ツツミコウスケ

cuthbartsというバンドでギターと歌をやっております。 生まれも育ちも北海道、日…

ツツミコウスケ

cuthbartsというバンドでギターと歌をやっております。 生まれも育ちも北海道、日々の事をつぶやきます。

最近の記事

なにもない

なんにもないんですよ、面白いエピソードも 思い出も。 思い出に関しては感性が鈍ってるので思い出せないんだと思いますが、とにかくかっさかさなんスよ 家にいて仕事して、さんぽして この前久しぶりにバンドでスタジオに入った次の日に顔が筋肉痛になっていて「どんだけ表情筋使ってないのよ」って思いました。 メンバーと話すだけで楽しかったですもん コロナが流行して ・うがい手洗いで酷い風邪はひかない ・人と関わると感情が動く この二つの事を勉強しました。 コロナが治まったらキャン

    • 迎え火

      僕は幼稚園から小学校の3年生までの5年間稚内という街に住んでいました 稚内は日本最北端の街で有名ですが、僕が住んでいた頃はまだまだ田舎でした 遊びといえば近くの川で魚を捕ったり、廃材置き場で遊んでいて古釘を踏んで点滴をされたり、とにかく自然の中で遊んでいたわけです。 父さんが海上保安官だったので公務員住宅に住んでいて遊ぶ仲間もその町内の子供ばかりでした。 夏休みの終わり頃、明け方に目を開けると父さんが仕事着に着替えていました 仕事柄こういう急な出動はよくあったので僕はあま

      • リセット

        「人生やり直せるならいつがいい?」 よくある質問ですね。 先日、実際に友達に聞かれたんですよ 僕は「やり直さない」って答えました 今が人生で最高ではないし、過去に楽しかった思い出はたくさんあるんですけどね。 ここまで生きてきて愛着とか執着なんですかね、それなりに選択を繰り返して たどり着いた結果が今の自分なので。 友人が「例えば学生時代とかさ」 48時間桃鉄やったとか確かに楽しかったけども 今の自分じゃないしなぁ。 話しを振った友人からしてみれば「なんて頭の固い奴なんだ

        • 春が嫌いな僕達は日曜の夜に身を寄せあって

          これは僕がギターとボーカルをしているバンドの曲名なんです。 曲名の通り僕は春が苦手でした、長い冬を耐え抜いた生命が「まってました」と言わんばかりに地上に向かって放出するエネルギーにやられていたんですよね。 最近になって自分にエネルギーがなくなったのか 足下をよく見るようになった為なのか分からないんですが、「春を待ち望む」自分がいます なんなら小さい虫が動いているだけで幸せを感じます。 それでも「春が嫌いな僕達は日曜の夜に身を寄せあって」がちゃんちゃらおかしくて歌えないと

          戦争とへいわ

          僕は戦争を体験していないし、詳しくもありません。 ただ、よく覚えてる事があります 僕の父さんには四人の兄がいてみんな戦争がはじまると兵隊になったそうです 幸いにも四人とも無事に帰ってきましたが みんな戦争に行っていた時の事はあまり話さなかったそうです。 父さんのふたつ上のお兄さんはシベリアに抑留されていたそうです おじさんは一言でいって穏やか 山菜採りが趣味、とにかく無口 一緒に山に行っても「ああ、うん」くらいしか話さない程の無口、 だけど一緒にいて心地よい無口なんです

          二八さんとふくさん

          二八さんとは僕の父方のおじいちゃん、2番目なんだか8番目なんだかわからない名前ですが、いつも穏やかな顔をしている人でした。 じいちゃんとばあちゃんは佐賀県から北海道のトマムに開拓民としてやってきました、僕の父さんは9番目の子供でこのトマムで生まれました、 当時の堤家は林業をしていたそうで父さんの子供の頃の楽しみといえば倒した原木を山から里に運ぶ時に馬ソリにのせてもらう事だったそうなので相当ワイルドな生活だったのだと思います。 そんな堤家のばあちゃんはふくさんといいます、い

          二八さんとふくさん

          パンの香り

          僕は高校に4年通っていました、正確には一年休学したんですが。 高校1年の終わりごろから動悸や過呼吸になり原因が分からず色んな病院に通い、結局診断されたのはパニック障害でした。 その当時はまだそれ程病院もなくて札幌の病院まで通ったりとにかく僕も家族も疲れきってしまいました。 父親がその当時紋別というオホーツク海の街に単身赴任していて 「迎えにいくから紋別においで」と連絡してきて ある日の朝に父さんが玄関に立っていてびっくりしました。 僕はレコードとカセットテープ数本と発作用

