「批判者」「当事者」「管理者」誰が悪いのか?
昨日のnoteを書いてて思ったことがある。
「さっさと掃除を済ませよう」と言うこと
めんどくさいからなるべく楽しくやろうとすること
そもそもの生徒に掃除をさせるという風潮
どれが悪いんだろう?
昨日のnoteでも書いた通り、この問題は解決したし、もう何年も前の中学時代の話である。
これを今更引っ張り出して是非を問うこの行為は、正直言ってダサい。
が、考えてみるのおもしろそう。
なぜなら今、Xで起きているbotの大量発生と似ている話だから。
ニュースや有名人のポストに謎のアカウントからのリプが大量発生している。
これはXのプレミアム会員になると、ポストの閲覧数に応じて広告収益が支払われるシステムの影響だ。
フォロワーを持っている人のポストにリプをすれば、簡単に拡散してもらえる。
だがしかし、有名人のリプ欄はファンとのコミュニケーションの場である。
そこを収益目的のbotに荒らされると、とてもじゃないがコミュニケーションが取りにくい。
さてここで問題。
誰が悪い?
botに怒ること
大量にリプを飛ばすbot運営者
広告収入を分配しているXの経営陣
「botに怒ること」
これは掃除の時間に「掃除しろよ」と言った僕と似ている。
だけど僕は学んだ。
論理的に正しくても、それが必ず受け入れられるわけじゃない。
折角広告収入を得られるのなら、稼いだ方が得じゃないか。
これは「どうせ掃除をするのだから楽しい方がいい」という主張と似ている。
「やらなければならない」という”義務”と、「やれば稼げる」という”権利”でなんとなく意味合いは違ってくるけど、「システムの上で行動する」という点においてこれらは共通している。
そういうものなのだから、その上で上手く立ち回ろう。
論理的に正しくなくとも、「楽しむ」という根っこの欲求としてはこの行為にも正当性がある。
ならばそもそも、そういうシステムが悪いんじゃねぇか?
「掃除の時間」という制度を設けた学校。
「広告収入を分配する」と決めたX。
このシステムがそもそも悪いんじゃないだろうか?
だって生徒が学校を掃除してるのなんて日本くらいだからね。
欧米の学校は清掃員の方が雇われている。
お給料をもらっているのだから、しっかり掃除するのは当たり前。
Xもそう。
YouTubeほど投稿するハードルが高ければ広告収入という制度は活かせる。
だけどXの投稿ハードルってそんなに高くない。
プレミアムの会費さえ払えれば行けてしまう。
(一応条件があるらしい。フォロワー500人以上とか)
でもその辺も「フォロバ100%」的なことを掲げればすぐに達成できる。
結論、システムが悪い!
おそらくこんな簡単な問題じゃないんだろうね。
日本の学生に掃除をする習慣があることで、日本人のきれいさは保たれている側面もある。
Xの広告収入だって、向こうはビジネスでやっているのだ。
当然人を雇っているから給料を払わなければならない。
ならばどこかでお金を発生させなければならない。
Xを優秀なビジネスにして経済に貢献すること。
そのためにあれこれ試行錯誤していることが目に見えてわかる。
ので、マジの結論としては「悪い人はいない」になる。
こんなふわっとした結論で申し訳無い。
イーロン・マスク批判でオチを付ければ、過激な発言でビューを取れたのかな。
でもな、僕はそう割り切れない。
人には様々な想いがある。
同じネット民でも意見はまったく揃わない。
ただ共通している想いとして、「快適にネットを使いたい」はあると思う。
見たいものが見られて、それを活用してビジネスをする人もいて、そこに価値を見いだして広告を出す企業があって、そのお金でさらにいい環境を作る。
そんなところを目指していることを念頭において、いろいろな想いを表現できればいいなと思う。
【僕の意見を軽く話す欄】
まぁbotは邪魔かな。
よく分からん言語が飛び交っているのを見ると「外国でも人気なのかな」と思う反面、「ちょっと何言ってるかわかんない」って気持ちもあるので。
なんとなくbotは外国人ってイメージだけど、日本人にもいるからね。
まぁ邪魔かな。
でもなぁ~稼げるって言われたらやるのが得だよな~とも。
僕はやってないどころか、noteの記事を貼っ付けることしかしてないからね。
もっと上手く使いたいなと思いつつ、僕には使いこなせないという経験もあるので細々と付き合いたい。
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以上!
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