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婚活パーティー&ASDの洗濯の感覚


婚活パーティー歴

10年前の婚活パーティー、家でメイクする時からすでに体調は最悪で、具体的には極度の不眠で過労状態、肌も荒れ放題だった。帰ってきたら汗だくをシャワーで洗い流す気持ちよさよりお風呂に入るしんどさが勝ってて、入るも地獄、入らないも地獄で、しばらくクサイまま自分の部屋で座り込んでた。「行って楽しかったなら良かったと思うけど、しんどいって言われたらお金出してる方もきついわ…」と母に追い討ちをかけられながら。勿論発達の診断なんて降りる何年も前、自己分析は雑誌程度の知識で自己流の状態だった。その時の焦りと卑屈をお金を払って知らない男性たちに披露してた。電車乗換の検索アプリも今ほど優秀じゃなかったから遅刻ばかり。また自分に合ってるパーティーがどれなのか、自己分析ができていないから見つけようもない。私の自己なんてすでに分裂して壊れてる高学歴無職だったんだから、そんな人向けのパーティーは無いから真実は隠すしかなかった。明るく振る舞って始まっても、結局自己紹介で名前の次に必ず「ご職業は?」と聞かれたらはい、終了。「超高学歴なのに◯年間闘病してました」=訳あり。これが事実。


先日、「体調の悪い母の代わりにずっと家事手伝いをしてましたと言えばどう?」とアドバイスをもらったのでそのまま使いまわしてたんだけど「フリーターもやらないの?」とかイレギュラーな事を言われると予定外のことに弱い私はパニクって自分から自分の過去をゲロってしまう。15年間闘病してきたこと、それが体ではなく精神のこと、ここ3年でグッと体調が良くなったこと。それで最後は「これからは前向きに生きていきたいと思ってるんです」「でも(今まで社会経験もなければ心も弱いし)どうしよう?て感じ笑」と明るく締めるし相手も笑ってくれてたけど、その頃には相手が私に興味失ってるのが見え見え。目が合わない。そりゃできれば健康な相手がいいに決まってるよね。15年間も闘病して社会からはじかれてた人の心が朗らかなはずないことぐらい誰にでもわかるもんね。5人中2人の人がプロフィール表の「理想の女性」のところに「穏やかな人」って書いてた。その人だったかどうかは忘れたけど私に「とがってますね!」て言った。理由はわすれた

母の方がよほど家事をしているのに「母の代わりに家事をするために家事手伝いをしています」なんて内緒で使うなんて酷過ぎる。母に対する罪悪感がものすごく苦しい。

今日、結婚観がとても近い人気の男性とカップリングされたんだけど、待ち合わせ場所のどこを探しても見つからなかった。(男性が先に出てロビーで待ってるシステム)。ぬか喜びとはこのことだなと思った。結局私が病気だから面倒くさいと思って逃げたんだと思う。病気だとヒステリックになり易いし。普段なら「縁がなかったんだ」と割り切れるのに躁鬱混合期だからなのか、相手への侮蔑の気持ちと自分の惨めさで帰り道、私のテンションは明らかにおかしくなっていた。


マリーゴールド

ただ一つ確かなことは、最寄駅(確か夜11時半ごろ?)から家に着くまでの間、全力の大声であいみょんの「マリーゴールド」を熱唱していたことだ。7〜8人の道ゆく人は私を避けていた。バイクに乗った若者たちは何処かへ移動してしまった。信号待ちの間も歌い続けた。とても嬉しかった。私は学生時代、そういうことが決してできない優等生だったのだ。頭の中ではいつもしている普通の厨二病だったが。成績優秀で先生の評判も副教科もすべて良くできた模範生だった。だからどこかアウトローなことに憧れを抱いていた。そんな私にもこの日のような生殺しの事件が起き、最近失恋、障害年金の聞き取り調査の為に過去を掘り返してPTSDをぶり返す、慣れない福祉施設に入校して久しぶりに他人と話す、コロナの収束など、変化に弱い私に溜まりきっていたストレスがついに日の目を見る時が来たのだ、夜だったけど。(笑うとこだよ)

