リバー・ランズ・スルー・イット 3
A River runs Through It by Norman Maclen
For some time, though, he struggled for more to hold on to. "Are you sure you have told me everything you know about his death? ” he asked. l said、"Everything."“It's not much, is it?” “No," I replied, “but you can love completely without complete understanding." "That l have known and preached," my father said.
Once my father came back with another question.“Do you think l could have helped him?” he asked. Even if l might have thought longer, l would have made the same answer. “Do you think l could have helped him?” l answered. We stood waiting in deference to each other. How can a question be answered that asks a lifetime of questions?
After a long time he came with something he must have wanted to ask from the first. “Do you think it was just a stick-up and foolishly he tried to fight his way out? You know what l mean―that it wasn't connected with anything in his past.”
「しばらくの間、彼はもっと何かを掴もうと奮闘していました。「彼の死について知っていることはすべて話してくれたのか?」と彼は尋ねました。私は「すべてです」と答えました。「それほど多くはないですね?」と彼は言いました。「そうですね」と私は答えました。「でも、完全な理解がなくても完全に愛することはできます。」と。父は「それは私が知っていて、説教してきたことだ」と言いました。
ある時、父はまた別の質問を持って戻ってきました。「私が彼を助けることができたと思うか?」と尋ねました。もしもっと考えたとしても、同じ答えを出したでしょう。「私が彼を助けることができたと思うか?」と私は答えました。私たちは互いに敬意を表して待っていました。生涯の問いを含む質問にどう答えればよいのでしょうか?
長い時間が経った後、彼は最初から聞きたかったであろうことを口にしました。「それは単なる強盗で、彼が愚かにも逃げようとしたのだと思うか?つまり、彼の過去と何の関係もないのではないかということです。」
(ChatGPT ですます調の翻訳)
しばらくの間、彼はもっと何かを掴もうとして苦悩していた。「彼の死について知っていることをすべて話してくれたのか?」と彼は尋ねた。私は「すべてです」と答えた。「あまり多くはないようだな?」と彼は続けた。「そうですね」と私は答えた。「しかし、完全に理解できなくても、完全に愛することはできるんです。」すると父は、「それは私も知っているし、説いてきたことだ」と言った。
しばらくして父は再び質問を投げかけてきた。「私が彼を助けることができたと思うか?」と尋ねた。たとえもっと長く考えたとしても、私は同じ答えをしただろう。「あなたが彼を助けることができたと思いますか?」と私は答えた。私たちは互いに敬意を示しながら待っていた。人生にわたる問いを問う質問には、どのようにして答えることができるのだろうか?
長い時間が過ぎた後、父は最初から尋ねたかったに違いない何かを持ち出してきた。「ただの強盗で、彼が愚かにも抵抗しようとしただけだと思うか? 過去のどんな出来事とも関係がなかったという意味でね。」
( ChatGPT であるすます調の翻訳)
“The police don't know," I said.
"But do you?” he asked, and l felt the implication.
“I’ve said I've told you all know. If you push me far enough, all l really know is that he was a fine fisherman."
"You know more than that," my father said. ゛‘He was beautiful.”
"Yes,”l said, “he was beautiful. He should have been―you taught him."
My father looked at me for a long time―he just looked at me. So this was the last he and l ever said to each other about Paul's death.
Indirectly, though, he was present in many of our conversations. Once, for instance, my father asked me a series of questions that suddenly made me wonder whether l understood even my father whom l felt closer to than any man l have ever known. “You like to tell true stories, don't you?” he asked, and l answered, "Yes, I like to tell stories that are true.”
Then he asked, “After you have finished your true stories sometime, why don't you make up a story and the people to go with it?
