ウオールデン

絶望に沈みことなく、新しい地平を拓くために、ともにこの時代をいきる有名無名の人たちに、…

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絶望に沈みことなく、新しい地平を拓くために、ともにこの時代をいきる有名無名の人たちに、さらにその時代を生きた過去の人々や、やがて出現する未来の人たちに手紙を書くことにした。

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能登半島地震  5

平安時代末期、平清盛によって栄華を極めた平家は、文治元年(1185)壇ノ浦の合戦で源義経率いる源氏軍勢に破れ、この時、平家団結の象徴であった安徳天皇は御歳八歳で二位の尼に抱かれ入水する。平家方生存者の殆どは、鎌倉幕府の厳しい追求の中、離散の生活を始めた。 生存者中最高重臣であった平大納言時忠は、源義経との約束により能登の地へ配流され、文治五年二月二十四日この地で没す。 当家の初代は文治元年(1185)、能登に配流された平大納言時忠。時忠の子、時国の代より当地で農耕を営み、時

    • 能登半島地震   4

      何というか、ほとんど清々しいくらいに見えるこの方の語り口に逆に心が痛みます。元のように漁のできる穏やかな暮らしに戻られることを心から祈ります。少しずつですが復興支援の募金をしていきます。 港を作り直すしかないだろう。費用も時間もかかるが、諦めたら終わりだ。 素敵なおじいさんだな、地元を愛する気持ちすごい伝わる、ほんとに切ない。 被災者も、役所の人も、土木の人も、水道局の人もボランティアの人たちもみんな、すごく頑張ってて、映像見てても涙が出てくるけど、首相と知事が話す言葉は

      • 能登半島地震   3

        360度の大画面、この大惨事、ただ言葉がない。 コメントなしでひたすら歩いて取材撮影をするマスコミがほとんどなので貴重な映像ですね。足音と鳥の鳴き声くらいしかしない閑散とした様子に被災地の時の止まった寒さ感じられます。テレビはこういう静かな報道をせずにスタジオで騒いでいるように思えます。 個人でこんな動画をアップしている人もいますが、人員のいる報道機関にこんな冷静な報道をもっとしてほしいです。 去年の芸術祭の時に起こらなくてホントに良かった。 これからも報道続けてくださ

        • 能登半島地震 2

          能登半から三か月 家族を亡くした出口彌祐さん どうにもならないね 家はいくらつぶれてもいいけど 命はもとに戻らないからね そういう意味じゃ つらいなという気はしますよ 元旦の地震で裏山が崩壊、自宅が押しつぶされて長年連れ添った妻と長男の命が奪われました。二人と出口さんをつなぐのは千枚田の存在です。 長いことやってきたから 生きがいにもなっていて 私としてもね 家内や長男の気持ちの中にも 千枚田は生きていると思うんで それをしょって少しでも頑張ってみようと 輪島

        能登半島地震  5

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        • 目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ
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          能登半島地震 1  

          皆がびっくりするような町を作って、待っとるし 平野敏 みなさん、卒業おめでとうございます。 大切な方を亡くした方もいます。大事なものを燃やしてしまったり、失くしてしまったり。先生も、スーツとか、全部なくなって、一月一日からずっと一緒の服で過ごしていました。でもね、この服、今年の入学式が終わったあとずっと校長室に置きっぱなしだったんですよ。なので、今日はきちんとした格好で、みんなの卒業をお祝いすることができます。 みんなは中学のときにコロナで、そしてその後、高校に入ってきて

          能登半島地震 1  

          雨の遠征

          「あなた……」  とつい口をついて出かかるときがある。しかし空っぽの部屋にただよっているのは、ひんやりとした空気だけだった。邦彦は家を出ていったのだ。二人を残して。自分の心を整理して邦彦と笑って別れたはずなのに、智子はいまでも彼の影を追っていた。新婚生活のなんと甘かったことだろう。アメリカでの生活は楽しかった。あんなに愛しあっていたのに。彼女のなかに甘く懐かしい思い出が、なにか胸をしめつけるようによみがえってくる。  邦彦を憎もうとした。彼は若い女性と恋に落ち、裏切っていった

          実朝と公暁  五の章

          実朝は殺された。しかし彼の詩魂は、自分は自殺したのだと言うかもしれない。 ──小林秀雄  源実朝は健保七年(一二一九年)正月二十七日に鶴岡八幡宮の社頭で暗殺された。この事件の謎は深い。フィクションで歴史を描くことを禁じられている歴史家たちにとっても、この事件はいたく想像力をかきたてられるのか、その謎を暴こうと少ない資料を駆使して推論を組み立てる。しかしそれらの論がさらに謎を深めるといったありさまなのだ。それもこれも、実朝を暗殺した公暁がいかなる人物であったかを照射する歴史資

          実朝と公暁  五の章

          竹取村のかぐや姫  七の章

          七の章   石作皇子  かぐや姫に求婚した五人の皇子も、とうとう残るは一人になってしまった。五人のなかで一番地位の低い皇子であったが、しかし頭のきれるロマンにあふれた石作皇子(いしづくりのおうじ)が。いったいこの最後の皇子はどうなったのだろうか。  この皇子も姫の館からもどると、身辺の整理をし、自分が不在の間にもその役目が勤まるよう重々に備え、四人の従臣たちをひきつれて海路太宰府にむかった。その当時、外国との貿易の最大の拠点が太宰府だったからだが、幸運なことに皇子の一行