誰も私に興味などない(怒られなかった)と落ち込む自傷行為も同時に出来たし一石二鳥だ。本当に楽しかった。ドラマの主人公になれたような気分だった。静かだから声がよく響いていい夜だった。ただひとつ残念だった事は、前日にボイトレを受けていたのにもかかわらずあまりそれを活かした歌い方ができなかった事だ。怒りを発散する目的で奇声を発していたため、あまりふんわりした歌い方ができなかった。

18歳の時受験のために青白い顔で貴重な睡眠時間と(結果的に燃え尽き症候群になったため)20代の人生をドブに捨ててまで勉強していた私よりもよほど充実していた。楽しかった。またやろうと思う。怒られる日まで。今度はもっとトレーニングを参考にしながら。

歪み

私は怒られるのが好きなのだ。いや嫌いだけど、怒ってる人を眺めるのが好きなのだ。めっちゃおもしろい。私はとても賢く可愛がられがちな人間なのであまり怒られたことがない。というより怒られても無視してきた。優等生なのでそれでも通ってしまったのだ。あとはASDの変化を嫌う頑固さも原因としてあるだろう。

今回も給付金を目一杯使って服を爆買いしてしまった。買うときの快感が私の人生の全ての苦しみを忘れさせてくれる。しかしついにカードが作動しなくなってしまった。上限に達したらしい。しかもその給付金の10万円だって扶養者の父に無心してもらったばかりものなのに、ATMに入れる前につい1万円抜いてしまった。それにメルカリでiPad6とアイペンシルも買ってしまった。機械に強く安く買ってくれら友人がいることが頭にちらついているのに指の動きを決定ボタンを止めることがどうしてもできなかった。その月末の支払いが当面の困りごとだ。ただあまり実感がない。どこか私が他人事なのは、私が身銭を切っていないからというだけではなく、精神症状として乖離症状があるからじゃないかな?と思う。精神障害も悪いことばかりではない。(ただしいいことも一つもない)ただみんな優しくしてくれる。最初から期待もされない。それが死にたいくらい虚しいこともあるけれど、なんとかやってます。「生きてくしか仕方ないじゃない、だって?」これは祖母の言葉なんですけどね、しっくりきたんですよ。

命はあなただけのものじゃないとか感謝しなさいとかじゃなくて生きるしかないよねって。

怒りの話に戻るけど、怒られにくい私にとってそれは物珍しい見せ物みたいなものです。また怒りというのは相手に対して最も強い感情と言っていいと思います。お金と時間と体力がないと不可能な高等な行為です。その強い感情を自分に向けられることが、自分に興味を持たれることが承認欲求が満たされて嬉しいのです。そしてなぜか瞳孔の開いた目と薄ら笑いで喜ぶ私を見て苦虫を噛み潰したような、イラついたような、ブチ切れたような相手の理性を見失った表情を見るのも堪らなく面白い。やった。人間らしいアホな顔が見られた!と思う。相手より私の方が感情が少ないので勝つことができたのだ。私はとても負けず嫌いなので勝てることはとても嬉しい。正直笑いを堪えるのに必死だ。しかも割と高い確率で笑わない事ができてない(笑)。

お金と時間と体力とをふんだんに無駄遣いしている人間に対して嫉妬している私の問題なのだろう。一言で言えば「どんだけ暇なの?」である。あとは「他人に興味深々なんだね!自分のコンプレックスを他人に投影してみてどう?少しは楽になった?それとも現実が露呈して余計イラついちゃった?笑」

こう言った感情に何か病名がつくことはなんとなくは知っているが、特に気にしていない。病名というのは治療を始めるためにつけるものだ。WHO(世界保健機関)掲載の文章にもそう記載されているはずだ。つまり自分を病気と思ってなくて治療する意思がないものは定義的には病人ではない。だがどうだ。私のようなダメな人間は世の中に溢れている。病識(自分が病気であるという自覚)すらない。つまり病名なんて無意味なのだ。誰も私を批判する権利などないのだ。

