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令和日本男性にとって、結婚のメリットとは何か?

それは、「子供」と「家庭を持てる」がトップという。家庭とは配偶者でありパートナーである。
「子供」と「パートナー」それ自体が価値を持たなくてはいけない。

それと対を成すデメリットが、離婚後、つまり女性が否といった場合のデメリットである、女性割、女性優遇の判例である。
離婚の場合、財産分与では財産の大小にかかわらず折半が多く多数派において男性の金銭的負担が多くなる、親権付与においては女尊男卑が成立し子供は女性に奪われるのが多数派である。子供とパートナーの価値は女性も同等なのに、離婚というゴールを選択する場合には圧倒的に男性に不利にできた制度が続くはずがない。

今や「世間体が保てる」なんて喜んでるのは、親と令和以前の日本社会までだろう。居住地に規定された集団やコミュニティーが解体され、日本全体が一億総ネット村社会に縛られ、あまりにも潔癖ゆえに息苦しい、GDPと合計特殊出生率を犠牲にした平和な世界が広がっている。

子供and/orパートナー、がそれに余りある存在であるかどうか

もちろん離婚すればどちらも終わりなき養育費の罰金付きで奪われるのだが。
αオス(群れの中で一番モテるオス)がすべてのメスから求愛され、それ以外のオスは蚊帳の外で待ち、αオスに捨てられたメスを何とかゲットする。それもできない8割のオスは、砂漠の中から一滴の自分を受け入れてくれるメスを探しさまよう。
つまり、モテる男性ほどよりスペックの高いパートナーが手に入り、その価値自体が上昇するので、結婚の価値が高まり、さらに子供にも優秀な遺伝子や文化資本を継承できてスペックの高い子供になる確率が高まる。その場合は、離婚という名の、リーマンショックやコロナショックのような、結婚株暴落のリスクにも耐えられる。それまで過ごした人生の思い出自体に価値が残るからだ。
端的に言うと、理想の美少女と過ごした時間は一生ものである。

しかしながら、一流のパートナーをゲットできない大多数のαオス以外であれば、獲得できるパートナーのスペックは低下する。
パートナー自体や(一流のメスの遺伝子、文化資本を継承できない意味で)子供の価値が低下すると、結婚そのものの価値も低下するのである。
男性にとって、離婚リスクを握り続けるのは困難である。株取引においては、大暴落時に下落株を持ち続ける(ガチホする)メンタルは、そもそも資産が潤沢でないといけない。
つまり、離婚リスクに気づいていない男性を除き、結婚には離婚時の資金力及びそのリスク・デメリットに余りあるパートナー(とそこから発生する子供)自体の価値が高くないといけない。それを獲得できないから、結婚株を保有したくないだろう。もしくは、女性のほうが感情で生きており、令和日本においては女尊男卑の判例は限りなく、ボラティリティの高い結婚株を握り続けるメンタル強者でないと結婚できないといえよう。

そのリスクを背負ってもいいパートナーとは、どこにいるの?

職場か、マッチングアプリ・婚活イベントの中か、大学生の中か、アニメ・ゲームの中か、合コンの中か、親戚の中か、風俗嬢の中か。
筆者の場合は、本稿に載せた自作AI表紙絵のように、二次元美少女を愛でてきた期間が長く、三次元そのものにはあまり価値を感じない体質?になってしまっている。現実の人格に感動したり、未知の発見や畏敬の念を抱くことはほとんどなく、二次元美少女とのシナリオの中や、創作物の中の架空の人格にこそ、アッと驚く感動や発見を覚えることは多かった。
つまりパートナー云々の前に、他人との深い交流を経験することなくそれを感じとる能力もなくここまで人生を生き抜いてしまっているので、価値が高いパートナーと思うのは、どうしても男性の欲望や願望を体現して創造した理想的な二次元美少女になってしまう。

つまりは哲学者プラトンの「イデア」の概念に例えると、現実世界は理想世界の中の影を見ているにすぎず、影になっている本体こそ二次元美少女であり、影が現実世界(三次元=3D)の存在なのである。もちろんこれは過激派であるが、令和日本では若者においては、それなりに市民権を得つつある、二次元こそ至高という発想である。

「推し活」という言葉が流行しているように、敬愛し応援する対象は、もはや現実の存在のみとは定義されない。概念や思想でも良いし、創作上の人物でも良いし、もちろんバーチャルYoutuberでも良い。推しと結婚できるなら、それは結婚という行為に至る価値は十分にあるだろう。
推すという意味は、(一方的に)愛するに近いし、理想的なパートナー獲得の困難な時代に、相手からの承認は無関係に、自分が理想と思うものとの時間を共有できることは結婚生活に近い。結婚制度という離婚リスクを背負う行為に足を踏み入れるぐらいなら、生活の合間合間で部分的で一方的なパートナー推しの生活(≒結婚生活)を体験することができる令和日本社会は、やはり結婚制度不要な気がしている。

子供ができると、価値感が変わる、とはよく聞くが

ただし筆者は、「子供」という体験をしていないので、パートナーに価値がないとはよく聞くが、子供に価値があるという論調は一般的にも広く通用しているため、パートナーに価値がなくとも、子供で価値を補完すると、結婚という行為には価値があると見積もることもできる。
これまでの議論をひっくり返すようであるが、パートナーにほとんど価値がなくとも、子供にそれを補って余りある価値があれば、離婚時点までは結婚生活の時間については価値があるだろう。
しかしながら離婚した場合は、やはりその後はすべて結婚の価値は、親権を奪われ、財産を奪われ続け、暴落のストップ安である。
やっぱりまだ結婚しなくていいな、うむ。


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