戦争とへいわ
僕は戦争を体験していないし、詳しくもありません。
ただ、よく覚えてる事があります
僕の父さんには四人の兄がいてみんな戦争がはじまると兵隊になったそうです
幸いにも四人とも無事に帰ってきましたが
みんな戦争に行っていた時の事はあまり話さなかったそうです。
父さんのふたつ上のお兄さんはシベリアに抑留されていたそうです
おじさんは一言でいって穏やか
山菜採りが趣味、とにかく無口
一緒に山に行っても「ああ、うん」くらいしか話さない程の無口、
だけど一緒にいて心地よい無口なんですよね。
おじさんはよく倒れた木の枝(枝といっても結構デカい)を拾ってきては
木のコブの部分をキレイに磨いて飾っていました、いや飾っているというより
磨き続けていました。
「何かぬってるの?」って聞いた事があるくらいピカピカでどれも手のひらに納まる大きさで可愛いかったんですよね。
「いや、磨いてるだけなんだよ」って言ってるおじさんは少し嬉しそうでした。
おじさんはいつも両手が震えていて
小さい頃に「手がふるえているけど大丈夫?」という事を聞いた事があって
おじさんは「ノコギリの使いすぎでこうなったんだよ」って言っていました
子供ながらにおじさんは普通のサラリーマンだったのに変だなと思っていたけど
何だかそれ以上聞けませんでした。
僕が社会人になった頃おじさんはなくなり、葬儀のあと実家で
おじさんの手の事を父さんに聞いたら
「戦争から帰ってきたら震えるようになってた、シベリアなのかその前なのかわからないけど」と言っていました。
僕は戦争を知らないし、死にそうになったことも死なせてしまったこともないです。
おじさんが戦争で見てきた事も想像もつきません。
でも、人間が手の震えが死ぬまでとまらなくなるほどの恐怖を与えていい理由はありません。
おじさんが毎日磨いていた木のコブは「地蔵」だったそうです。
僕には愛おしそうに磨いているように見えたおじさんですが、おじさんにとっては「詫びるように、願うように」磨いていたのかもしれません。
この国は戦争の特需で発展したとか、文明の発展には戦争が必要だったらしいですが。その発展とやらに人々の悲しみは含まれていますか?
その発展とやらにパパやママのいない食卓は含まれていますか?
長くなりました
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