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#140 新日鉄の事業多角化から学ぶ

1週間分の「その日」にちなんだ出来事をビジネス目線で深掘りする「ビジネス頭の体操」を毎週日曜日に投稿しておりますが、深掘りしすぎて載せられないネタがたまにあります。

今日12月1日は「鉄の記念日」。日本の鉄鋼業界、特に新日本製鉄の多角化について、スピンオフ投稿させていただきます。

ちょっと長いです。。が、中の人のコメントなどもありますので多角化、新規事業にご興味ある方は、お付き合いいただく価値はあろうかと。


1、まず、第二次世界大戦後の日本の鉄鋼業界について

第二次世界大戦後、鉄の生産量ではアメリカがリードしており、1960年代に1億2,000万トンでピークを迎えました。その後は1億トン前後で横ばいで推移しました。

これは、アメリカの鉄鋼メーカーの以下の戦略によるものです。

☑️ 合併を繰り返し巨大化、寡占化
☑️ 市場の開拓や技術開発に対する投資は行わずコストを抑える
☑️ 政府に対する強力なロビー活動により輸入規制を求め、輸入品を排除
→寡占市場で価格競争もない市場を維持し、利益を得る

しかし、こういった戦略が長続きするわけもなく、2000年から2002年にかけて20社もの鉄鋼メーカーが破産法を申請、操業を停止することになります。

一方、日本の鉄鋼メーカーは、1950年代から60年代の20年間、積極的な製造工程の合理化や改善、臨海製鉄所の新設などに取り組み、1970年代には米国の生産量を上回ることになります(出典:90年代から21世紀初頭の日本大手鉄鋼企業の戦略推移)。

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そしてこの頃、のちに大いに「後悔」することになる「あること」をします。

それは、韓国の浦項製鉄所や中国の宝山製鉄所に対して懇切丁寧に自らのノウハウを教えたことです。ビジネスであれば特許を売るだけでよいところを、技術者を日本の工場に招いてまでノウハウを教えたのです。

背景には、官営製鉄所からスタートしたことによる、国の利益になることはする(当時、1978年に日中平和友好条約が結ばれるなどの時代です)という発想があったかもしれません。

その後、プラザ合意後の一番厳しい時に韓国や中国製の製品に押される、という皮肉な事態に追い込まれることになります。

さて、プラザ合意後の急激な円高により、鉄鋼業も需要・生産の減少、収益の悪化に直面し、1986年の鉄鋼大手5社(新日本製鉄、川崎製鉄、日本鋼管、住友金属、神戸製鋼)の売上高は6兆896億円と前年度から18%減少し、経常利益に至っては5社合計で555億円の赤字に転落しました。

これが多角化に走ることになる前提になります。


2、なぜ事業の多角化を選択したのか?

ここでやっと事業多角化の話になります(すいません)。

2016年に新日鐵住金の佐久間代表取締役副社長(当時)が講演で述べたことを引用します(出典:慶應ビジネススクールEXECUIVE)。

 新日鉄がドラスチックに動いたのが、1985年のプラザ合意後です。円高が進んだのを機に、合理化に踏み切りました。鉄鋼メーカーにとって象徴的な最重要設備である高炉を、休止。30基以上あったものを十数基(旧住金と併せて)まで減らしました。
 とはいえ、ただ高炉を止めるだけでは、ステークホルダーの理解は得られません。工場所在地の地域経済や雇用、従業員の士気などにも問題は広がります。当時の売上高は2兆円ほどでしたが、鉄鋼以外の新規事業で売り上げを膨らませようと「複合経営」を目指しました。売上高を倍増する「4兆円ビジョン」を掲げ、できることは色々と手をつけました。

いかがでしょう?

従業員の雇用を守る、だけでなく、地域経済への影響まで視野に入れ、売上高を倍増させよう、というのです。

2兆円を4兆円!に、です。

これが多角化の理由です。


3、売り上げを2兆円増やすためにどんな事業を?

では、どんな事業を行ったのか、同じく佐久間氏の講演から引用します。

 一番規模の大きかった新規事業が半導体です。パソコン事業にも乗り出しました。キャビアの養殖、使い捨てカイロの開発・販売、下着の通販。新日鉄が、直接下着の通販を手掛けたとは信じられないかもしれませんが、本当です。

下着の通販!?

なぜこんなことに?と思いますが、2兆円の売り上げを!となれば、どんなアイディアでも2兆円の辻褄が合うまで採用されます。むしろ、アイディアを出せ、と急かされるでしょう。

さて、その結果です。

 とにかく実に様々なことをやりました。そのほとんどが失敗に終わりました。ほとんど唯一芽が出たのが、現在の新日鉄住金ソリューションズ。米オラクルとの間でデータベース・マネジメント・システムの日本での事実上の独占販売契約を結び、パッケージを売ったのです。これが当たり、その後、システムエンジニアリング会社として成長する一つのベースとなりました。
 そのほかの異業種への進出は、ほとんど全て失敗。売却・清算等に追い込まれます。

