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あたたかい拍手のなかみ

どうも、P山です。
先日、母校(大学)の友人たちに会って感じたことを書きましたが、今回は演奏会自体について書きたいと思います。

前回の話はこちら↓

卒業後初の母校


全く実感がなかったが、実に12年?13年?ぶりの定期演奏会であった。
ついこないだ卒業したばかりのような気がしていたが、光陰矢の如し。

私の専攻は作曲だったが、教育学部なので他のことも一通りやらなければいけないカリキュラムで、それがとてもありがたく、楽しかった。
今年退官の教授は声楽の先生で、専科でなくても裏方など総合的な実習ができるオペラの授業でも大変お世話になった。

今年はその教授が指揮をする合唱が目玉の演目で、卒業生がたくさん乗る(演奏に参加する)ということだった。
そのため高確率で同級生は知っている先輩後輩にも会えると踏んで、観に行くことにした。(ほんとはP山も乗りたくてスコアと合唱譜を用意したが、練習時間を確保できずに断念した…)

演奏会

演奏会は基本的に吹奏楽、管弦楽、合唱が披露される。
私が現役の頃はアラカルト演奏と言って、室内楽や小規模アンサンブルの演目もあったが、今回は無かった。
もしかしたらコロナ禍を経て、コンサート時間の短縮などを求められたのかもしれない。

吹奏楽ステージ(3曲)の演奏後、面白いことに気づいた。
ウィークポイントが、私達が演奏していた頃と同じなのだ。
指導の問題なのか?(指導者は変わっていた)
同じような選考基準で集まってくるからか?(試験の内容は知らないけど)
同じような目標集団だからか?(演奏家というより教員を目指す人の方が多い)
色々考えてみたけれどよくわからなかった。

それでも、演奏する現役生たちは真剣な眼差しで、誇りを持っていることが感じられた。その生き生きとした姿を見ながら、心の中ではいつしか、自分たちの演奏を反芻していた。

演奏中に思うこと

今思えば、よくあんな演奏で胸を張れたなと思う。
(失礼!誤解のないように言っておくと、現役生の演奏がひどいということではない。卒のない演奏で、よく練習されていた。)
先ほど述べたウィークポイントのこともあったし、吹奏楽では3割ぐらい、管弦楽は半分ぐらいが初心者の楽器をどうにかこうにか操って本番に臨む。

たとえばピアノや歌で入学した人が管楽器を吹くとか。私もオルガンの演奏で入学したが、管弦楽ではヴィオラを弾いた。
鍵盤を叩けば調律された音が出てくるピアノやオルガンと違い、管や弦は自分の口や指でピッチを作る。
私も2年生になって初めてヴィオラを触ったが、まず弓を適切な場所でギコギコやるところから難しくて、気が遠くなった。
絶対音感があるが故に、自分のひどい音色と音程に、泣き笑いしながら練習したものだ。
そんな人たちが集まって合奏するとどうなるか。
言うまでもなく、ピッチの幅が広くなって、特に中低音はもこもこする。
吹奏楽も管弦楽も、そういうところはやっぱり、当時の私達とそう変わらなかった。
(いや、当時より弦専攻の割合も増えて、全然音はクリアになっていた。)

そんな自分たちでも、演奏会では、不思議と誇りや自信を持っていた。
緊張して、苦戦して演奏を終えたところで、大きくあたたかな拍手を受けると、「やったった!」という気持ちが湧いてきた。
なかなか鳴り止まない拍手に包まれ、舞台の明かりを落としてようやく拍手が収まるのを見ると、なんだか自分たちがプロにも負けない素晴らしい演奏をしたような気分になっていた。

拍手する側になってみて

演奏が終わって、現役生たちに拍手を送りながら、彼らの顔を見て、その誇らしかった気持ちを思い出した。
同時に、あの5分も10分も続く「大きくてあたたかな拍手」の正体も知った。

もちろん演奏そのものに対してでもあるが、きっと、それまでの彼らの全てへの拍手なのだ。
演奏を聴きに来ているのは、他学部や他コースの友人、卒業生、現役生の家族で大体が占められている。
今回特に卒業生が多かったのもあるし、私自身がそうだということもあるから贔屓目もあるが、演奏している誰かの、今日までの姿、その全てに対しての拍手なのだ。
だからあんなにもあたたかく、心強く、まるで幼い頃に頭を撫でられたときのように、誇らしい気持ちになったのではないだろうか。

卒業生の中には、私のようにすっかり表舞台から離れてしまった人もいる。
どんな大人になるか、どんな人生になるか、舞台に立っていた頃の私は想像もできなかった。
まさか、命より大切だった音楽を手放して、かわりに抱っこ紐で胸に赤子を抱いて、数年に1度しかコンサートにも行かない、そんなおばさんになるなんて、思ってもみなかった。
そんな私にも、必死で音楽に向き合った4年間があった。
それを思い出させてもらった演奏会だった。

いま舞台に立つ彼らに、どんな未来が待っているにしても、そのすべての未来に、幸あれ!という気持ちで、腕を高く挙げて、舞台の明かりが落ちるまで、拍手を送り続けた。



※画像お借りしました。TOMOさん、素敵なイラストをありがとうございます。

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