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関西人の私が「ロンドン」を好きになった話

唐突ですが、皆さんは「海外に住むとすればどこがいいですか?」と聞かれたら、どの街を挙げますか?
私は単身赴任で住んでいた「ロンドン近郊」と答えます。

失敗で始まったイギリス

1996年ごろ、私は、あるプロジェクトで日本とイギリス間を頻繁に往復していました。会社としてはそのプロジェクトは成果があったのですが、私が関わっていた部分は大失敗。そんな苦い思い出のあるイギリスに、今度は、2002年ごろ37~38歳くらいの時に研究開発(R&D)部門の責任者として出向の立場で赴任することになったのです。

手掛けたのは役割を終えたプロジェクトの整理がほとんど・・・。

そういったプロジェクトは費用対効果の面でも課題が多かったことから、「これではダメだ」と思い、欧州側と日本側の上司に提言してR&Dの再編の仕事に着手することにしました。こういう仕事は人に嫌なことも言わねばならず、それなりにストレスも高かった・・・。

イギリスを走る

ストレス発散も兼ねて、マウンテンバイクを買って余暇には趣味のサイクリングを楽しみました。(そもそも赴任前から肥満を指摘されていたので。笑) 夏場は日が長いので、帰宅後のトレーニングとして当時住んでいたイーリング・コモンというロンドン西部の街にある自宅から、リッチモンド・パークという鹿がいることでも有名なロンドンの公園に行って一周してくるのが日課でした。休日はロンドンの繁華街への買い出しによくバイクで行ったものです。

ロンドン市街

たまに休日にオフィスへ行くときにも、バイクでグランド・ユニオン運河というロンドンとバーミンガム、ロンドンとレスターを結ぶ全長220kmある長い運河沿いの道(昔は馬で船を曳くために使われた道)を走っていきました。

また赴任して2年目からは行動範囲も広がり、クルマにマウンテンバイクを積んでロンドンから200km離れたコッツウォルズという映画ハリーポッターのロケ地で有名な街や、ウェールズにも走りに行ったのも懐かしい思い出です。(でも、冬場はしとしと雨が降る日が多いので、時々しかバイクに乗れず体重は増加傾向でした。汗)

グランド・ユニオン運河


ロンドンのベルギー料理

海外に住むときに欠かせないのが現地の食文化です。
ご存知の方も多いかと思いますが、「イギリスはご飯があまり美味しくない」「中華とインド料理をルーティンする」という声も良く聞きます。
今は随分変わったとも聞きますが、私が赴任していた頃は確かにそうでした。

店選びが難しいので、歴代の出向者に伝わる「お客様をお連れしても大丈夫な店」のリストが引き継がれていたくらいです。(残念ながら当時のリストや写真などは見当たりませんでした・・・。)

その中でも特に気に入ったのはロンドンの繁華街にあったBelgoというベルギー料理店でした。
旨いムール貝と様々なベルギービールを出してくれる店で、帰任後もイギリス出張の度に何度か訪れたものです(注)。
外食の店選びが難しかった一方で、野菜や肉、卵や乳製品の素材は良かったです。

コロナ前には週末は時折単身赴任のマンションに職場の仲間を招き料理を作ることがありましたが、そういったおもてなしをするようになったのもこの頃からです。
(注)残念なことにBelgoは、今はホームページも見当たりません。Covid19の影響で閉店されたようです・・・。

イギリスと大阪

イギリスと日本、住む場所は違えど似たような文化を感じることもありました。

イギリスといえばブリティッシュ・ジョークに代表されるようなユーモアを大事にするお国柄ですが、住んでいて気付いたのがイギリスと大阪の笑いのカルチャーの共通性です。

イギリスは”Mr. Bean”や”Little Britain”などのコメディ仕立てのTV番組も多いですが、笑いの方向性は微妙に違うものの、子どものころから馴染みのある吉本新喜劇に代表される大阪のカルチャーとの共通性を(勝手に)大いに感じたものです。

拙い英語でしょーもないオチをつけて、笑いを取ることに楽しみを見出したのもこの頃でした。職場での他愛無い会話もそういう雰囲気でメンバーとの交流を深めました。

拙い英語でも会話することの楽しさを感じることができたのも、この共通性を感じたからだったかな・・・と、今になって思うのです。

このようにロンドンでの日々は様々な思い出がありますが、それ以上に懐かしい思い出は行く先々で出会った見知らぬ人たちです。

道に迷っていたときも、地図を見ていればこちらから尋ねなくても「大丈夫?迷ったの?」と声をかけてもらったり、マウンテンバイクで坂道でもがいていると歩いている人が「あとちょっと!」と励ましてくれたり。

また時には疲れ果ててパブに入って一服すると、横にいる人が見かねてポテトチップスをわけてくれたりなど・・・。

いつも見知らぬ人から優しく声をかけてもらったことを覚えています。

紳士の国というイメージ通り、性別問わずとにかく暖かい人情を感じる機会が多かったことが一番の思い出です。

大阪でおばちゃんに飴ちゃんもらったときのような感じ。笑

ラインハルトさん

また見知らぬ人だけでなく、もちろん会社でも多くの人にお世話になりました。

特に印象深いのが、現地で直属の上司となったドイツ人のラインハルトさんでした。

ラインハルトさんは松下電器産業(現パナソニック)で初めて外国人役員になられた方でもありましたが、この方には英語で部下を叱るときの言葉の使い方や、その時の振舞い方などを丁寧に教えてもらいました。

「日本人の𠮟り方は相手や相手の行動を否定しがち。それではプライドを傷つけるし、モチベーションを下げてしまう。『こういうところを改善すれば、もっといいのに』という言い方をしなさい。」・・・これは、その後の社内外の海外の方と仕事をする上で大いに役立ちました。


日本ではできない様々な経験、文化との触れ合い、学びがあったことが、たった2年しかいなかったロンドンに愛着のみならず、郷愁を感じる理由かもしれません。

たとえビジネスの出張であったとしても、行った先々で合間を見つけてその国その街の風土や文化を楽しみ、仕事以外でも人々と交流をすれば、好きな国、好きな街はどんどん増えるのだと思います。

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