ウオールデン

絶望に沈みことなく、新しい地平を拓くために、ともにこの時代をいきる有名無名の人たちに、…

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絶望に沈みことなく、新しい地平を拓くために、ともにこの時代をいきる有名無名の人たちに、さらにその時代を生きた過去の人々や、やがて出現する未来の人たちに手紙を書くことにした。

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最近の記事

心が折れる──能登半島豪雨

記録的な大雨となった石川県の能登地方では24日、生存率が急激に下がるとされる発生から72時間が経過した。輪島市や珠洲市内では安否不明者などの捜索活動が続ている。 ■2階が1階の高さ…コンクリートも破壊  記録的な大雨が発生した能登半島。24日午前、災害の発生から生存率が急激に下がるとされる72時間が経過するなか、安否不明者の捜索が続いていた。  輪島市では、行方不明となっている中学3年生の喜三翼音(きそはのん)さんのものとみられる靴が、自宅からおよそ1キロ離れた海岸で見つか

    • なんで能登ばかり──能登半島豪雨

      去年の地震、今年の地震、そして水害。 なんかそんなにじめなくてもよくない。 本当に誰がこんな試練を与えるのかってね。 先週仮設住宅の鍵をもらって やっとこの避難生活から仮設に入って この雨で床上進水。 いやもう絶望するでしょね。 これから刈り入れだっていう状況で、 本当にあの黄金の稲穂を見ていて、 うわっ、今年も良かったと思っていたのに、 それが全部倒される。

      • 演劇の時代を作るための本づくり

        文芸というジャンルには小説家、詩人、劇作家と呼ばれる人々がいるが、西欧社会では、ホメロースや、ダンテや、シェクスピアを生んだ伝統によって援護されるからなのか、いまでも暗黙のうちにその順位がつけられている。第一位が詩人で、第二位が劇作家で、第三位が小説家という順位が。 いまここで西欧社会が作家たちを格付けする順位を俎上に挙げるのは、日本の詩人と劇作家の存在のあまりにも無残な希薄さである。この日本には詩を書くことで人生を生きようとしている詩人は何千人といるはずだ。あるいは劇作家

        • 生きるか死ぬか、それが問題だ

          ハムレットの憂うつ  A Cup of Coffee 管理人    ハムレットは元来、快活で機知にとんだ好青年であったと思われる。それは科白の節々から察せられる。また、文武両道に優れていた。それでこそ国民に愛される王子であった。ただ勘の鋭い感性豊かな性格は、もって生まれたものだろう。この性格がハムレットを悩ますことになる。   しかし舞台に登場するハムレットの顔には、すでに憂愁がただよっている。それは敬愛する父の突然の死が契機だった、と登場人物の会話から推測される。そしていき

        心が折れる──能登半島豪雨

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        • エッセイ
          233本
        • シェクスピア
          9本
        • 人文学
          135本
        • 草の葉ライブラリー
          56本
        • ゼームス坂物語
          24本
        • 実朝と公暁
          34本

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          ハムレット 第一幕・一場 

            第一幕第一場  エルシノー。城壁の上の通路。 フランシスコウが歩哨に立っている。バナードウ入場し、近づく。   バナードウ 誰だ。   フランシスコウ そっちこそ誰だ。止まれ、名乗れ。   バナードウ 国王陛下万歳。   フランシスコウ バナードウか。   バナードウ そうだ。   フランシスコウ まったく時間通りだな。   バナードウ いま十二時を打ったばかりだ。交代だよ、フランシスコウ。   フランシスコウ 休めるのはありがたい。ひどい寒さだ、 気が滅入ってしまう。

          ハムレット 第一幕・一場 

          ロナルド・キーンさんへの手紙

          日本人の戦争──作家の日記を読む     著名な東京大学仏文科教授渡辺一夫は、壊滅的な大空襲があった翌日、三月十一日から日記をつけ始めた。すでに述べたように渡辺が日記の多くをフランス語で書いたのはそうしなければ自分の政府批判が憲兵に読まれてしまうかもしれないと恐れたからだった。日記にはイタリア語、ラテン語その他の語句が散見されるが、いずれも悲劇的な文句である。日記の表紙には一つの引用句”Lasciate ogni speranxa"と”Mane,Thece, Phar&s!

