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続・人間関係の悩みについて

こんばんわ。以下の先日の投稿のつづきになります。

もしお時間あるようでしたらお手数ですが上記の投稿から見ていただければわかりやすいかなーと思います。

さて、 前回人の悩みは対人関係の悩みであるというアドラーの思想にのっとってアドラー心理学とはなにかをざっくりと見てきました。読まれた方はおわかりいただけたかと思いますが、そこにはたぶんに僕自身の勝手な解釈があるのでそこはご留意下さい。

前回の最後にまずひとつ結論として。対人関係を築くにはまずは相手の人がどうこうよりも、自分で自分自身の人生を引き受ける覚悟がまず必要であるという持論を呈示した。

そしてその上で僕自身が日々実践しようと心がけているNVCというツールがあるとご紹介して記事を終えた。今回そのNVCとはなにかについて書いていく。

では実際に見ていきましょう。まず以下、NVCjapanのサイトから大まかな概要を引用するのでその説明を見ていただきたい。

※NVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)とは、1970年代に、アメリカの臨床心理学者マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系化され、提唱された、自分の内と外に平和をつくるプロセスです。


家族や友人から、職場、組織、国際関係まであらゆる人間関係を、支配、対立、緊張、依存の関係から、自由で思いやりにあふれた、お互いを豊かにし合う関係へと変えることを可能にする考え方、話し方という「方法」であると同時に、私たちに「なんのために、どう生きるか」を問う、根源的な「意識」でもあります。


それは、頭(思考)で判断・批判・分析・取引などをするかわりに、自分自身と相手の心(ハート)の声に耳を傾けることから始まります。


具体的には、観察(Observation)、感情(Feeling)、ニーズ(Need)、リクエスト(Request) の4要素に注目しながら、自身の内なる対話や、相手の言葉の奥の意図の推測、相手との対話を行います。


誤解や偏見、思い込みを注意深く見きわめ、「今」の気持ちと、その奥にある大事に思っていること・価値を置いていることを明確にしていくと、本当にやりたいこと・望むことを見出し、自らの力で実現する原動力が身のうちに生まれます。


このプロセスは、お互いの内面を侵さず、生来備わっている力を奪うことのない、すなわち自分と相手を尊重する方法でもあります。非暴力のゆえんです。ここから、ともに平和をつくりだす道をひらきます

と、このような説明がなされている。さらに詳細が知りたい方は以下のリンクでさらに深い内容が見れます。⇩

http://nvc-japan.net/material/key_assumptions_and_intentions_of_nvc/

この段階ですでに興味や関心をいだいたのであれば、上記のリンクを確認し、実際に本を購入していただくのがベストかなと思います。Amazonで簡単に手に入ります。⇩

ということで、ここからは僕の私見になります。そこにご留意なさってご覧いただければ幸いです。

上の説明にもありましたが、NVCを実践する上で重要な要素は観察(Observation)、感情(Feeling)、ニーズ(Need)、リクエスト(Request) の4要素になります。これをもっと具体的に、実践的に記述すると以下のようになる。

①観察:自分の人生の質を左右する具体的な行動の「観察」をする。

②感情:観察したことについて抱いている「感情」に向き合う。

③ニーズ:そうした感情を生み出している価値、願望、自分が「必要としていること」はなんなのかを明確に心の中で言語化する。

④リクエスト:人生を豊かにするための具体的な行動の「要求」を相手がもっとも受け取りやすい言葉にして伝える。

以上のプロセスでコミュニケーションを進行していく。先に結論を説明引用のパートで提示してしまったが、このプロセスを辿ることによって、自分にとっても相手にとっても一時的な感情に支配されることのない、相互補完的で建設的なコミュニケーションが可能になる。

ここまで見ていただければこのツールは「これを使えば容易く人間関係の問題が解決するだろう」、とか、「他人を思いどおりに動かせるようになるだろう」といったマインドセットで使えるようなものではない、ということがご理解いただけるだろう。

時代遅れだと思われるかもしれないが、結局ここで求められるものは地道な努力の積み重ね以外のなにものでもない。これは僕個人の解釈というよりはマーシャルの思想というか、彼の哲学なんだろう。

