【短編】人斬りはすれ違う(1/4)
前書き
巨大工業都市・天外《てんげ》。この町では血族と呼ばれる怪物たちがさまざまな悪行を働いている。だが自らも血族でありながら悪の血族を誅殺し続けている男がいた。それがブロイラーマンだ。
*この短編はブロイラーマンという小説の番外編ですが、独立した物語になっているので本編を知らなくても大丈夫です。
1/4
巨大工業都市、天外。
汚染霧雨が降り続けるこの都市では、人々は防霧マスクで素顔を覆った無貌の群集となる。
ニュースが伝えるのは値上げする一方の防霧マスクフィルタ、増え続ける公害病・霧雨病の患者、ひっきりなしに起こるテロ事件……
日照不足による鬱々とした感情や、疲労感と絶望感を払拭するため、人々は合法麻薬《エル》の路上販売車に列を成す。その足元にオーバードーズで心停止した者が倒れているにも関わらず。
斬逸《きりつ》はスクランブル交差点の一角で、歩行者信号が青に変わるのを待っている。
車道を挟んで向かいの歩道には、同じく信号待ちをしている標的の姿が見える。擦り切れた旧式の防霧マスクを着け、防水パーカーにライン入りデニムという姿の少年だ。
(へえ。あんなガキだったんだ)
斬逸はビジネスモデルの防霧マスクを着け、背広の上に防水マントを着込んでいる。彼の存在は完全に雑踏に溶け込んでいる。
信号が変わり、大勢の歩行者たちが×字型の横断歩道をいっせいに渡り出す。斬逸はその群れの一部となる。
向こうからこちらへ歩いてくる少年とすれ違うよう歩幅を微調整しているが、その動きに一切の不自然さはない。取引先に向かうビジネスマンそのものの、やや足早で真っ直ぐな歩き方だ。
少年とすれ違うまであと三十五メートル、歩数にして約五十歩だ。
斬逸はマントの下に隠した刀に意識を向けた。すれ違った瞬間、あの少年を斬り殺す。それが今回の仕事だ。
* * *
一週間前、斬逸は全裸でマンション自室を走っていた。
「女体ダーイブ! ハハハ!」
ベランダに駆け出し、頭からプールに飛び込む。
バシャーン!
水しぶきが上がり、入っていた全裸の美女たちが悲鳴と笑い声を上げる。
水面に上がってきた斬逸は彼女たちを捕まえ、手当たり次第にキスをしまくり、胸と尻を揉みしだいた。
だらしなく表情を弛緩させているが、研ぎ澄まされた筋肉の持ち主だ。全身を古傷に覆われている。それは実用一点張りの、人を斬るためだけに作られた刀を思わせた。
ここは彼が所有する市内の高級マンションだ。ベランダは強化ガラスのドームに覆われており、風雨の影響を受けず、天井からは人工陽光がさんさんと降り注いでいる。
思い思いにはしゃいでいるガールフレンドたちはいずれも劣らぬ美貌とスタイルの持ち主で、各自が高級車を二、三台が買える程度は美容整形に金をかけている。
みなテーブルに山積みになっている酒や合法・非合法の麻薬を湯水のように使用していた。
斬逸がガールフレンドたちを追い回していると、プールサイドに放り出してあった自分のスマートフォンが鳴った。そちらに泳いで行って電話に出ると、イラついた声がした。
「斬逸殿、いい加減怒りますよ」
九楼《くろう》からだった。天外を裏から支配する血族の組織、血盟会のナンバーツーだ。
斬逸は気の抜けた声を返した。
「あー……何で?」
九楼はスマートフォンが割れんばかりの怒鳴り声を上げた。
「ブロイラーマンを! 殺してくれって! 言ったでしょう! 血盟会ナメてんのかお前は!?」
斬逸は顔をしかめ、耳元からスマートフォンを離した。
「ハハハ……九楼さん、そんな声出たんだ」
「もう依頼して二週間だぞ! 二週間! お前が刀鬼家《とうきけ》抜刀流《ばっとうりゅう》の人斬り斬逸って言うから頼んだんだぞ! なのにいつ電話してもパーティしてやがる!」
「向こうが動かないからしょうがないでしょ。でなきゃどこにいるかもわからんヤツをどうやって殺せってんですか」
「言い訳すんな! とにかくヤツを殺せ! お前の下の刀なんかモゲちまえ!」
そこで通話は切れた。斬逸は首をすくめると、女をふたり両腕に抱いてプールから上がった。
右腕に抱いた女が麻薬でとろんとした顔で微笑みながら、自分の胸を両手で寄せ上げた。
「新しいオッパイどう? 斬逸くんはもっとおっきいのが好きだと思って」
斬逸は乳房の合間に顔を突っ込んで頬擦りした。
「うーん、アダムとイブを堕落させた果実ってのはこいつのことだな!」
「アハハ! 堕落サイコー!」
「斬逸くん、新しい鼻も見てよぉ」
左腕に抱いた女がすねたように顔を突き出すと、斬逸はその鼻を舐め回した。
「最高最高! みんな最高!」
女たちは斬逸の腕の中で嬌声を上げ、ドラッグテーブルに手を伸ばす。
女の一人が斬逸の腕を手に取り、麻薬のパウダーを振って手首から肘までラインを引いた。女たちと斬逸は三分の一ずつそれを鼻から吸い上げた。
電撃的な快楽が背骨を突き抜け、水底から水面へ上がって行くように一気に気分が高揚する。
「アハ……アハハハ!」
「あ! コレちょっとヤバすぎかも!」
三人で寝室にしけこんだ。嬌声を上げて絡みつくふたりの女をベッドに放り投げ、斬逸自身もそこに飛び込もうとしたとき、手にしていたスマートフォンがまた着信を知らせた。
「あの野郎」
また九楼がかけてきたものだと思い、腹を立てながら画面を見た。だがメッセージを送ってきたのは別の人物だった。
桔梗《ききょう》:そちらに行っていいですか? 急で申し訳ありません
斬逸は顔色を変えた。斬逸は泡を食いながら返信した。
斬逸:今から?
