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【永遠の0】「生きて帰りたい」と「その時代を生きる」という思いが競り合う話

SNS禁止2日目の昨日、なんとなく目に付いた『永遠の0』という映画を見た。

この作品が「太平洋戦争」を描いていることは知っていたが、一人の特攻隊員を中心に物語が進行することは初めて知った。


簡単にあらすじを話すと、祖母のお葬式で初めて「血の繋がった祖父は特攻で亡くなった」ということを知った健太郎(演・三浦春馬)が、戦争を生きた人達に「僕のおじいさん、宮部久蔵(演・岡田准一)はどんな人だったのか」を聞いて、祖父の実像に迫るというお話。


とてもおもしろかった。

まぁnoteに書くくらいだから「おもしろい」のは当たり前なのだけど、どうおもしろかったのか。

最後のどんでん返しがすごく好き。


あ、ネタバレ注意ね。


宮部久蔵は他の隊員から「臆病者だ」と言われていた。

そりゃあ当然で、「お国のために命を捧げるのが兵士の本懐」とされる時代に「生きて帰りたい」という心を持ち続けたら、そりゃあ延命の行動に出る。

乱戦となれば戦線から離脱、助かる見込みがあるからと自爆を認めない。

戦後の教育を受けてきた僕からすると「生きて帰りたい」、それも「妻や子どもが待ってるから」という理由での「生きて帰りたい」は、人間の純粋な気持ちだと思う。

しかし社会というか時代は、そういう「個人の幸福」が優先される世情ではなかった。


戦争が続くにつれて、日本の敗戦ムードは日に日に濃くなっていく。

そしてついに、敵の船に突っ込む作戦、いわゆる「特攻」というものが行われるようになっていく。

びっくりしたけど特攻って志願制だったんだね。

なんとなく指名されるものだと思ってた(赤紙と混同してたかも)。

まぁでも、今の北朝鮮の選挙みたいな「志願」の体を取ってる「強制」のような気もするけどね。

この辺はあとで調べるとして、「特攻に志願するかい?」という紙が配られ、なぜかそれに久蔵は志願をする。

そして特攻当日、久蔵の乗った戦闘機は機体トラブルがあった。

つまりそれに乗れば、「機械トラブル」という名目で不時着でき、終戦を迎えられたかもしれないということ。

なのだけど、これまた「なぜか」そのトラブった機体を後輩の教え子に譲り、その戦闘機で船に突っ込んだ。


ここまでが「最後のどんでん返し」に繋がる話ね。

家族に会いたい、だから生きて帰りたいと常日頃から言っていた久蔵が、特攻に志願し、機体トラブルによる存命チャンスを手放し、特攻する。

それを「時代だから」と。

だから「戦争はいけないよね」と。

そういう「戦争の悲惨さ」を物語る話としてここまでは見える。


だけどね、違うんだよ。

久蔵が敵船を見つけ、標的に定める。

敵船の隊員も、当然久蔵の乗る機体は見えているから迎撃する。

しかしいくら撃っても弾が当たらないんだよね。

そして「さぁ突っ込むぞ」という時、久蔵が「ニヤッ」とほくそ笑むのだ。


普通というか、「戦争の悲惨さ」を物語るならば、このシーンは泣いたり、愛する人の名前を叫んだり、はたまた無表情だったりと、「笑み」ではない表情を映すと思う。

だけど『永遠の0』という作品では、最後特攻隊員が「ほくそ笑む」のだ。

「微笑み」ではなく「ほくそ笑む」ね。


「ほくそ笑む」という表情には、自分の思い通りに事が運んで「しめしめ」と思うみたいな意味がある。

つまり久蔵は、自分のやりたいことができたのだ

久蔵は何ができたのか。

それは、自分の腕が戦場で役に立つということを証明できた

久蔵は凄腕の操縦士だった。

そんな腕を持ちながらも、「生きて帰りたい」とか「この作戦は無謀すぎる」とか、良く言えば理性的に物事を見ている、悪く言えば「ここは自分の腕を発揮する場ではない」と値踏みしていた。

妻や子どもに会うためにの生きて帰りたい」という思いは本物だったと思う。

だけど同時に、その時代を生きた”人”として、”男”として、”兵士”として、「自分の存在意義を示したい」という思いも持っていたのだと思う。

だからこそ自分が培ってきた技術を用いて、弾を避け、敵船に近づき突っ込む瞬間、事を成せることが確定したので、久蔵は最期にほくそ笑んだ。


僕は戦後の教育を受け、「戦争」というものを体験したことがない。

だから基本スタンスとしては「戦争は嫌だ」である。

当時、特攻隊員として散っていった人達も、気持ちとしては僕と同じだと思う。

誰が好き好んで死を選ぶだろうか。

だけどさ、時代ってものは大きな流れであり、ちっぽけな人間はどう足掻いても流される。

ならばよ、時代に逆らうことは諦めて、「今、どうしようか」と考えるのも人間だと思う。

戦争をしている現状、特攻隊員に選ばれた現実、その場でできる最大限の「生」ってなんだ?

そうやって考えた時に、宮部久蔵は自分なりの答えを見つけたのだと思う。

それの成否を「どうでもいい」と言うと、あまりに非情な人に見えてしまうが、久蔵が突っ込んだ船にも人はいるし、久蔵が突っ込んでいなければさらに多くの日本人が亡くなったかもしれない。

どちらに与しても「人を殺すこと」を肯定してしまうのが戦争である。

だからこそ「戦争は嫌だ」という基本スタンスは崩さない。

だけど宮部久蔵という一つの物語を描いた『永遠の0』はおもしろい。

それは自分のやれることをやれる範囲でやりきったから。

おすすめの作品よ。

ぜひ、時間作って見てみてほしい。


以上!くろだでした。

読んでくれてありがとうございました。

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ではまた👋



【あとがき】

早くYouTubeで『永遠の0』を解説してる動画を見たい。

あと、岡田さんかっこいい。

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