街の光に生の営みを思う〜RIC・ウツ編#6
夕方の空に街の光が滲んでいた。
私はふと、家の前にある池をぼーっと見つめた。
鬱だった頃は死を連想しながら見つめていた池を、その時は違った心持ちで眺めていた。
自分の身に降りかかった不幸の記憶に浸る代わりに、
自分以外のすべての人の生の営みを思った。
きっと、誰しも抱えていることがあるんだろうな。
葛藤することもありつつ、
そんな中でもささやかな楽しみを見出して、
誰かと支え合いながら、生きているんだろうな。
そんな博愛主義的な気持ちが急にこみ上げてきたのがおかしかった。
けれど、大きな流れに乗ったような安心感があった。
流れに身を任せてみると、だんだん世界のすべてが愛おしくなって、胸が締め付けられるような感覚になる。
それを合図に、なのか、心から言葉が溢れて、それをどこかに書き留めたくなった。
急いで部屋へ戻り、机の上にたまたまあったチラシをひっくり返して、九十くらいの文を一気に書き殴った。
後にそれらの言葉を厳選して、少し手を加えて、本を出版することにした。
人生で初めてクラウドファンディングに挑戦し、300人の方に支援していただいて、無事出版に漕ぎ着けた。
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言葉が溢れたあの日あの時、私はずいぶん久しぶりに、何者にも追い立てられることのない、静かで平凡な日常感の中に浸っていました。
テレビからは平和で平凡なニュースが流れていて、娘はゆったりと寛いでいる。
濁流のように押し寄せる落ち着きのなかった毎日の中に、ふと訪れた生活感のある瞬間でした。穏やかな時間の中で、いのちの核がささやく声が大きく感じられるようでした。
それで、普段は書くことなんてしていなかった私ですが、
あのときはとめどなく言葉が溢れたのです。
感じたことを、感じたままに書きました。
いのちの核は、いつでも愛を表現したがっています。
ただその流れに従うことが、表現するということであり、表現することで、人はより自分を知ります。
迷った時、どうにもいかない時は、本当の自分、自分で閉じ込めてる自分を率直に素直に表現してみませんか。
ふとやってみようと思った時にでもかまいません。手が動くままに、感覚に従って、自由に書いてみてください。
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