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海をめざして注ぎこむ大河口があなたの中に見える

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小さな私立大学にはアメリカの大学のように定年がない。その意志があれば講義をもつことができる。彼は八十過ぎてもなお四年間、教室に立っていたが、三年前に妻を失い、それから急激に体力も気力も衰えて、いよいよ潮時だと決断したのだった。その最終講義は五百人ほど収容できるホールで行われた。彼の講義をうけた生徒たち、二十年前、三十年の前の卒業生たちが日本の各地から訪れ、その五百の席がすべて埋り、何十人もの現役の学生たちは立見のままの聴講となった。

‥‥ぼくがアメリカに渡って得た最大の収穫は妻と出会ったことだが、そのとき妻を通してもう一人の人物に出会った、もちろんこの人物を知っていたし、彼の詩を読んでいたが、しかしそれは読むというより眺めたといった程度のことで、むしろぼくはこの人物を避けていたんだな。
妻はその頃、長いトンネルのなかを歩いていて、まったく光が見えず、あまりにも大きな仕事で何度もくじけそうになる、そんな妻を励ましていたのがホイットマンの詩だった、 彼女は生命のエネルギーを得るために彼の詩を愛読していて、ぼくにも彼の詩を朗読してくれるようになった、それ以来、《草の葉》はいつもぼくたちの手元にあって、いつも互いに読みあって暮らした三十年だった。

ホイットマンはアメリカの詩人だが、しかし彼はアメリカ人というよりは、地球を歌った地球人と呼ぶべき人種なんだな、インドを熱く歌った詩もあるし、日本を歌った詩もある、《群がり茂る我らが葉》」という詩がある、ぼくの大好きな詩だ、いつもフロリダの緑の半島、いつもルイジアナのデルタ、いつもアラバマとのテキサスの綿畑をと、まるで気球に乗って、アメリカ大陸を横断し縦断していくかのような雄大な詩だが、ぼくはこの詩を読むときこう読みかえているんだ、いつも知床の緑の半島、いつも安曇野に聳え立つアルプスの峰々、いつも光かがやく沖縄の海、と日本の大地に置きかえてね、あるいはホイットマンのもっとも有名な詩《アメリカの歌が聞える》も、ぼくは《日本の歌が聞える》とイメージを変えて読んでいる。

こうしてぼくはホイットマンを知り、《草の葉》を読み、そしてはじめて、日本の英語教育を一大転換させ、さらには英語を日本人のもう一つの母国語にするという壮大な理想を宿したメソッドに、なぜ《草の葉》が冠せられたのかが知識としてではなく、ぼくは全肉体、全精神をかけて理解できた、草とはなにか、ホイットマンは言う、草とは神のハンカチーフだと、どんな地にも草は茂っていく、どんな荒れた地にも草は広がりわたっていく、この草の生命力をもって、英語が日本の大地に広がっていけという祈りをこめてつけられたのだ。

以来、ぼくはこの小さな大学に拠点をおいて、この草の葉メソッドをこの地に広げようと苦闘してきた五十年だったが、果たしてどれほどのことをしてきたのか、この雄大な思想に、この壮大な理想に、いつもぼくは打ちのめされ、自分の非力に絶望するばかりだった、しかし、このぼくが教壇に立つ最後の日に、日本の各地から君たちがやってきた、そこに坐っているのは、永井君だな、君は吉井さんだな、ああ、君は、なんといったか、そうだ、坂口君だな、君たちはぼくの最初の生徒だった、君は高橋さんだ、ああ、野口君、青井さん、ああ、なつかしい、涙腺がうるうるとしてきたぞ‥‥これは困った‥‥これは涙でなくて汗だからね‥‥君たちはいまそこに座っている、しかし君たちの顏にしっかりと書かれている、それぞれの地で、一房の草となって、日本英語を広げんと戦っていることが、雄大な思想と、壮大な理想を抱きしめて生きているということが、君たちの顔にしっかりと書かれている。

