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【短編】人斬りはすれ違う(2/4)

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2/4

 桔梗は妙にかしこまった様子で斬逸に聞いた。

「ところで……お付き合いしている方が?」

 不意打ちに斬逸は驚いた。

「俺に? まさか! そんな物好きいませんよ」

 桔梗は座布団の下から覗いているものの端をつまんで引っ張り出した。派手なブラジャーだ。ガールフレンドのいずれかが忘れていったらしい。

 斬逸が固まっていると、桔梗は困ったように笑った。

「アハハ……」

「ハ、ハハハ……」

 その日は桔梗を家に泊め、斬逸はベランダで毛布に包まって一夜を過ごした。

 夜が明けて桔梗が呼びに来るまで、斬逸は一度足りとも室内には入らなかった。

 それが礼儀だからだ。


――……


 斬逸は腰に差した刀の鞘を左手で押さえている。

 一歩ごとに全身に血気がみなぎって行くのを感じていた。

 斬逸は名の通った暗殺者だが、目標の寝込みを襲ったり人質を取ったりというやり方は好まない。かと言って白昼堂々と名乗りを上げて真正面から斬りかかったりもしない。

 街中ですれ違う。すれ違った瞬間、振り返りざまに斬る。彼はこの刀鬼家抜刀流奥義、鞘当打《さやあてう》ちのみであまたの血族を始末してきた。

 ターゲットの少年はフードを目深に被り、ベースボールキャップの鍔を降ろしている。彼の名はブロイラーマン。血盟会の会員を数人殺したという血族である。

 その顔や視線はうかがえない。斬逸もまた相手にはっきりとした視線を向けたりはしない。気取られないよう視界の隅に置いているのみだ。

 斬逸は機械じみて正確な距離感覚で正確に歩数を刻む。

 すれ違うまであと三十九歩、三十八歩、三十七歩……


――……


 翌日。

 斬逸は車で桔梗を彼女の家に送り、身支度を待ったあと、一緒に市外へ出た。

 山あいにある小さな集落、仏裂村に入ると、荒れ寺の駐車場に車を停めた。すでに立ち退きが進んでいるらしく、村に人の姿は見えない。

 墓地は寺の裏手にある丘の斜面に広がっている。十二月も半ばを過ぎ、張り詰めた冷気に満ちている。防霧マスクの排気口から漏れる息は真っ白だ。

 頂上近くにある墓石の前で二人は手を合わせた。

 斬逸は酒を供え、桔梗は花立ての造花を取り替えた。

 斬逸は自分の私服を見下ろした。

「もっとマシな服を着てきたほうが良かったかな」

「ううん、畏まったお墓参りでもないですから」

 桔梗はしゃがみ込み、亡き父と夫の墓石を見つめた。

 斬逸は櫂という名で呼ばれていた十代のころ、この仏裂村にある刀鬼家抜刀流道場の門を叩いた。そのころは血族の存在を知るわけもなく、ただテレビゲームや漫画のような剣術家に憧れてのことだった。

 二十人ほどの門弟の中から抜きん出たのが櫂、そして同い年の鎬《しのぎ》だった。鎬は背が高くて強気な少年だった。

 実力では鎬が上回り、櫂と十回立ち会えば九回は鎬が勝った。

 師の娘であった桔梗を含め三人は兄妹同然に育った。

 ある日、鎬と櫂は師から真実を告げられた。

(((俺は人間じゃない。血族っていうバケモンだ。もう年も年だし、弟子を取るのは月謝のためと割り切ってたが、オメエらを見てるうちに気が変わった。鎬、櫂。血族になりたくねえか)))

 血族は吸血鬼のように人間に血を授けて仲間を増やす。すべての血族は元人間なのだ。〝血を授ける〟というのは便宜的な言い方で、実際は体液の授与、性交、魔術的儀式など家系によって様々だ。

 刀鬼家の場合は血族の師が弟子を取って厳しい修行を課し、最終試練をクリアした門弟がわずかな確立で血を授かる。

 自分が血を授かるものだと確信した鎬は、一大決心して桔梗にプロポーズした。三人が二十歳になった頃だった。

 桔梗はそれを受け、二人は夫婦となった。

 桔梗と鎬はとても幸せそうに見えた。櫂はそんな二人を表向きは祝福したが、内心では自分でも説明のつかない感情に振り回された。桔梗が鎬と寝床を共にしているところを想像しそうになるたび、それを打ち消そうと一心不乱に修行に打ち込んだ。

 あれは孤独への恐怖であったと、斬逸は今にして思う。両親を亡くしたときに感じた、自分だけが世界に一人取り残されたようなあの感覚をまた味わうことになるのではないかという。