桔梗:はい。十時に着くと思います。本当に急でごめんなさい
「斬逸くん、早く来てよぉ」
斬逸は猫のように身をよじらせている女たちの首根っこを捕まえると、寝室から引きずり出した。
ステレオ機器の音楽を止めてガールフレンドたちに叫ぶ。
「お前ら帰れ! 今すぐ!」
「「「えーっ?」」」
「いいから帰れ!!」
あわてて女たちをマンションから追い出した。
十時まであと一時間、ハウスキーパーを呼んでいる時間はない。
斬逸は急いで部屋の掃除を始めた。酒瓶、合法麻薬《エル》の空き箱、誰かが忘れていった化粧品、体液の染みが着いたシーツなどをまとめてダストシュートに放り込む。
キッチンでサラミを切るとき使ったまま床に突き刺してあった刀を抜くと、油を拭き取り、鞘に納めた。トイレの吐瀉物を掃除しているとき、女を何人か残して手伝わせれば良かったと気付いた。
(何で俺がこんなことを。クソ!)
目まぐるしく働いてどうにか目に見える部分だけは整えると、急いでシャワーを浴びた。
麻薬と酒の影響はこの時点でほぼ消えている。血族が持つ超人的な代謝力を意識的に高めることで急速分解したのだ。
クローゼットをあさって紺の着流しに着替えると、和室の刀掛けに刀を置き、畳に正座して待った。
時計を見る。十時二分前。向かいの座布団の位置が気になって手で直した。
スマートフォンに「到着しました」とメッセージがあった。
斬逸は急いで部屋を出ると、エレベーターホールで待った。
エレベーターのドアが開き、桔梗が姿を現した。彼女は洒落たデザインの防霧マスクを取って一礼した。
二十歳過ぎの、落ち着いた感じの女だ。品のいい無地の着物を着ている。髪は手間をかけて編み込まれ、後ろでアップにしていた。
「櫂《かい》。お久しぶり」
櫂とは斬逸の人間としての名だ。改めて桔梗の美しさに心を奪われながら、斬逸は深々と頭を下げた。
「ご無沙汰しております、お嬢さん」
斬逸は桔梗を和室へ案内した。ふすまは開けっ放しだ。斬逸は桔梗と密室で二人きりになるときは、必ず部屋のドアを開け放っておく。礼儀だからだ。
斬逸は茶を出した。
「安物ですが」
「いえ、ホントにお構いなく……」
二人はしばらく当たり障りのない雑談をした。最新のスマートフォンや、芸能界のスキャンダルなどについて。
斬逸は普段の奔放ぶりを押し隠し、すっかり畏まっている。
桔梗が茶をひと口飲み、切り出した。
「急に来て申し訳ありません。父さんたちのお墓のことなんです。どうしても直接お話したくて。あの話は聞きましたか?」
「いえ……どの話です?」
「道場のある土地のあたりが再開発されるそうなんです」
「仏裂《ほとけざき》のあたりが?」
「はい。それで、あそこにある父さんたちの墓地も移転することになるって、つい今朝方にお寺のほうから連絡があって。それで、その前に一緒にお墓参りでもと思って」
「喜んでお供します。明日にでも」
「良いんですか? お仕事の都合は……」
「いやあ、暇なものですよ。マンション経営なんてのは人に任せ切りでして」
斬逸はそう言ったが、もちろん実際にやっている仕事は違う。
刀鬼家抜刀流の斬逸と言えば、名の知れた暗殺者である。裏社会において血族の暗殺者は珍しくないが、斬逸が恐れられているのは対血族専門の殺し屋という点だ。
血盟会が最大の取引先で、彼はこれまでに会にとって邪魔な血族を数え切れないほど始末してきた。
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ほんの5000兆円でいいんです。