結局怒ってる奴は、自分が怒りたいから怒っているのだ。しかるのとは全然違う。怒るという負のエネルギーを(恐らくは)自分より力の弱い相手にぶつけ許容させることで甘えているだけだ。中身が子供の大人がする事だ。権威を示しているつもりの者も多いだろうが、示すどころか器がティースプーン1杯ほどしかないことを自己紹介しているのと同じである。こちらの感想は「だから何?」「警察呼びますよ?」以外にない。


許容範囲

そのように最近つとに機嫌が悪い私だが、躁鬱混合期(普段しないネイルをして出掛けるが、急に電車に飛び込んで死にたくなるなど)、最近家族の横暴があまりにひどい時に声を荒げてしまうことがやや増えてしまった。声を荒げるまでいかなくても素っ気無い返事をしてしまう。興味が湧かないのと、声量を上げると不機嫌を撒き散らすのがコントロール出来なくなりそうな予感がするから遠慮しているのである。多分そんな配慮誰も気付いてないけど。要は反抗期のようなものだ。30過ぎてるけど。

ASDかADHDか知らないがうちの父は相手が声を荒げるまで鈍感過ぎて相手に迷惑をかけていることに気づけないのだ。と言うか今回は最後まで気付いていない。そして気づいたところで取る選択肢は「謝る」ではなく「言い訳する」「逃げる」「黙って不機嫌そうに後片付けをする」である。

父の100or0思考

その今回の新品ブラウス洗濯事件を紹介する前に父が普段どんな感じの人間かという事をご紹介したいと思う。したくないけど便宜上する。例えば何か家族で言い合いになってしまったとして、

父は自分が悪いと気づいた場合、パニックになって大声で言い訳と自己弁護のためのそれらしい理論をわめき散らす。それに対してこちらが“優しく”同意しないとこちらの人間性の非難をし始めて人の話が全く耳に入らなくなる。入る言葉は全て自分への非難だと受け取る。

逆に、自分は100%正しいと自己解釈した場合「なーんだ、早くいってよ、びっくりしたなぁ。俺が悪いんかと勘違いしたやんか」と結局すべて相手のせいにする。

その二択のみの100or0思考のゴミクズ(※実娘の感想です)だ。というかこれは発達障害の分かりやすい特徴なんですけどね。60過ぎたらもう手の打ちようがないよね。ちなみに両方とも全く悪気がなく言っている。思った事を思ったままに本音を言っているだけである。余談だが、それに関連して。彼の嘘つきスキルは5歳程度である。アラカン(60歳くらい)だが秘密を全く守ることができない。

話を戻す。今回はいつもの父と少し勝手が違った。


自分の事はわかるが人のことがわからないASD

ある日私は新品の私のブラウスを洗面所でお風呂の洗面器に洗剤を入れてつけ置いておいた。その後私が二階へ去った後、仕事から汗だくで帰ってきた父はお風呂に入りたい。だから洗面器を使うためにその中に入っている私の新品のブラウスを洗面所の中に水ごと出した。皆んなが洗顔や歯磨き、うがいのつばを吐くあの空間に出した。悪意はない。洗面所がきれいか汚いかに興味もない。ただ自分がお風呂に入る時に必ずいつも使う洗面器がいつもと違う場所(お風呂ではなく洗濯機の上)にあり、その上、中に見知らぬものがあって自分の目的遂行の障害だったから出した。そのブラウスがなぜそこにあったのか?誰のものなのか?よりも自分のお風呂が最優先。むしろ全員が使う洗面器に何か邪魔なものがあったなぁと他人を責めていた可能性すらある。

それを見ていた(でも何もしなかった)母がそれを二階の私のところまで教えにきてくれた。

私はどうしたか?