「警察は知らない』と私は言いました。
『でも、あなたは知っているのか?』と彼は尋ね、私はその含意を感じました。
『すべて知っていると私は言った。もし私を追い詰めれば、実際に私が知っているのは、彼が素晴らしい釣り人だったということだけだ。』
『それ以上のことを知っているだろう』と父は言いました。『彼は美しかった。』
『はい』と私は答えました。『彼は美しかった。彼はそうあるべきだった―あなたが彼を教えたのだから。』
父は長い間私を見つめました―ただ私を見つめていただけでした。これがポールの死について、彼と私が交わした最後の言葉となりました。
しかし間接的に、彼は私たちの多くの会話に存在していました。例えば、ある時、父は一連の質問をしてきました。その質問は突然、私がどれほど私の父を理解しているか疑問に思わせました。私が今まで知ってきたどの男性よりも親しいと感じていた父のことを。『あなたは本当の話をするのが好きだろう?』と父は尋ね、私は『はい、本当の話をするのが好きです』と答えました。
それから父は、『本当の話を終えた後、なぜ物語とそれに合う人々を作り上げないのか?』と尋ねました。」
(ChatGPT ですます調の翻訳)
「警察は分かっていない」と私は言った。
「だが、お前はどうだ?」と彼が尋ね、私はその含意を感じた。
「知っていることはすべて話したと申しました。あまり問い詰められると、私が本当に知っているのは、彼が素晴らしい釣り師だったということだけだとしか言えません。」
「それ以上のことを知っているだろう」と父は言った。「彼は美しかった。」
「そうですね」と私は言った。「彼は美しかった。そうあるべきだった—あなたが彼を教えたのだから。」
父は長い間私を見つめていた—ただ私を見つめていた。これがポールの死について、私と父が最後に交わした言葉であった。
しかし間接的には、彼は多くの会話の中に存在していた。たとえばあるとき、父が私に一連の質問をしたとき、私は父についてすら理解しているのかどうか疑問に思わされることがあった。父は私に最も近しい存在であると感じていたのだが。「お前は本当の話を語るのが好きだろう?」と彼が尋ね、私は「はい、本当の話を語るのが好きです」と答えた。
そして彼は続けて尋ねた。「本当の話を語り終えたら、今度は物語を作り、その物語に登場する人物も一緒に作り上げてみたらどうだ?」
(ChatGPT である調の翻訳)
"Only then will you understand what happened and why.
“It is those we live with and love and should know who elude us.
Now nearly all those l loved and did not understand when l was young are dead, but l still reach out to them.
Of course, now l am too old to be much of a fisherman, and now of course l usually fish the big waters alone, although some friends think l shouldn't. Like many fly fishermen in western Montana where the summer days are almost Arctic in length, I often do not start fishing until the cool 0f the evening. Then in the Arctic half-light of the canyon, all existence fades to a being with my soul and memories and the sounds of the Big Blackfoot River and a four-count rhythm and the hope that a fish rise.
Eventually, ail things merge into one, and a river runs through it. The river was cut by the world's great flood and runs over rocks from the basement of time. 0n some of the rocks are timeless raindrops. Under the rocks are the words, and some of the words are theirs.
l am haunted by waters.
「私たちが共に暮らし、愛し、知っているべき人々こそが私たちを逃れていくものです。
今や、私が若い頃に愛していたけれども理解できなかったほとんどすべての人々は亡くなってしまいましたが、私は今もなお彼らに手を伸ばし続けています。
もちろん、今では私も年を取ってしまい、釣り人としてはあまり役に立ちませんし、今ではほとんどの場合、一人で広い水域で釣りをしていますが、一部の友人はそれを良くないことだと思っています。西モンタナのように夏の日がほぼ極地的に長い場所では、多くのフライフィッシャーと同様に、私は夕方の涼しさが訪れてから釣りを始めることがよくあります。すると、キャニオンの極地的な薄明かりの中で、すべての存在が私の魂と記憶、ビッグブラックフット川の音と四拍子のリズム、そして魚が浮かび上がるという希望だけに溶け込んでいきます。やがて、すべてのものが一つに融合し、川がそれを貫いて流れます。その川は世界の大洪水によって削られ、時間の基盤から岩を越えて流れています。その岩のいくつかには時を超えた雨滴が残っています。岩の下には言葉があり、その中には彼らの言葉も含まれています。私は水に取り憑かれています。
