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くるね、106歳のひぃばーちゃんに逢いに行くの巻

28歳にもなって家族全員から見送られる、くるねです。

わたしには106歳のひぃばーちゃんがいる、存命だ。わたしの妹(ひ孫)の結婚式にも参加したスーパーひぃばーちゃんだ。

となりの家に住んでいたこともあり、小さい頃から交流があった。物心がつく前まではひぃばーちゃんが背負って世話をしてたとかしていなかったとか。

わたしの母にとっては、おばあちゃん。

母の両親は働きに出ていたので、ほとんどお母さん代わりだったらしい。

そんなスーパーひぃばーちゃんが最近調子が悪いと連絡が来た。

もともと、コロナもあるし金銭面的にも余裕があるわけではないもんだから、帰るつもりはなかった。

ただ、気がかりだったのは確かだ。

90歳くらいだったか、ひぃばーちゃんはいつまで元気でいるだろうかと考えていた。そんな心配もいらないくらい、ひぃばーちゃんはよく食べよく寝てすごしていた。

そんなひぃばーちゃんが食べ物が入らなくなってきたらしい。

夫氏に報告したら遅くなると後悔するから、行っておいでと言ってくれた。

夫氏に背中を押され、実家のある長崎へ飛んだ。


昔よりも悲しくなくなった、と思ってた

ひぃばーちゃんに会えるのは約1年ぶりくらいで、コロナが流行ってからはなかなか会えずにいた。

いまは施設で暮らしていて、面会という形で会いにいくわけだが、コロナが少し下火になっているとはいえ面会で会える人数は制限されている。

母、妹、母兄と共に会いに行った。

母、妹は長崎に住んでおり定期的に会っているが、関東在住のわたしと母兄はこの面会が最後になるかもしれない。

その気持ちがあってからか、母兄は少し浮かない顔をしていた。

施設についてから、ひぃばーちゃんが面会場までくるのに15分ほどかかったようだった。

訪れたひぃばーちゃんは、ギャッジアップのついた車椅子に横たわり、点滴をしながらの再開だった。

ひぃばーちゃんの記憶に新しいのは、面会時におみやげとして持っていった焼き芋を1本まるまる食すひぃばーちゃんで、食欲不振とは無縁だった人だった。

施設入所前は朝起きたらバナナ一房が消えるという珍事件まで起こしたよく食べるひぃばーちゃんだった。

母、妹が前回面会に行ったときは受け答えが少しだけできていたと聞いていたが、受け答えどころかこちらからの問いかけにほとんど反応することができない状態にまでなっていた。

ただ、しっかり目では捉えていたようでわたしたちを目で追うような仕草が見られた。

それだけで十分だった。

ダメ元で声をかけてみた。

ひぃばぁ、帰ってきたよぉ

すると、頷いたようだった。
わかってくれていたようで少し安堵した。

面会の最後、また声をかけてみた。

また、会いにくるけんねぇ

すると、またうなずいてくれた。


そのときは不思議と涙は出なかった、悲しくもなかった。

ここまで生きてくれて、わたしたちに笑顔をくれて。

106年も生きたのだ。

これ以上望むことなどあるのだろうか。

わたしたちが泣くことで後ろ髪を引かせるようなことはしたくなかった。

できればもう少し生きてほしい気持ちもある、正直、このnoteを書きながら涙が出ている。でもこんな思いも自分のわがままなのかもしれない。

笑顔で見送れるように、まずは自分の生活を。

では、またね。

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