妻を失ってもう三年になるが、ぼくは彼女を失ってから一度も「草の葉」を手にしていなかった、手にすることできなかった、しかし今夜はまた手にとれそうだな、君たちに勇気をもらった、まだくたばるなってね、もう一度立ち上がれってね‥‥」

その夜だった。テーブルに久しぶりにワインをのせてちびりちびりとすすった。高揚した一日だった。アンを失ってから茂樹は、もう八時にはベッドに入る。そうだ、学生たちに今日約束したな。今夜は「草の葉」を久しぶりに読むと。彼は四隅が黄色く変色してあちこちに書き込みがなされている「草の葉」を手にした。するとチャイムが鳴った。こんな夜更けにだれの訪問なんだと、玄関に出てドアを開くと、二人の女子学生がそこに立っていた。二人は交互に言った。
「先生、長いことにありがとうございました。今夜は先生に、ささやかですけどそのお礼に、《草の葉》の朗読をしにきました。奥さまほどの朗読ではありませんが、先生の大好きな詩を数編、朗読したいと思います。聞いて下さいますか」
 大合唱が外から聞こえてきた。驚いて玄関を出ると、前庭から通路まで、昼間の最終講義の聴講者たち、老若男女百人近い人々が、その場をぎっしりと埋め尽くして、声高らかに「草の葉」を朗誦しているのだ。

To Old Age
I see in you the estuary that enlarges and spreads itself
grandly as it pours in the great sea.

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The First Dandelion
Simple and fresh and fair from winter’s close emerging,
As if no artifice of fashion, business, politics, had ever been,
Forth from its sunny nook of shelter’d grass—innocent,
golden, calm as the dawn,
The spring’s first dandelion shows its trustful face. 

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I Hear America Singing
I hear America singing, the varied carols I hear,
Those of mechanics, each one singing his as it should be blithe and strong,
The carpenter singing his as he measures his plank or beam,
The mason singing his as he makes ready for work, or leaves off work,
The boatman singing what belongs to him in his boat, the deckhand singing on the steamboat deck,
The shoemaker singing as he sits on his bench, the hatter singing as he stands,
The wood-cutter’s song, the ploughboy’s on his way in the morning, or noon intermission or at sundown,
The delicious singing of the mother, or of the young wife at work, or of the girl sewing or washing,
Each singing what belongs to him or her and to none else,
The day what belongs to the day – at night the party of young fellows, robust, friendly,
Singing with open mouths their strong melodious songs.

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As Toilsome I Wander’d Virginia’s Woods
As toilsome I wander’d Virginia’s woods,
To the music of rustling leaves kick’d by my feet, (for ’twas autumn,)
I mark’d at the foot of a tree the grave of a soldier;
Mortally wounded he and buried on the retreat, (easily all could I understand,)
The halt of a mid—day hour, when up! no time to lose — yet this sign left,
0n a tablet scrawl’d and nail’d on the tree by the grave,
Bold, caution, true, and my loving comrade.

Long, long I muse, then on my way go wandering,
Many a changeful season to follow, and many a scene of life,
Yet at time through changeful season and scene, abrupt alone, or in the crowded street,
Comes before me the unknown soldier’s grave, comes the inscription rude in Virginias’s woods,
Bold, cautions, true, and my loving comrade.

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To a Pupil
Is reform needed? is it through you?
The greater the reform needed, the greater the Personality you need to accomplish it.

You! do you not see how it would serve to have eyes, blood, complexion, clean and sweet?
Do you not see how it would serve to have such a body and soul that when you enter the crowd an atmosphere of desire and command enters with you, and every one is impress’d with your Personality?

O the magnet! The flesh over and over!
Go, dear friend, if need be give up all else, and commence to—day to inure yourself to pluck, reality, self—esteem, definiteness, elevatedness,
Rest not till you rivet and publish yourself of your own Personality.


注釈
つぎの二つのサイトにホイットマンの詩に二者の日本語訳つけて載せています。一篇一篇、言葉の精で紡がれた詩を鑑賞してください。




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