(ChatGPT ですます調の翻訳)
「そうして初めて、何が起きたのか、そしてその理由を理解することができるのだ。
私たちが共に生き、愛し、知るべきである人々が、私たちをすり抜けていく。
若かった頃に愛していながらも理解できなかったほとんどの人々は、今では亡くなってしまったが、それでも私は彼らに手を伸ばし続けている。
もちろん、今では年を取り、釣り師としての力も衰えてきている。そして今では、大きな川で釣りをすることが多いが、友人の中には私がそうすべきでないと考える者もいる。西モンタナ州のフライフィッシャーの多くと同様に、夏の日がほとんど北極のように長いこの地では、私はしばしば夕方の涼しさを待って釣りを始めるのだ。やがて峡谷の北極半光の中で、すべての存在が私の魂と記憶、そしてビッグ・ブラックフット川の音、四拍子のリズム、そして魚が浮上することへの期待と一体となる。
最終的には、すべてのものが一つに溶け合い、その中を一つの川が流れている。その川は、世界の大洪水によって切り開かれ、時の底からの岩を流れ過ぎる。いくつかの岩の上には、時を超越した雨滴がある。その岩の下には言葉があり、いくつかの言葉は彼らのものである。
私は水に取り憑かれている。
( ChatGPT である調の翻訳)
おやじは、家族の誰かを褒めざるを得なくなると、いつも照れくさそうな顏をし、家族の者も彼に褒められると、いつも照れくさい思いをしたものだ。おやじが「お前はすばらしいフィッシャーマンだ」と、言った。
「おれはロッドの使い方ではかなりの腕だと思うけど、魚と同じように考えるには、あと三年必要だと思うな」と、弟が言った。
弟がフライをジョージの二番、羽毛のウイングをつけた黄色のバックルに切り替えて制限数いっぱい釣ったことを思い出して、わたしは、弟がそれをどう受け止めるか、よく考えないで、「お前はすでに死んだカワゲラと同じように考えるにゃどうすればいいのか、分かってるじゃないか」と、言ってしまった。
わたしたち三人は黙って土手に坐った。川はいつものように流れていた。いつものように、川は誰のためでもなく、ただ自らのために音をたてて流れていた。しかし、その日、川はわたしたちのためにも流れていたと思う。肩を並べてこのように土手に坐っているわたしたち三人以上に、この川が語っていることをよりよく理解できる人間はほかにいなかったろう。
ベルモント・クリーグが流れ込む地点から上流では、ビッグ・ブラックフット川の土手はポンデローサマツの大木に縁どられている。午後遅く、斜めに差してくる夕陽を浴びて、その松の大きな技の影が川のこちら岸まで伸びてきて、松の大木たちが川を抱きかかえているように思われた。松の木の影はしだいに土手の上にまでおよび、わたしたちはその影につつまれた。
しかしながら、川が語りかけてくる言葉にはあまりにも多くの意味がこめられていたので、川がわたしたち一人一人になにを伝えようとしているのか、それを知るのはかなりむずかしいことだった。釣り道具と釣った魚を車に積み込んでいたとき、ポールが「あと三年は必要だと思うな」と、もう一度同じ言葉を繰り返した。そのときも、同じ言葉が繰り返されたので驚いたが、後年、そのときのことを思い返すと、川が、どこかで、いつだったかもはっきりしないが、すでに、弟にはその三年が無理であることを、弟だけでなくわたしにも、語っていたのに気づくのだった。というのは、翌年五月の初め、夜明け前に警察からの電話で呼び起されたとき、わたしは驚きもせず、なんの質問もしなかったからだ。わたしは警察の巡査部長といっしょに大陸分水嶺を越え、ビッグ・ブラックフット川を水源から最下流まで下った。途中、森の下草の茂みにはカタクリの花が、ある所では黄色く、また別の所では白く花を咲かせていた。そして、わたしは、両親に弟が拳銃の台尻で殴られて死に、死体が狭い裏通りに捨てられてあったということを伝えたのだった。
それを聞くと、おふくろは顔をそらし、そのまま自分の寝室に引き下がった。彼女は、男たちと、ロットと、ライフル銃でいっぱいになったこの家の自分の寝室で、耐えがたい人生の悩みごとのほとんどすべてに、たった一人で、立ち向かってきたのだった。おふくろは、自分が誰よりも愛していた、しかしほとんど理解できなかったこの息子について、一言もわたしに質問するようなことはしなかった。たぶんおふくろにとっては、彼を愛していたというだけで十分であり、また彼女はそのことを十分に知っていたのだった。弟はおそらく彼女を両腕に抱きかかえ、そり返って、笑ってみせる、世界じゅうでたった一人の男性だったのではないだろうか。
おやじに伝えるべきことをすべて伝えると、彼は、「ほかにはなにもないのだね、わしに言っておくべきことは?」と、言った。
最後に、わたしは「弟の手の骨はほとんどこなごなに砕けてました」と、言った。
おやじは戸口のところまで行っていたが、そこで振り返ると、もう一度確かめるように、「本当に間違いないのだな、あいつの手の骨がすっかり砕けていたっていうのは?」と、聞いた。「弟の手の骨はほとんどこなごなに砕けてました」と、わたしは繰り返した。「どっちの手だ?」と、おやじが聞いた。「右手です」と、わたしは答えた。
