分が書けたら、「出た!」と思います。

けっこう違うことが分かりますよね??

「Newspicks」では

たとえば、小さい娘さんの誕生日をお祝いしているお母さんに、娘さんが「お母さん、生んでくれて、ありがとう」と言ったという話があります。そういう言葉がサラッと出る。そういう言葉をもし自分が書けたら、「出た!」と思います。

となっているところが、「ほぼ日」だと

あと、自分もお客さんになって、
「いいね!」と言いたい気持ちがあるんです。

ときている。

糸井さんが一息で話しているところに「ほぼ日」の方では水野さんの

水野 わぁ(笑)。

という一見無意味に思えるリアクションが差し込まれている。

おそらく後者が音源に近い形で文字になっているのに対し、前者は大きく手を加えているように見えます。どちらが優れているという話ではなく、インタビューは編集する人によって、読み手の印象がそれくらい変化するということがわかります。

だから「技術」があることが明白だし、その「技術」を自分も身に着けたいなと思うのです。

私のようにインタビューや編集に興味がある人は、2つの記事のどちらもプリントアウトして比較してみるとたくさんの学びがありそうだなぁ。

21/07/09


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