部屋のドアも開けずに金切り声を上げて怒鳴りながら切れた。

「は?!?!なんで?!あの洗面所に?!洗ってもない洗面所に??新品なんですけど?!は?!」他にも洗面器あるよね??←これは後から思った

私も何か作業を中断されて機嫌が悪かった。ASDの特性だ。何してたか覚えてないけど。

母「お風呂にはいりたかったんじゃない?(面倒くさそう)(母はカサンドラと過労で傷病休暇中でしんどい)(理由になってない)(いつも通り)」


両親の共依存

私の最近のストレス発散は爆買いだ。服飾物の。今回の件はそれを否定された気持ちになりついブチ切れてしまった。だが罪悪感はない。父をあのような人間にしたのは、優しさと甘えを履き違えて教えた母(と祖母)(2人の悪口は言いたくないが事実なので仕方がない)だ。

昔から母は私は悪くない場面でめんどくさそうに父を庇った。そして父が風呂に行ってる時に言う。「パパに言っても仕方ないからね?(わかってくれるよね?)」だから両親共に最低限の礼儀以外の感情は持たないようにしている。だからもし母が父にひどいことをされていても「私には分からないな、わかってくれるよね?」と対応し基本無視する。たまに寂しい時だけごっこ遊びのように仲良くするときはある。そういうときは学生時代、まだ両親を信頼していた頃の自分を思い出して切なくなるが、もう戻らない事は仕方がない。最後までぜひ罵り合い喧嘩するほど仲がいい夫婦を演じきってもらいたいものである。


都合が悪いとなかったことにできるASD

そして話を戻すと、私は洗濯物を台無しにした父に何をしたか?


何もしなかった。

私は汚い洗面所からブラウスを取り出し改めて新しい洗剤で洗濯した。風呂から上がった父にその件について話しかけることは一切なかった。ちなみに父の方からも一切何もなかった。(こういう所が父の最も最低な所だと思う。いろんな意味で、【女性の家族にだけ】【誠実に】謝る事ができないのだ。)
私は父に見切りをつけている。


ASDもADHDもアルコール依存だろうが関係ない。私にとっては理不尽で幼稚で外面が抜群によい(ケースワーカーさんも騙されていた、後で「良いお父さんじゃない…」と私が大げさな人間である扱いを受けた)偉そうな言葉遣いと新書の知識で偉く見えると思っているバカのひとりである。

ただしお金をくれるのがただのバカと違う。駅に車で送ってくれるし、私が幼い頃は理不尽にしたりしない、仕事もブラックのはずなのにたまの休日には遊園地と桜を同時に観に連れてくれるような優しいマイホームパパだった。ただしすでにその頃からセクハラの感覚が甘くて何度か傷つき私の認知は歪んでしまった。そして仕事の役職が上がり単身赴任が増えるにつれ、酒の量も増え、彼の人格は変わっていった。

つまり、言っても無駄。


洗濯を勝手に中断される

作業を勝手に中断される苦痛を最もよく知るはずのASDの父のはずなのだが、他人がされた場合の想像力はないのだ。それが私の血の繋がった父なのだ。また、もしそのような説明を私が丁寧にアイメッセージ(主語を自分にすることで相手に責められてる感をなるべく感じさせない話し方)しても自分の行動(この場合勝手に洗濯物を汚い場所に移動したこと)が自分の行動が「望ましくはない事だった」と気づいただけで責められていると感じ取り出し、パニックとなり自己弁護のため攻撃的な謎理論をわー!と話し始めるだろう。そうなるともう人の話は聞かない。何を話しかけても「ちゃうちゃう!(違う)そうじゃなくて!」しか言わなくなる。しかもそれに続く言葉は98%聞いて価値のある内容ではない。それも自らが攻撃的な言動をしている自覚など一切ない。ただ「自分が家族総出で“責め立てられた”から必死で弁名しただけなのに分かってもらえなかったの悲しい…」それが父の感じている真実の世界なのだ。

だが当然のことながら私から見える世界はそうではない。私は私のカサンドラをこれ以上増やしたくない。だから彼を見切ることにした。愛着がないと言えば嘘になるが今私が未婚で病気で無職なのは少なからず彼に植え付けられた認知の歪みが大きい。【恨んでる間は縛られてるよ】。【妹は結婚妊娠出産したじゃない】【言い訳するな】その通り。私は縛られているのです。縄を解いてくださいますか?そうでないならば名言を人に教えて自己陶酔に浸るのはやめてください。(笑)


この躁期終わる時友達何人減ってるのかなぁ?鬱期に友達いないとキツいんだよなぁー


私、今日も、がんばったね。


おやすみ

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