          ロナルド・キーンさんへの手紙

          仲代達矢さんへの手紙

           それは2020年にことだった。仲代達矢さんが89歳のときに、仲代さんはこんなメッセージを世に放っている。    今はなき女房の宮崎恭子(やすこ)が残してくれた無名塾という財産とともに、健康に感謝して、足腰がきく限り、体力が続く限り、声が出る限り、もう少し頑張りたい。  私の心の片隅にはずっと思い続けていたことがある。それは宮崎恭子との共同作品「いのちぼうにふろう」を私の役者としてのグランドフィナーレにしたいということだった。なんせ今年90歳になる私はセリフを覚えるのが大変で

          仲代達矢さんへの手紙

          上杉鷹山、200年前の行政改革

          代表的日本人・上杉鷹山    内村鑑三 1 封建政体 「神の国」の出現はこのみじめな地上ではついに望み得ぬことであろうか? 人類はこれを全く望みなきことにあらずとして切望して来たし、人類の歴史はそのそもそもの始めからそれと明らかに自覚はしないながらも、神の国をこの地上に実現しようという試みの連続であったように思われる。クリスチャンはヘブライの預言者の理想を受け継いで、十九世紀ものあいだ神の国の出現を祈ってやまなかった。神の国は確かに地上に実現されると、早くも想像した人々があ

          上杉鷹山、200年前の行政改革

          リバー・ランズ・スルー・イット 3

          A River runs Through It    by Norman Maclen  For some time, though, he struggled for more to hold on to. "Are you sure you have told me everything you know about his death? ” he asked. l said、"Everything."“It's not much, is it?” “No," I re

          リバー・ランズ・スルー・イット 3

          リバー・ランズ・スルー・イット 2

          A River Runs Through It by Norman Maclen ln our family, there was no clear line between religion and fly fishing. We lived at the junction of great trout rivers in western Montana, and our father was a Pres-byterian minister and a fly fish

          リバー・ランズ・スルー・イット 2

          吉田秀和さんへの手紙

          森の奥から聞こえてくる声と歌     奇跡の番組 土曜日の夜、闇も深くなり、生活の喧騒も遠く去っていくとき、NHKのFMにチャンネルをあわせると、まるで森の奥に聳え立っている一本の木立から放たれるように、「名曲の楽しみ、吉田秀和」という声が流れてくる。なにもかも数値といったもので決まっていく時代にあって、これは奇跡というものに属することだった。吉田秀和さんは一九一三年の生まれだから、今年九十四歳である。九十四歳の人がラジオの定時番組を持っているなど、今日ではありえない奇跡に属

          吉田秀和さんへの手紙

          渡り鳥

           年が明けて、だんだん卒業式の日が近づいてくると、弘の耳に守が子供団をやめるとか、美雪も、かおるもやめるといった話がはいってくる。もう中学生になったら、子供団ではないというわけだ。そんな彼らのゆれ動く気持ちの背後には、親の圧力といったものがあった。中学生になったら勉強であり、子供団のような、いわば遊びに熱中するような活動からもう足を洗うべきだというのが、親たちの絶対的な価値観であった。その絶対的な価値観の前に子供たちはもろにさらされる。  もしうわさ通り、中学生になった子がど

          リバー・ランズ・スルー・イット 1

          A River Runs Through It By Norman Maclean   Acknowledgments Although it's a little book, it took a lot of help to become a book at all. When one doesn't start out to be an author until he has reached his biblical allot-ment of three score y

          リバー・ランズ・スルー・イット 1

          実朝と公暁  八の章

           八の章    実朝は台所の足をからめて、ふくよかな肉体を愛撫していた。彼の深い渇きを癒すかのように、女の体に手を這わせていく。実朝が、性愛の喜びというものをしみじみと知ったのは、この二、三年のことだった。実朝の心のなかには、いつも虚無がその暗い淵をのぞかせている。呑み込まれていきそうな深い虚無だ。性愛はつかの間、その淵から彼を遠ざけていくことでもあった。 「このところ、殿はうれしそうですね」 「そのように見えるか」 「いつもと違って、なにか心がうきうきしているようにみえます

          実朝と公暁  八の章

          荻原守衛への手紙

          荻原守衛が没したのは明治四十三年(一九一〇)だったから、それから百年という月日が流れていることになる。しかし守衛は依然として生命をたたえて存在している。穂高駅から歩いて五分の位置に、彼の全作品(全作品といってもわずか十一点である)を展示した美術館がある。安曇野を訪れる友人知人を、私は必ずこの美術館に連れていく。すると彼らもまたリピーターになって、幾度もこの美術館に足を運ぶようになる。ある友人はこう漏らした。 ──この美術館にくると、生きる勇気や、情熱が湧き立ってくる。ここには

          荻原守衛への手紙

          宮沢賢治への手紙

          宮沢賢治が生前に出版した本は、詩集「春と修羅」と童話集「注文の多い料理店」の二冊のみで、それは裏山の池に小石を投げ込んだ程度のことだった。しかし賢治の死後、ノートに書き込まれていた未完の作品や作品の断片が、永遠の未完成こそ完成された創造だというばかりに本になって、読書社会に投じられていった。それはいまも連綿とつづいて、今日もまた新しく編集された賢治の本が登場した。 賢治は読み継がれていくだけではなかった。彼の作品に立ち向かっていく創造者が一人また一人とあらわれていくのだ。子

          宮沢賢治への手紙