壮絶です。

ここで疑問に思うのが、業績も悪化している鉄鋼メーカーがどうやってこれらの新規事業に伴う費用を調達したのか?ということです。

実は当時はバブル。鉄鋼メーカーはその生産のために広大な土地を保有しています。その担保価値が地価の上昇で上がり、資金調達が容易だった、ということがあります。

壮大すぎる計画がぶち上げられ、その壮大な計画数字に合わせるためにかき集められた様々な事業アイディアの寄せ集めに対し、その事業アイディアにではなく、保有不動産の担保価値だけみて資金を貸し込む金融機関…

これらによって、十分な事業計画の精査もないまま、前代未聞の多角化が行われ、そしてそのほとんどが失敗したことになります。


4、半導体事業への参入

実は、最も期待され、鉄鋼各社が参入したのが、半導体でした。

当時、半導体は急激に日本メーカーが汎用大量生産のDRAMで力をつけ、波はあるものの莫大な利益をあげていた時期でした(東芝が代表です)。

半導体は「鉄に代わる産業のコメ」と言われたことも参入に影響を与えたようです。

参入の仕方も、プライドの高い(失礼)新日鉄は自前の開発、販売に拘ります(神戸製鋼は米企業との合弁により相手企業の下請け生産を狙います)。

具体的には、半導体の素材メーカーとして参入することを狙いました。
下流のIC分野への参入は高度な技術や資金が必要という判断から、素材であれば、自分たちの事業とも親和性があるとの判断です。

新日鉄は子会社を作り、シリコンウエハーを量産します。しかし、同じように将来性を見越しての参入も多く、生産量は上がるものの、価格の下落により売り上げは減少し、収益を上げるのも難しくなります。

一方で、先ほどの「4兆円!」という掛け声は残っています。金額を大きく膨らますには、下着の通販ではダメです。
そこで、シリコンウエハー事業が不調にもかかわらず、エレクトロニクス・情報通信を鉄鋼に次ぐ中核事業とする方針が打ち出されます。

一気に売り上げを伸ばすには買収が最も手っ取り早いです。

そこで1993年に半導体事業を手がけるミネベアの子会社(NMBセミコンダクター)を買収します。

数百億円規模の利益を出す年度もありましたが、赤字が続き、5年後には300億円で買収した同社を台湾企業に15億円で売却します

しかも、同社関連で計1,200億円の債務保証をしていたことから、同額の特別損失を計上します。

その際の千速社長(当時)のコメントは

「今後、鉄鋼を中核とするグループ経営に後顧の憂いなく取り組む」

つまり、多角化を断念し、コアビジネスである鉄鋼に専念する、ということです。


5、失敗原因の分析

では、なぜ失敗したのでしょう?

先ほどの佐久間副社長は以下のように述べています。

 半導体というのは技術・製品の進化が極めて早い分野です。次々に莫大な投資をしなくてはなりません。しかし、本業ではない半導体への投資には、社内的にも抵抗感が強い。「そんなところに投資するなら、鉄に投資した方がいい」となります。当然のことです。

当然のこと、なのです。

むしろ、地域経済(とプライド?)のために売り上げ倍増4兆円!をぶち上げた時点で分かっていたことかもしれません。

また、1993年(ミネベアの子会社を買収した年)に勝俣副社長(当時)は新規事業について以下のように述べています。

鉄鋼事業は農耕民族型だが、新規事業は狩猟民族型。2つをどのように溶け合わせるかがかなり難しい。

さらに、撤退後の2001年、千速社長(当時)は次のように述べています。

半導体は新日鉄の持つ技術からポンと飛んだ地点の技術。半導体はメモリー単品に偏重し、事業的に中途半端になった。ある所で見切りをつけた方がいいと判断した。半導体の世界は比較的入りやすいという経営判断があったが、実際はそうではなかった。

三菱重工の航空機事業のように「撤退という文字はない」、というよりよっぽどよいとは思いますが、それにしても、「4兆円!」に引きづられてしまい、自社の事業や技術、顧客ベースなどとのシナジーをよく精査せずに決断したように思えます。

これらが失敗の原因といえます。


6、まとめ

これだけ失敗して、事業を継続できているというのはすごいことです。

新日鉄の事業多角化、新規事業から学ぶ点は、

☑️ 自社の事業と無関係な事業への参入は避けること
☑️ カルチャーの親和性も考慮すること
☑️ 数字を先に打ち出さないこと(数字に振り回されないこと)
☑️ 資金がなくともやるべき事業かという視点を持つこと
☑️ (多角化の前に)本業での技術優位、先進性はなんとしても守ること

といったところでしょうか?

今ですと、あれこれ考えるより、小さくやってみてダメならサッと止めてしまう、などという方法もありますが、新日鉄の例では、初めに大きく売り上げを膨らますことが目的になってしまっています。ですから、「まずは小さく」は評価されなかったでしょう。

個人的にはやはり、最初に数字ありき、というところが不幸だったと思います。
加えて、容易に資金調達できてしまう環境も。


新日鉄の多角化については非常に多くの論文が出ています。
今回の内容もそれらを参考にしております。

最後にいくつかご紹介させていただきます。

「90年代から21世紀初頭の日本鉄鋼大手企業の戦略推移」
「新日鉄の非関連多角化におけるテーマパーク事業参入」
「多角化における存続事業の実証的研究ー鉄鋼メーカーの事例ー」


長文最後までお読みいただきありがとうございました。

興味のままにまとめたところがあり読みにくい点お詫びします。
何か参考になるところがあれば嬉しいです。

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