弟に死なれたあと、おやじは足が弱って、うまく歩けなくなった。立ち上がるのにまず苦労していたが、いったん立ち上がったあとも、どうも思い通りに足を動かせないようだった。時どき、ポールの右手のことについては、このあとも同じ質問を繰り返して確かめないと、おやじは分からなくなるようだった。彼はそれを確かめると、不自由な足を引きずり、引きずり、また自分の部屋に戻っていった。足を引きずって歩いていたが、足を持ち上げようとするため、一直線に進むことができなくなっていた。彼の先輩にあたる多くのスコットランド系の牧師と同様、おやじは息子が戦いを回避せず、最後まで戦って死んでいったことを信じ、そう信じることによってなんとか慰めらしきものを見出そうとしているのだった。
そうは言うものの、当分のあいだ、おやじはすがって生きてゆけるものをさらに求めているようだった。「本当に、お前、あいつの死に関して知ってること全部をこのわしに話してくれたのだね」と、彼がわたしに聞き、わたしはわたしで、「その通り、全部話しましたよ」と、答えるのだった。「じゃ、あれだけのことだったんだね」と、彼がだめを押すように言い、「そうなんです。でも、完全に理解できない人間だって、完全に愛することはできるんじゃないですか」と、答えた。「そう、それはわしにも分かっているし、そういったことを説教してきたつもりだ」と、おやじが言った。
一度だけおやじは新しい質問をわたしに向けた。「あいつを助けることがこのわしにできたと思うかね?」この質問に対して考える時間が仮りにあったとしても、わたしに答えられる答えは、まったく同じだったろう。わたしは、それに対する答えとして、「あいつを助けることがおれにできたと、父さんは思いますか?」と、言った。わたしたちはお互いに敬意を表し、お互い立ったまま黙っていた。生涯かけても解答の得られない質問にどうすれば解答が見出せるというのか。
長い時間が経ってから、ある日、おやじは最初から聞きたいと思っていたに違いない質問をもち出した。
「お前、どう思う、まさか金ほしさから引き起した事件じゃなかったろうね? あいつ喧嘩で苦境から逃れようなんて、馬鹿なことを──分かるよな、わしの言いたいことは──つまりだね、あいつの過去とはなんの関係もなかったというわけだな?」
「警察では分からないと言ってます」と、わたしは答えた。
「でも、お前はどうなんだい?」と、彼がまた聞いた。わたしはおやじの聞きたいことの意味が痛いほどよく分かった。
「父さんには言ったでしょう、分かったことは全部伝えたって。それでもって言うんでしたら、おれに本当に分かっているのは、あいつがすごいフィッシャーマンだったということだけですね」
「それ以上のことも分かっているんじゃないかな」と、おやじが言った、「あいつ人間としてもすばらしかったからな」
「そう思いますね」と、わたしも言った、「すばらしかったですね。それも当然ですよ、父さん仕込みだったんですから」
おやじは長い間わたしの顔を見つめていた。なにも言わず、ただ見つめるだけだった。
こうして、これが弟のポールの死について、わたしたちがお互い語りあった最後のときとなった。
そうは言っても、間接的には、ポールがわたしたちの会話に顏を出すことがなかったわけではない。たとえば、あるとき、おやじから一連の質問を受けたが、その質問によって、わたしは、これまで巡り合った誰よりも身近に感じられるこのおやじすら本当に理解しているのかどうか、自信がなくなった。「お前は嘘偽りのない話をしたいと、いつも言っているよね」と、おやじが言った。それに対して、わたしは、「ええ、嘘のない本当の話がしたいと思ってます」と、答えた。
それを聞いてから、おやじは、「それでも、お前、嘘偽りのないという話をしたあとで、もう一つの話と、その話に合った人間を考えて作ったほうがいいんじゃないかな。そうしてこそ、なにがどうして起ったのか、ということが分かってくる。いっしよに暮し、愛しており、本当に知る必要がある人間というものについては、どうしても本当のところがつかみきれないものだからね」と、言うのだった。
いまや、若かったころにわたしが愛し、理解しようとしてできなかった人びとは、ほとんどすべて、幽明境を異にしている。しかし、いまなお、わたしはそうした人びとのことを思い浮かべ、理解しようとしている。
もちろん、いまのわたしはすっかり年齢をとって、フィッシヤーマンとしては、見る影もなくなってしまった。友人のなかにはフィッシングはもう止めるよう忠告する者もいる。しかし、それでも、もちろん、わたしはフィッシングを続けている。たいていは一人で、あの雄大な渓流に出かけることにしている。夏のあいだ昼間の長さがほとんど北極圏と同じであるモンタナ州西部のフライーフィッシャーマンの例にもれず、たいていの場合、日暮れが迫り、あたりが涼しくなってから、フィッシングを開始するようにしている。そうした時間、峡谷の北極圏のような薄明りの中で、宇宙に存在するあらゆるもの、森羅万象が、しだいに色を失って、ただわたしの魂と、わたしの記憶と、ビッグ・ブラックフット川の水音と、四つ数えるあのキャスティングのリズムと、水面に浮上する魚に対する期待感、ただそれだけをもった、ある一つの存在に変ってゆく。
そして最後には、すべての存在が溶解、融合して、たった一つの究極の存在となり、一筋の川がそのたった一つの存在を貫いて流れているのを意識する。その川は肬界の大洪水によって出現し、時間の基盤から岩を越え、流れてゆく。岩のいくつかは、いまなお、時間を超えた永遠の雨だれの跡をとどめている。岩の下には言葉が潜んでいる。その言葉のいくつかは忘れえぬ人びと、彼らの言葉なのだ。
いまもなお、わたしはこの水の世界にとり憑かれている。
(翻訳 渡辺利雄)
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