          使えない千円札

          消去できないメール、捨てられない手紙、そういうモノがありませんか? 僕の場合は千円札です。 僕には「ダッコのおばちゃん」という叔母がいまして、小さい頃からとにかくダッコをしてくれるので僕はこう呼んでいました。 僕が成長して高学年になってもおばさんは膝の上に乗せて成長を確認したいと言ってダッコをしてくるのが恥ずかしくなってもやはり大好きな存在でした。 そんな「ダッコのおばちゃん」がいつも別れ際に「お母さんに内緒」と言って四つ折りにした千円札を僕の手のひらに包み込むようにわたし

          使えない千円札

          ちかくに

          地下通路をあるいていた時にトイレがしたくなり 公衆トイレに。 立ったまま用をたす為の便器通称【あさがお】で セットポジションについた時に目線の先に 「もっと近づいて!」というプレートが いやいやこれ以上近づいたら【あさがお】に接触しますけどぉ。 帰宅してからちょっと気になったので調べてみたら 最近離れてしてしまう人が多いみたいですね。 面白かったのが便器の丁度良き場所に標的になる点が付いているもの、確かに的があると狙いたくなるのが人の性ですからね。 こらからは積極的に近づい

          通勤のプロ

          今年はとにかく寒いですね、布団から出るのが本当にツラい。 僕は11年ほど施設の職員をしていました、そこは 世間で云う障がい者が高等学校を卒業して社会人デビューする場所です。 まずはみなさんと面談をするわけです、「一般企業で働きたい」、「一人暮らしをしてみたい」、「お給料をもらってみたい」みなさんそれぞれの夢や希望を語って頂くのですが、その中でも新鮮だったのが「誉められたい」というご希望のMさんでした。 経験もまだ浅かった自分は「誉められたい?ほめればいいのか?」相当悩ん

          梅干し

          息子が熱をだしまして、嫁さんが看護師のため家族でPCR検査を受ける事になりました。 紹介された病院に予約した時間に行き、看護師さんに唾を採取する容器の使い方を教えて貰い 個室へ移動するとなった時に看護師さんが 「唾出ますか?」 は? 「ツバデマスカ?」 何を言っているんだろう、唾なんて出るでしょ 僕はマスク越しでもわかる位の笑顔で「はい!」と答えた。 さてと溢れるほどのだ液をおみまいしてやろうじゃないか。 でない.... 恥ずかしながら看護師さんに「すみません」と

          ふゆふゆ

          今年は本当に寒いですね、雪も多い! みなさんはこんな時なんていいますか? 「冷えるね」でしょうか、「寒いねぇ」とか? 北海道では「しばれる」という言葉をよく使いますが、我が家では「ふゆふゆ」といいます。 これウチだけの言葉で嫁さんが使っていて はじめて聞いた時は「なんじゃそれは」という感じでしたが段々聞き慣れてくると「灰色の空にしんしんと雪が降る様子」にぴったりで、何よりも響きがかわいい。 ちなみに「はるはる」もありますが夏と秋は聞いた事がないです、誰かが言っていたわけでもな

          上々な人生

          僕のおばあちゃんは明治の終わりに北海道の福島という函館に近い街で生まれました。 訛りもどちらかというと青森に近い感じで僕も子供の頃におばあちゃんが何を言ってるかわからず聞き返したもんです。 そんな訛りの強いばあちゃんの親だから相当訛っていたのでしょう、そんな僕のひいじいちゃんは 初めての女のコである僕のおばあちゃんの誕生をとても喜んだそうで「つる」と名付けました。 さっそくひいじいちゃんは役所へと出生届を出しに行きました。当時は窓口に口頭で報告していた時代 ひいじいちゃんが訛

          ハザードランプってお礼の為にあるんじゃないの?

          雪が深くなってきた北海道、当然道路も狭くなるし車線なんてわからなくなるわけです。ドライバーも譲り合いの精神が必要となるわけで僕も割とゆずってあげるタイプなのですが.... 「なぜお礼をしない?」 いやいやいやハザードランプ押すだけでしょ?そんなに手間すか?当たり前とか思ってるの?え?心がせまい? はい、せまいです。目先の小さな見返りを心に貯金して生きてます、街なんかで肩がぶつかった時に「あ、ごめんなさい」っていってるのに睨み返されて「お前もあやまれよ」って言っちゃって嫁さんに

          ハザードランプってお礼の為にあるんじゃないの?