ここで例として本書からひとつ事例を引用しよう。ある母親が10代の息子に対して前述の4要素プロセスに従い実践しているシーンである。息子をここで仮に<ひろき>としておく。

例:

母「ひろき、まるめた靴下がテーブルの下に2つ、テレビのわきに3つもあると、お母さんはいらいらしてしまうの。みんなで使う部屋はもっと片づいた状態にしておきたいわ。」※ここまでで3要素。

そして4つ目の要素を加える ※ここで非常に具体的な要求をする。

母「脱いだ靴下は、あなたの部屋か洗濯機に入れておいてくれないかしら?」

非常にわかりやすく4つの要素とそのプロセスを提示してる例文だと思うがどうだろうか、上の例文のどこがどの要素に当てはまるかが見て取れるでしょうか。

この例文をみて「なんだ、この程度の内容か。」と思う人がいたとすれば、僕ごときが言うのも間違ってはいるが、その人は日々、毎日毎日、他人や家族という自分以外の人間と共生し生活を営むという普遍的な人生においての他者の存在を軽視してしまっている可能性があると僕は思う。

家族であれ会社の同僚であれ、僕たちにとってもはや顔を合わすのが当たり前、一緒にいるのが当たり前、といった他者がいるという状態がほとんどの人にとってあるのではないだろうか。

そういった周囲の、いて当たり前だと自分がなんとなく信じ切ってしまっている他者に対して例文のような言葉を、熟慮して投げかけるという行為は決して簡単ではないと僕は思う。

いて当たり前という感覚は、このぐらいやってくれて当たり前、こんなこと言わなくてもわかってくれて当たり前、という<当たり前発想>に無意識的に繋がっていってしまう。※⇩古い。知ってる人いるんだろうか。。

我が身を思い返してみていただきたい。例えば仕事や家庭でこんなことを言ったこと、言われたことはないだろうか?

「おい!それはやくかたづけとけよ!」とか「あれもってきて。」とか

「~すれば?」とか「~しないの?」などなどの要求の表現。

僕らはこういった水準の言語的なコミュニケーションが当たり前になってしまっていないだろうか。もちろんこれはこれでいい時もある。当前だ。僕はここで言葉遣いについての講釈を垂れているわけではない。

そうではなくてNVCの4つの要素を率直に表現し、その表現を共感をもって受け止めることができれば、今までとは対人関係における世界が変化するとうことを言いたいのである。

例えばさきの靴下の例をもういちどみて欲しい。例文のように具体的に表現し、要求された場合の<ひろき>と、「かたづけなさい!」と単に怒鳴りつけられただけの<ひろき>。どちらが母親の気持ちを理解し、どちらが母親の要求に彼自身の意志で応えてくれる可能性が高いだろうか?

と、ここまでかなり要約してではあるがNVCとはなにか、NVCをもちいることによってどのようなメリットがあるか端的に示せたのではないかと思う。

まだまだ導入部分ではあるがなんとなNVCのことが伝わっただろうか。個人的には今回で普通に書ききれるだろうなーと思ってたんですが全然自分が書きたかったところまでリーチできていない。

繰り返し述べているこの4要素をいかにして実践するか、マーシャルの思想・人生哲学から学び取ったものこそを書きたかったんだが、またおそろしく長くなってしまった。

どうしても書きたいので続きはまた次回にします。おそらく次回は先に述べたような内容とNVCにおけるアンガーマネジメント的な部分の話になるのではないかと思います。むしろ本買って下さい。ほんとにお勧めです。

最後は天才ジャズギタリスト・ジュリアンラージの演奏でお別れを。疲れた時とか天気のいい休日にテラスとかで聴きたい。というかいま僕が休みたい、疲れた、というだけである。

天才なんていないとか、才能なんて関係ないとかいう人いますが、天才はいるし才能はおおいに技術に関係する。ただ才能のある・なしを理由に、なにかに挑戦する・しないの選択をするとしたらそれは間違っている。

ではまた。おやすみなさい。

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