 悲劇は櫂だけが血を授かったことから始まった。

 鎬を支えていたプライドは、血族となった斬逸の非人間的な強さを目の当たりにした瞬間にチリのように吹き飛んだ。彼は桔梗に当り散らし、合法麻薬《エル》に溺れた挙句、最期は自刃して果てた。

 それから間もなく師は老死したが、斬逸が流派を継ぐことはなかった。

 桔梗は相続した土地家屋を売った金を斬逸と分け、以後数年、二人はある程度の距離を置いた関係を続けている。

 斬逸は師の墓を見つめた。〝斬逸〟とは師が櫂に与えた血族名だ。〝斬るに逸出《いっしゅつ》せし者〟。

(師匠《ジジイ》。アンタ、言ったよな。〝強くなるってことは、それだけで罪を背負うってことだぞ〟って。あん時は意味がわかんなかったけどよ、コレがそういうことなのか? 強くなることの、血族になることの罪ってのは……)

「本当のことを言うとね。見ていられなかった」

 桔梗がぽつりと言った。

「鎬がちょっとずつ壊れていく姿なんか。何でそんなに強さにこだわるのか理解できなかった。私はね、みんな元気でいてくれたらそれで良かったのに」

 桔梗は眼を細めた。

「あの人を慰めることも助けることもできなくて。私はね……どうしたら良かったんだろう。ただもう、鎬には早く楽になって欲しいって。一緒にいるのが、殴られるのがつらくて、彼から解放されたくって……」

 斬逸の胸はビリビリと音を立てて引き裂かれるようだった。

 桔梗の隣にひざまずき、ハンカチを渡す。桔梗は礼を言ってそれを受け取り、涙を拭った。

 桔梗は不意に言った。

「櫂は好きな人が出来たりしないんですか?」

「え? いやあ……俺は独身が好きなんで」

「あのブラジャーは自分用ってことかしら?」

「最近凝ってましてね。いずれ俺に似合いそうなのを選んでもらえますか」

 二人は声を立てて笑いあった。三人でいたころのように。

 桔梗は微笑んだ。

「あなたは変わらない。血族になってもあなたはあなたのまま」

 斬逸は不意に真面目な顔になり、桔梗の肩を抱き引き寄せた。

「お嬢さん、近くへ」

「えっ……」

 急な行動にどぎまぎする彼女に対し、斬逸は周囲に耳を済ませている。

 今度は人間並みの聴覚しかない桔梗にもはっきり聞こえた。

 アオォォ――ン……!
 獣の遠吠えだ。

 墓石の影で何かがさっと動いた。斬逸は跪き、スラックスをめくって足首に巻いたベルトから短刀を抜いた。

 墓石の後ろから何かが飛びかかって来たとき、彼はその隣をするりとすり抜けた。すれ違いざまに短刀が閃く。

 鞘当打ち!

 地面に落ちて倒れた獣の姿に、桔梗が息を飲むような悲鳴を上げた。

 一見するとそれは黒い犬のようにも見えるが、実際は黒い炎が犬をかたどった異形の生物であった。犬は傷口から黒い煙のような血を噴いた後、分解して消えた。

「犬?!」

「いや、これは……」

 二匹目が飛びかかって来た。

 ザシュッ!
一匹目と同じように斬り捨てた斬逸は、群れに囲まれていることに気付いていた。墓石の合間を黒い犬の影が見え隠れしている。

 最初に聞こえた遠吠えは斥候が仲間を呼び集めていたのだ。

(三十匹はいるな。あー、こりゃちょっと……)

 その十倍いてもこの程度の敵に遅れは取らないが、開けた場所で桔梗を守りながらというのはやや厳しい。

 それに必ず〝飼い主〟がいると斬逸は確信していた。斬った感触からすると、犬どもは血族の能力で作られた何かだ。

 犬の群れは駐車場へ向かう道を塞ぐように展開している。

 斬逸の行動は素早かった。桔梗を抱き上げ、墓地の裏手に広がる林の中へと飛び込んだのだ。腕の中で振り返った桔梗が悲鳴を上げた。

「追ってくる!」

「捕まっていて!」

 川に差しかかると、彼は真ん中の大きな石を踏んで対岸へ渡った。ひとっ飛びでも渡れたが、門弟時代に鎬に続いて踏み渡っていたのが癖になっていた。

 あのころはいつも鎬の背を追いかけていた。

 犬の群れは明確な敵意を持って追ってくる。

 斬逸は草に埋もれた小道の跡を真っ直ぐたどった。やがて荒れ果てた道場が現れた。表にぼろぼろになった『刀鬼家抜刀流』という看板が出ている。今は見る影もないが、櫂、鎬、桔梗の三人はここで育ったのだ。

「この中へ! 俺が呼ぶまで絶対に出ないでください」


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