          竹取村のかぐや姫  七の章

          モンスターはどこから生まれたのか

          スピーチのレジュメ 一 およそ三十年ほど前、遠山啓という数学者が、「ひと」という教育雑誌を創刊させて、大きな教育変革のムーブメントを起こしたのですが、それはやがて日本の教育政策を転換させるばかりに広がっていきました。しかしそんな大きなうねりをつくりだしたムーブメントも、十年ほどの前に消え去ってしまいましたが、これはなぜだと思いますか。 二 そのムーブメントによって、子供たちに光があてられ、彼らの存在する意味が確立されていきました。それはこの教育変革ムーブメントの大きな成

          モンスターはどこから生まれたのか

          いじめに苦しむ子供たち

          これはみなさんとの出会いの場を、ボールを投げあう挑戦のスピーチとするために作成した問題です。熱球が投げ返されることを期待しています。 問題 「ゼームス坂物語」の第二巻「あの朝の光はどうだ」のなかに「ゲジ子」という章があります。そこに野村美香という少女が登場してきますが、クラス担任はこの少女に対応できず、学級崩壊をきたしたばかりか、その教師は二度と教壇に戻れなくなりました。この事例をテキストにして、もしあなたならばどのように対応するのか、この少女にどのように立ち向かうのか、ク

          いじめに苦しむ子供たち

          目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ 第8章

          第8章  唐木哲也を、千鳥ケ淵のFホテルに訪ねることなど、二、三年前には想像もつかないことだった。まるでこの世を捨てた人間のように、ひらひらと舞う蝶を追いかけて、日本はもとよりアラスカやニューギニアにも足をのばす。ペンネームを、虫山蝶太郎と名づけたぐらい彼の生活は蝶一色だった。毎日の生活はもちろん、あちこちにでかける金はいったいどこから捻出しているかというと、あまりはっきりと語りたがらなかったが、どうも闇のルートがあるようで、そこでかなり高額で蝶マニアたちに蝶を売りさばいて

          目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ 第8章

          木立は緑なり

           長太もまた文章を書くのが苦手だった。蝶の仲間たちと「南の国から」という季刊誌を発行していて、そのなかに彼に割りあてられたページがあるのだが、その原稿を書き上げるためにいつも四苦八苦している。それなのに毎月子供たちに作女を書かせることにしていた。  国語という科目で子供たちは、漢字を書いたり、長い文章を読んだり、そこになにが書かれているかをあれこれ解釈したり、あるいは文法を学んだりする。しかし長太にはどうも国語という科目には、それ以上のものがこめられているように思えるのだ。と

          木立は緑なり

          樫の木子供団

           午前中、森閑としている児童館は、小学一、二年生があられる一時頃からざわざわしてきて、高学年がやってくる三時頃になると、もうどたばたぎゃあぎゃあと騒がしいことこの上なくなる。児童館職員もまた駆け回る子供たちのなかに入って、ときにはサッカーや卓球の相手になったり、紙芝居をしたり、本を読んでやったり、またあるときは工作をしたり、絵を画かせたり、ゲームをしたりと忙しくなる。  しかしそれは別に強制されたものではなく、気が向かなければなにもしなくてもいいのだった。児童館の仕事というの

          樫の木子供団

          実朝と公暁  四の章

          実朝は殺された。しかし彼の詩魂は、自分は自殺したのだと言うかもしれない。 ──小林秀雄 源実朝は健保七年(一二一九年)正月二十七日に鶴岡八幡宮の社頭で暗殺された。この事件の謎は深い。フィクションで歴史を描くことを禁じられている歴史家たちにとっても、この事件はいたく想像力をかきたてられるのか、その謎を暴こうと少ない資料を駆使して推論を組み立てる。しかしそれらの論がさらに謎を深めるといったありさまなのだ。それもこれも、実朝を暗殺した公暁がいかなる人物であったかを照射する歴

          実朝と公暁  四の章

          あのときの王子くん from21to27 

          あのときの王子くん LE PETIT PRINCE アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery 大久保ゆう訳 あのときの王子くんについて  大久保ゆう 5 脱・内藤濯訳 この訳は、さまざまな点で、すでにある内藤濯氏の訳から抜け出ることを試みています。私は、この作品がファンタジーであるとは思いませんし、また『星の王子さま』という題名を冠されるような作品であるとは考えていません。新訳である以上は、前のものに追従するのではなく、それ

          あのときの王子くん from21to27 

          《スキ》が飛んでこず《note》から撤退していくあなたへの手紙

          《note》に上陸したころ、ちょっとむきになって《スキ》なるものを追撃していった記事を打ち込んだが、ながく中断していた小野信也さんの《note》が再開されたのを機に、このあたりで再び、《note》という新大陸に言葉を植樹するとはどういうことなのかを思考するために、そのとき打ち込んだ記事を再度植樹してみる。 いま読み返してみると、ずいぶんひどいことを書いているなと思い、「ウオールデン」のサイトには次のような警告板《 「ウオールデン」は《スキ》を投じることを拒絶するサイトです。「

          《スキ》が飛んでこず《note》から撤退していくあなたへの手紙